下の二つのニュースを読み比べて欲しい。

8割が就職の「勝ち組」 新入社員の意識調査

 新入社員の77%が自らを就職活動での「どちらかといえば『勝ち組』」と考えている──。財団法人社会経済生産性本部が、22日までにまとめた新入社員の意識調査で分かった。

 同本部は「パートや派遣などが増える厳しい環境の下、正社員という安定した身分を獲得したとの思いからではないか」と分析している。(後略)

(共同通信) - 6月22日18時22分更新
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 入院生活も佳境に入ってきたようだ。

 昨日、病室で飯を食っていたら主治医がやってきて、「木曜日にCTを撮って、結果が良ければ金曜に退院しましょうか」とのたまった。医師の考えでは、二回の治療を終えた段階でかなり薬が効いていたので、恐らく三回の治療をもって退院して良いだろうということだった。

 まぁそんな感じでここ数日は体調良いのにすることない状況であり、あまりにも退屈なのでiTunesで延々プレイリストを作っていた。iTunesにはスマートプレイリストという大変便利な機能があり、これはキーワードやアーティストやジャンルやお気に入りレートなどを指定しておくと、その条件に当てはまる曲を選んできてくれる機能だ。使ってみると大変便利である。

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 オムニバスアルバム、ヴァリアスアーティスト。あなたはコンピレーションCDを何枚持っているだろうか? 俺は結構持っている。実はiPodに入っている音楽のほとんどがコンピレーションCDから読み込んだものだったりする。

 コンピレーションCDというのは大変便利だ。数々のアーティストの代表曲を、一枚のアルバムを買うだけで聞けてしまう。CD一枚買うだけで様々なアーティストに触れることができるコンピレーションは、未知の音楽との出会いの場である。アルバム中の何曲かの好きな楽曲をたよりに、未知の似たようなジャンルの楽曲に巡り会うことができるからだ。音楽を聞き始めたばかりの人や、それまで違うジャンルの音楽を聞いていて別のジャンルに興味を持った人にとって、コンピレーションはその後の音楽人生の道しるべともなる大きな存在である。

 しかしコンピレーションには功罪あると思う。功の部分については上述した通りだが、罪として考えられるのは、自分で聞きたい音楽を選べないようになるということである。コンピレーションの世界にどっぷり浸かってしまうと、その便利さ故にそこから抜け出せなくなってしまうのだ。結局、誰かの耳=価値観というフィルターを通してしか音楽を聞けなくなってしまう。

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 昨日は一日ずーっと過去に書いた日記(公開中止)を読み直していた。

 web上で書く日記だから、やはりある程度限界がある。自開症の人ならいざ知らず、自分の正直なところをすべてさらけ出して書いてしまうわけにはいかない。心の中に思っていることを全部正直にさらけ出してしまったら俺自身が恥ずかしいのもさることながら、誰かを傷つけてしまうかも知れない。

 だから過去の日記を読み直していると、ぎりぎりのところで踏みとどまっている自分の姿が垣間見えて結構面白い。本当はもっと本音を書きたいのだけど、書いたらまずいことになるから我慢している数ヶ月前の自分がそこにいる。

 ずーっとむかし、まだ大学生になりたての、ファイルのアップロードの仕方も知らなかった頃、半年間にわたり断続的にテキスト文書で日記を付けていたことがある。これはもちろん誰かに見せるために書いていた日記ではないので、正直なことを書いていた。むかし誰々のことが好きだったとか、これからの俺の人生はどうなるんだろうとか、青臭いことをいっぱい書き連ねていた。今にも熊先生に「チラシの裏にでも書いてろ、な!」と言われそうな内容である。

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 6月6日から三回目の治療がスタート。がんの治療は一回三週間かかる。俺がやってる治療は最初の五日間が何しろしんどい。だから最初の五日間を乗り切れば、白血球が下がるので感染に気をつけなければならないものの、あとはお気楽に過ごすことができる。

 本来なら10日金曜日まで抗がん剤が投与されるはずであったが、これまでの治療でかなり体が弱っているようで、通常、薬を投与してから一週間程度で下がり始める白血球が、薬を投与している最中に既に危険な数値まで下がってしまい、止むなく五日目の抗がん剤投与を中止せねばならなかった。このことが後に尾を引かなければ良いがといささかの心配はあるが、9日木曜日の段階で精も魂も尽きて困憊状態であったため、金曜日の治療が中止なると主治医から聞かされてとてもうれしかったというのが正直なところ。厚い灰色の雲が覆いかぶさる闘病生活に、雲の隙間から一筋の光が漏れ射したようですらあった。

 しかし、これが最後の治療になるとは限らない。当初医者からは、「恐らく三回の治療で十分だろう」と聞かされていたが、一回目の治療では良く薬が効いたものの、二回目の治療ではさほど効果が見られず、ひょっとするとがん細胞が薬に対して耐性を持ちつつあるのかも知れない。そうなれば当然薬を変えて四回目、五回目の治療をしなければならないし、下手をすればまた手術を受けなければならない可能性もある。見通しは明るいわけではないのだ。

 毎日新聞の甘口辛口新作ガイドでは「知的で刺激的な人間研究」なんて書いてあったけど、俺は個々の登場人物の駆け引きよりも、人生の無常というか、運命の皮肉というか、そういうものをテーマにした映画であるように思えた。見終わって何かと似ているなと思って考えてみたら、ディケンズ原作でアルフォンソ・キュアロンが映画化した『大いなる遺産』に似ていることに気がついた。もちろん、『大いなる遺産』ほどストーリーが壮大なわけではないが、テーマは似ていると思う。

 かいつまんで内容を説明すると、ロンドンで新聞記者をやっていた主人公はひょんなことからナタリー・ポートマン扮するストリッパーの女の子と知り合ってつき合うようになり、その子を主人公にした小説を書いて作家デビューを果たす。しかしジュリア・ロバーツ演じるカメラマンも捨てがたく、二股をかける。そんななか、ひょんなことから主人公はジュリア・ロバーツと変態ドクターがつきあうきっかけを作ってしまい、この四人で愛憎劇が繰り広げられることになる。すったもんだを経て、結局主人公はナタリー・ポートマンとよりを戻し元の鞘に納まるのだが、主人公は聞くべきではないことを我慢できずにナタリー・ポートマンに聞いてしまう。さあ、その結末やいかに、という感じである。

 この映画の見所はなんといってもストリッパー役のナタリー・ポートマンの演技である。あの妖しさ、艶かしさは凄まじいものがある。ああいうのを才能というのだろう。病的なまでの演技力である。ああいう女の子が身近にいたら、たとえ容姿は好みじゃなくてもころっと騙されてしまうのだろうと思う。

 また出生率が下がったらしい。出生率と聞いて思い出すのが某新聞社の採用試験でのグループディスカッションである。ここで沖縄出身の顔の濃い女性と、どうすれば出生率を上げられるかについて激しくやりあってしまった。恐らくそれが原因で落とされてしまったのではないかと考えている。グループディスカッションではコミュニケーション能力を見るようなので、やたらめたらに相手の意見を否定しまくるような奴はマイナスの評価をつけられてしまうのだ。

 まぁ俺の就職活動についてはどうでも良いとして、今日お話ししたいのは出生率についてである。グループディスカッションでの沖縄女性の言い分はこうである。「各家庭ごとに子育てをするのではなく、地域で子育てをするようにすれば出生率は上がる。地域の力を活用すべき」。事実、彼女の出身地の沖縄では地域で子育てを行う習慣があり、日本で一番出生率が高いそうだ。

 ごもっともなことである。現役を引退した近所のじいちゃんばあちゃんに面倒を見てもらったり、ご近所同士で子どもの面倒を見合えば、働く女性も安心して子どもを生もうという気になれるかも知れない。

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