Teva Sandal

Teva のサンダル去年買って、6月のギリシャ旅行に履いて行ったら古代ギリシャサンダルみたいな趣あって歩きやすかった。7月に東京で一ヶ月研修生活送ったときにもよく履いてたけど、コンクリートの地面を歩いたりすると靴底が薄くて足が疲れた(新宿は広くては天神に比べてめっちゃ歩かないといけない!、!!)。どうも Teva のサンダルは Hurricane XLT ってのを買わないとダメらしい。去年買ったのは Original Universal というやつだった。

Hurricane XLT 買ってみたら底がスニーカーみたいに柔らかくて歩きやすかった。 Original Universal だと小走りしたときにショックがもろに足に伝わって小走りしたりしたくなかったんだけど、 Hurricane XLT の方は走ってもなんの問題も無い。

ちなみに定番の黒色は盆頃には売り切れになってて 27 センチとか日本人男性の 80% くらいが該当しそうなサイズは定価の1.5倍くらいになってた。しょうがなく枯れ草色みたいなのを定価の1.2倍くらいの値段で買った。安いのもあるけど外人が好きそうな変な模様が入っているので素人にはおすすめできない。買いたい人は来年の春頃買うと良さそう。

おすすめです。

YAPC に行ってきた。ちなみに去年は嫁さんに↓のように言われて行けなかった。

今年は YAPC 最後なのでどうしても行こうと思って無理矢理チケット申し込んで飛行機と宿とって行った。帰ってきて嫁さんに感想を聞かれて、詳細を話しても意味わからないだろうから「がんばろうという気持ちにさせられた」と話したら、「えー、それだけ? 何も学んできてないわけ?」と言われた。


一日目

一日目の方は業務の一環として参加させてもらった(チケット代とか飛行機代とかは自腹)。 受付で YAPC Tシャツもらえると思って着替えを持ってきてなかったんだけど申込時にサイズ選んでないのでTシャツもらう意思がないと見なされTシャツもらえなかった。明日着る服がないと思って焦ったけどリュックの中に予備のTシャツ(実家に帰ったときに洗濯したやつ)があって助かった。

Effective ES6

ES6 、全般的に天国ぽかった。 Babel というの使えばもういまから ES6 で書けるっぽい。ただ Kaizen のサービスは JavaScript でやらかすと皆様に多大なご迷惑をおかけすることになるのでリストカット感覚で導入すると危なそうだった。まずは自分のブログとかで実験してみたい。

偶然居合わせた kitak (ペパボ時代の元同僚)と Kaizen Platform で同僚の t32k さんと、二人の金沢時代の友人の方たちと無料弁当を食べた。 YAPC 、飲み物とか弁当とかまで出てすごい。電車賃とチケット代さえあれば参加できる。

TBD

最近なんで並行処理に優れた言語とか流行ってるのかという背景を交えながら、なぜ Streem を作ったのかという説明や Ruby の未来の話しが面白かった。あと質疑応答の返しが面白い。 Matz さんは言語開発者として優れていると同時に優れた話し手でもあるなと思った。

たまたま mizzy さんと隣に座って聞いてたんだけど、 mizchi さんいて(mizchi さんが mizzy さんに話しかけた)こんちゃと挨拶した。 YAPC 有名人ごろごろいるのすごい。

Perlの上にも三年 〜 ずっとイケてるサービスを作り続ける技術 〜

爆笑トークだったけど、オブジェクト指向や DDD がなぜ大切なのか、というのを業務での経験を交えながら発表されていてよかった。「オブジェクト指向設計入門とか DDD 本とか難しいけどどうやって業務に活かすのか」という質問に対しては、「歯を食いしばって実装するしかない」と返していてよかった。

ロビーでだらだら

見たかった発表満席で入れなかったのでロビーうろついてたら hsbt さんいたので声かけた。そしたらどこからともなくペパボ、元ペパボの人どんどん集まってきて hsbt さんの自撮り棒の被写体になったりしてた。出戻り歓迎しますと言われてニヤニヤしたりしてた。ペパボ版 mizchi さんの gyugyu さんを生で見られたの良かった。

SaaSを組み合わせて作る, ぼくらの障害対応術!

障害発生時に自動的に Qiita:Team に対応報告ドキュメントが作成され、 Reactio というサービス内にチャットルームも自動生成され、チームメンバー全員に電話もかかってきて障害対応に SaaS を組み込んで効率的に仕事をこなす、という LT だった。 LT 中、アラートメールが来るという演出も面白かった(たぶん仕込みだと思う)。

Kaizen Platform への就職を決めたの、要因はいろいろあるんだけど、入社前に CEO の須藤さんが Qiita:Team に書いている Kaizen のモットーみたいなやつを読ませてもらって、それに感銘を受けた、というのがある。自分たちが本当にフォーカスすべきことに注力して、その他のことは外部サービスを利用して徹底的に効率化したい、というようなことだった。実際、 Kaizen は外部の SaaS を利用できる部分は極力利用して自前で実装しないようにしている。それでお金はかかるけど、エンジニアが無駄に秘蔵の社内ツールのメンテナンスで疲弊することがないようになってるし、スタートアップ同士でお互いのサービス使い合って良い循環が生まれている感じする。

ソロ懇親会

一日目は懇親会あって参加してみたかったけど気がついたら募集終了してて参加できなかった。なのでよく知りもしない東京ビッグサイトのプロントの店員に「お疲れ様です」と声をかけられながらビール飲んでスパゲティー食べてソロ懇親会やった。バスでホテルに帰ろうとしたらペパボの元同僚の人いて最近どうですかとか軽く話した。ホテルに着いてからは浜松町の激安寿司屋に潜入したけどシャリがねちゃっとしてて不気味な感じだった。量も多くて腹一杯になってしまってとにかくつらかった。

二日目

だいぶ早めに着いたので余裕をもって座れた。ただ午後のコマは混みすぎてて発表見られないことが何度かあった。次の発表の時間前に部屋の前に列を作ったりするの予備校に通ってた浪人生時代を思い出した。人気講師の講義に群がる代ゼミ生に戻った気分になった。

Adventures in Refactoring

GitHub の人の話、 RubyKaigi の動画とか福岡でのミートアップとかでも聞いたことあったんだけどいまいち何言ってるかわからなんぁという話しする人多かった。今回の人の話はわかりやすかった。リファクタリングしてコード量が増えるのようなのはダメだとか、パフォーマンス劣化させたらダメだとか。あと GitHub では scientist という gem あってこれでリファクタリングの前後のコードの A/B テストみたいなのをやってるそうだった。エラー発生率とかパフォーマンスを計測しているそう。すごい。

昼セッションの弁当売り切れててもらえなかったので下に降りてコンビニで何か買おうかと思ったけどコンビニが異常に混雑してて地方在住者にはあれに並ぶ気になれなくて、一旦はフードコートとか行こうとしたけど結局どこも激混みで、あきらめてセブンイレブンでサンドイッチとか買ってプロントで買ったビール飲みながらオープン席的な場所で食べた。偶然、隣にモテメンガールズを引き連れたモテメンさんがやってきてモテメンステッカーくれた。家の冷蔵庫に貼ろうと思います。

【特別企画】YAPCあるある(仮)

YAPC の 10 年間を振り返るという座談会企画だった。僕はミーハーなのでこういう話しを聞くのは好きなので面白かった。そもそも始まりは宮川さんが台湾で行われた Perl のカンファレンスで来年は日本でやってくれよと声かけられてスライドの最後に急遽やりますというのを盛り込んで宣言したのが始まりのようだった。最初の会場が大田区産業会館というの地味な感じがあってよい。2007年だか2008年だかの YAPC で利用したフランスの決済システムがちゃんと動かなくて宮川さんがフランスまで行って直した、という話すごかった。伝説っぽい。

あとは牧さんがどれだけこれまで YAPC で苦労したか、という話だった。こういうの若い人聞いてもあまりぴんとこないかもしれないけど、所帯を持ってたりするとなかなか家庭外の活動に時間を割くのは大変だし、結婚式挙げたことある人はわかると思うけど、人を何百人と集めてなにがしかの催し物をやるのはとんでもなく骨の折れる大変な作業で、それをボランティアで行うのは本当に大変だと思う。若い人はもっと牧さんに感謝した方がよい。

Evaluating your stylesheets

同僚の t32k さんが LT 通ってて発表した。伊藤直也さんのこといじって受けてた。作ったスタイル何とかという CSS を解析するソフトウェア自体も良さそうだった。

コミュ力あげてこ

一日目は hitode909 さんの発表の裏で話を聞けなかった cho45 さんの LT 面白かった。前の人がたまたま電話の話してて、その後に登場した cho45 さんがモールス信号の話というのが最高だった。 cho45 さん、ツイッター見てる限り気むずかしい人なのかなと思ってけどおもしろお兄さんという感じで良かった。

クロージング

ヒトデさんがベストトーク賞とってた。なぜか自分のことのようにうれしかった。

牧さんのこれまでの苦労話とかを最後にもう一回聞いたけど本当に大変だったと思う。2000人以上来場するイベントを取り仕切るのは筆舌に尽くしがたいほど大変なはず。牧さん、 udzura uzulla さん、運営の皆様本当にお疲れ様でした。

Dubrovnik

2015年6月23日

クロアチア航空のチェックインカウンターでチェックインを済ませ、パスポートコントロールを経て飛行機に乗った。 EU 内の移動は通関的なものがないので非常に移動がスムーズ。まるで国内線に乗り込むかのような感覚だった。

飛行機は小型のもので、乗客はまばらであった。クロアチア航空は機内で配られる紙ナプキンが深紅でしゃれており、スッチーたちも感じが良く、エーゲ航空に比べて最高という感じしかなかった。飲み物はビールをもらったけど、 PAN というクロアチアのビールでとてもうまかった。

一時間半ほどでドゥブロヴニク空港に到着した。ドゥブロヴニク空港には迎えのハイヤーをお願いしてあった。空港はきれいで、迎えに来てくれていたドライバー氏は長身できちんとネクタイを締めていた。すべてがテキトーなギリシャとは全然違う。非常にかちっとしていた。ハイヤーはきちんと洗車されているベンツで、一世代前のものではあるが E クラスだった。ギリシャで現行 E クラスのタクシーに乗ったけど、おっさんの運転は雑だったし、車内は自家用車のように雑然としていて、クロアチアで乗ったハイヤーの方が断然快適だった。

クロアチアはあちこちに花が咲き乱れ、道路はきちんと舗装されており、街並みも整然としており、すべてがごちゃごちゃでゴミが散乱しているギリシャとは大違いだった。やっとヨーロッパの国にやって来た、という感覚があった。古代ギリシャ文明はギリシャでは継承されておらず、ギリシャ以外のヨーロッパ各国で継承されているのかなという感じがした。

ただドゥブロヴニクも森といえるような森林は存在せず、山は少し地肌が見えていていわゆるはげ山状態だった。降水量が少ないんだろうなぁ、と思った。

宿は旧市街から 1.5km ほど離れたヨットハーバー沿いにあるアパートメントだった。かつてチェコを旅行したとき、アパートメントに泊まって最高だったのでアパートメントにしてみたのだが、この選択は正解だった。非常に広くて景色が良く、シャワーのお湯の量に限りがあることを除けば快適そのものだった。

宿にチェックインしたのが 20 時過ぎだったので、旧市街に行くのはあきらめて宿の近くで日用品の買い物を済ませたあと食事をすることにした。この時点でクロアチアの通貨のクーナを持っていなかったが、スーパーでもレストランでもカードで支払いができたので問題がなかった。10 年前に訪れたチェコでもそうだったが、 EU に加入しているものの通貨をユーロに移行していなくてもユーロで支払えるところが多い。クロアチアもそんな感じで、 7HRK = €1 というレートで買い物することができる。

一日目に訪れたのは宿の近くにあった taverna Otto というレストランだったが、あとから調べるに tripadvisor でドゥブロヴニクのレストランで 6 位の店だった。クロアチアはマグロをよく食べる国だそうで、ツナとポーチドエッグのサラダを注文したら、表面を軽く火で炙った状態のマグロのタタキを使ったサラダが出てきた。シーチキンのようなものを想像していたので期待と違ったが、久々に口にする生のマグロが非常においしく感じられた。

ツナのサラダの写真は取り忘れてて、これは嫁さんが食べてた子牛のステーキだけど、ドゥブロヴニクあたりの料理は何でも炭火焼きして BBQ するのが一般的らしい。野菜も炭火焼きしてあって香ばしい香りがしておいしかった。

食事を終えて宿の前のヨットハーバーの公園を散歩すると、ユーゴスラヴィアからの独立戦争時に活躍したと思われる戦車や、迷彩塗装を施された軍用ボートが飾ってあった。ドゥブロヴニクは世界遺産であるにもかかわらず、独立戦争時にはユーゴスラヴィア連邦軍から砲撃を受け旧市街や城壁が破壊されてしまった。その戦争に勝利しての独立だったので、街の人々はこの独立に誇りを持っているんだろうなぁと感じた。

宿に戻って美しい港の夜景を眺めがら眠りについた。

2015年6月24日

ミコノス島で買ったパンなどで食事を済ませた。この日は嫁さんの体調が優れず、出かけるのが昼頃になってしまった。

まずは両替しないとバスに乗ることができないので、宿近くの銀行に入って両替を頼んだ。昨夜のハイヤーのドライバーによると、両替は銀行で行うのが一番レートが良く、手数料が必要ないとのことだった。銀行の窓口で両替を頼むと、確かにネットで出てくるのに近いレート( 1HRK = ¥18 )で両替できた。本当は両替にはパスポートが必要らしいが、宿のセキュリティボックスに忘れてしまっていた。しかし窓口の女性は融通の利く人で、次は忘れないでくれと言って両替してくれた。またクロアチア最高だと思った。

両替してからバスに乗って旧市街へ出かけた。旧市街へはバスで 5 分ほどで、アドリア海の景色を眺めながら向かうことができた。

旧市街のピレ門に着くと観光客でごった返しており、街は賑わっていた。とりあえず門の中に入り街を軽く見て回り、 Kindle で買った Dubrovnik ガイドの本で著者のお気に入りの店であるというところに行ってみた。すると日本人の先客があり、メニューに日本語もある。なんと地球の歩き方にのっていた。旅先で日本人と出会うと微妙な気分になるのでなるべく普通の日本人客がいないような場所で食事するのが好きなのだが(だから Kindle で英語のガイド本を買って読んだりしてた)、同じ店が地球の歩き方で紹介されているとは盲点だった。

ドゥブロヴニクは滞在時間が短かったので昼もいいのを食べようという方針で嫁さんと二人でお互い好きなものを頼んだので、会計は 530HRK ほどになり、昼なのに 1 万円近くになってしまった。ただこの店で食べた三種のチーズと生ハムは最高にうまくて、良い思い出になった。

この店で食事している間に、本当にここはヨーロッパかと思えるような激しい雨が降り始めた。日本のゲリラ豪雨のような雨だった。しかもドゥブロヴニクは断崖の縁にある街で、山の方に降った雨が一気に流れ込んでくる。レストランの外席は建物と建物の間の通路にある席で、雨が降るとこの通路を雨水が川のように流れていく。雨が上がるまで身動きすることができず、 1 時間半くらいこの店にいて雨が止むのを待った。

雨が上がってからは城壁に上がろうと入り口を探して旧市街をさまよったがどこにも入り口がない。同じように他の観光客の人々も入り口を探しているようだった。地図を見ているところを地元の人に声をかけられ、城壁に上るには入場料が必要なこと、入り口は二箇所と限られていることを教えてもらった。確かに地球の歩き方にもそのように書いてあった。大人一人 100HRK ほど払って城壁に入ることにした。一人 1800 円は高いとは感じたが、これに上らなかったらドゥブロヴニクに来た意味皆無なので金のことは考えずに上った。

城壁からの眺めは確かに最高で、アドリア海の真っ青な海と、ドゥブロヴニクのオレンジ屋根の街並みをこれでもかというほど堪能した。ドゥブロヴニクも暑いには暑かったが、ギリシャに比べれば湿度も適度にあり十分に過ごしやすかった。

城壁を一周するときにベビーカーを持って回ったのがつらかった。可能なら入り口で預かってもらいたかった。海外旅行にベビーカーを持って行くべきかどうかはかなり悩んだが、息子殿は抱っこひもで抱えるには大きすぎるほどに生育しており、ベビーカーで運搬するより他なかった。ただサントリーニなど足場の悪いところではかなり足かせになった。

城壁を一周するとへとへとに疲れ果てていたので、一旦宿に戻って休憩することにした。

宿のアパートメントには大きなテラスがあり、ジャクジーがあったのでジャクジーに浸かることにした。しかし日暮れ時のドゥブロヴニクにはすでに肌寒く、ジャクジーの温度がなかなか上がらずあまり楽しむことができなかった。

ジャクジーから出たあとはまた taverna Otto に行った。 tripadvisor ランキング一位の店に行けないかと予約を試みたが、今日と明日は満席でいっぱいと断られてしまった。つくづく滞在時間が短かったことが悔やまれる。

taverna Otto ではメニューにないのに息子殿用にポーチドエッグのみを出してくれと頼んだりして常連ぶるなどした。会計のときになって店主がやって来て、二日連続来てくれてありがとうと話をした。我々が日本人であることを告げると店主は興奮し始め、 3 月に日本を旅行したがサイコーだった、また行きたい、神戸牛食いたい、牛丼うまかった、築地サイコーだった、築地で買った魚介類をタイのホテルの冷蔵庫に忘れてきたことが悔やまれる、あdsふぁdsふぁdfjかlsdflぴおいれ、という話を延々聞かされた。母国ではない英語で良くもこうぺらぺら喋れるものだなぁと感心した。

我々と話すときはクロアチア人同士でも英語で話したりするし、クロアチアはかなり英語教育に熱心なのかも知れない。そういえばチェコのプラハの人々も英語が流ちょうだったことを思い出した。今回泊まったアパートメントのレセプションの女性たちもネイティブのように英語を流ちょうに話し、ギリシャ人よりも格段に英語でコミュニケーションをとりやすかった。

レストランを出てホテルに戻り、ヨットハーバーから最後の夜景を眺めて眠りに就いた。ドゥブロヴニクの Gruž の港は長崎の港に景色が似ていて親近感がわいた。

2015年6月25日

前日夕方に買ったロシア風のパンとコーヒーで朝食をとった。ドゥブロヴニクにはヴェネツィアの領地であった歴史があるのでイタリアの影響が強いのか、コーヒーはエスプレッソが主力のようだった。宿に備えてあるコーヒーを入れる器具は直火式のエスプレッソマシンしかなく、これでコーヒーを入れて飲んだ。クロアチアのスーパーで買ったミルクと割ってカフェラテにして飲んだけど、ミルクがすごく甘くておいしかった。ヨーロッパはどこも乳製品のクオリティが高い。適当な店で飲み食いしてもチーズやバターだけはまずいものにあたることがない。

チェックアウトして荷物を預かってもらい、再度旧市街へ向かった。土産物を買ったあとは、前日には乗ることができなかったケーブルカーに乗って Srđ 山に上り、街を見下ろした。ここには戦争博物館もあって余裕があれば見に行きたかったが、飛行機の時間が迫っていたので適当に写真だけ撮って降りることにした。山頂でニコンの一眼レフを持っていたアメリカ人のおっさんに写真を撮ってくれるよう頼んだら、水平もとれておらず残念な写真になってしまった。とほほ。

飛行機の時間が迫っていたため、山から下ったあとは急いで食事をした。なかなか店が決まらず、イタリア風の食事を出すピザ屋に入って食事をした。ヨーロッパはカプレーゼが安くて巨大なモッツァレラチーズが出てくるのが良い。

食事を済ませて急いで宿に戻り、荷物を受け取ってバス停に向かった。宿の最寄りバス停は旧市街行きのバスも空港行きのバスも止まるという非常に便利なバス停だったが、空港行きのバスがなかなかやってこずかなり不安になった。あと 5 分待って来なかったらタクシーに乗ろう、と思ったところでバスがやって来て何とか飛行機に間に合う時間で空港にたどり着くことができそうだった。運転手は親切で、ユーロしか持っていないが大丈夫か、と聞いても「 No problem 」と言ってくれてクロアチア最高だった。

ただこのバスの中で安堵のあまり眠ってしまったのが良くなかった。バスを降りるときに iPhone を車内に忘れてしまった。気がついたときにはもうバスは発車しており、しかもアテネに戻る飛行機の時間が迫っていたためバス会社に問い合わせることもできず、後ろ髪をひかれながらドゥブロヴニクを去ることになった。幸い iPhone にはパスコードロックをかけていたので悪用されることはないと思われるが、その後辞書代わりにも使っていた iPhone がなくなることは不便きわまりなかった。 foursquare でチェックインすることもできず、旅行の楽しみの半分くらいが吹っ飛んでしまった。

athens-parthenon-3

2015年6月22日

振り替え便は 8:10 と聞いていたので 6 時に起きて飛行機に乗る準備をした。 7 時前にチェックアウトして空港に向かうと、昨日見た顔の人たちが何人かいた。タクシー代の精算を済ませ、搭乗手続きをして飛行機に乗ると、エーゲ航空のスッチーたちは何事もなかったかのようなにこやかな表情を浮かべていた。

アテネには一時間足らずで着いた。なんとこの日は天気が悪く、アテネ到着時は雨が降っていた。

arrived-at-athens

前日にアテネの宿を手配できなかったため空港に着いてから空港の無料 WiFi を使って予約しようとしたが、アテネ空港の WiFi は 60 分間しか無料で使えず、結局空港のパソコンを使って予約した。

アテネ空港はギリシャ到着時に食事したときにめちゃくちゃ高くてどうしたもんかと思っていたが、空港の外に出て空港職員等で混雑するサンドイッチスタンドに入ると、 €2.5 で食べ物が買えた。ここでコーヒーを飲みながらほっと一息つくことができた。

その後メトロでアテネの街中へと向かう。アテネ空港は成田と同じで、名前こそアテネだけど全然アテネじゃない場所にある。電車で 40 分くらいかかった気がする。

Athens city view from Acropoli

アテネの市街についてまずびっくりしたのが、街並みのヨーロッパっぽくなさだった。道が広くて路上駐車の車がたくさんあるのはヨーロッパっぽいんだけど、道路の舗装は適当でゴミや動物の糞が散乱しており、マンションのすべての側面には汚らしいバルコニーがくっついていて植物やらなんやらをみんな好き放題外に出しており、非常に猥雑だった。ヨーロッパというより東南アジアにでも来たような景観だった。

Athens

またアテネはサントリーニ島やミコノス島に比べて圧倒的に緑が多く、湿度も幾分か高いようだった。普段は 6 月に雨が降ることはなく異常気象だと泊まった宿の主人は話していたが、モンスーン気候に慣れた身からすると、乾燥の激しいサントリーニ島やミコノス島は過ごしにくく、雨降りのアテネはとても過ごしやすく感じられた。

Athens

アテネの宿はアクロポリスなどといった主な観光地にも歩いて行ける場所にあるものを選んだ。 €107 だったが安くても一泊 €200 オーバーだったサントリーニ島からすると別天地という感じだった。部屋は広く風呂は豪華で、たっぷりと暖かいお湯のシャワーを浴びることができた。

宿にはチェックイン時刻よりも早く着いたので、荷物を置いて観光へ出かけた。レストランに入ってメニューを見るとサントリーニやミコノスの観光地レストランの値段に比べるとずいぶん安い。しかもハンバーガーを頼んだらパンが一枚でハンバーグが二枚のやつが出てきた。ギリシャ人、こんな経済観念だから経済崩壊するのでは、と思いつつ、アテネサイコーと叫びながら子牛のハンバーグを食べた。

one-bun-two-patties

食事のあとは街をうろつき、最初携帯の SIM を買った ΓΕΡΜΑΝΟΣ を見つけたのでプリペイド SIM のチャージができるかどうか聞いてみた。サントリーニ島のショップでは、追加チャージはできるが翌月にならないとできない、という説明を受けていた。しかしキャリアの COSMOTE のウェブサイトを見てもどこにもそのような記述はなく、おかしいなぁと思っていたのだった。 €6 で 500MB のチャージを頼み、携帯を出すように言われたので Pocket WiFi を出すと、「その端末ではこの SIM カードを使うことができない」と言われて一瞬雲行きが怪しくなったが、自分たちが持っている iPhone は SIM ロックがかかっていて Pocket WiFi 経由でないとインターネットに接続することができないことを説明すると「OK」と言って追加作業をやってくれ、再びインターネットにアクセスできるようになった。

その後街を散策し、子どもが喜びそうな蒸気機関車型の観光バスを見かけたので乗ってみることにした。大人一人 €5 で、アクロポリス周辺の主立った観光地を周遊でき便利だった。乗り降り自由らしいので乗り降りしてプラカ地区やシンタグマ広場に行ったりすることもできる。我々はその勝手を知らずに漫然と一周してしまってもったいなかった。

athens-acropolis-1 athens-acropolis-2

バスに乗ったあとにパルテノン神殿に上ってみたが、正直なところ圧巻だった。今回の旅行ではアテネはスルーする予定だったがエーゲ航空がキャンセルになったせいでアクロポリスを訪れることができたのはある意味幸運だったかも知れない。

athens-parthenon-1

パルテノン神殿を観光していて初めて知ったのだが、パルテノン神殿は風化であのように朽ちているのではなく、 17 世紀にヴェネツィアによる砲撃を受けてあのようになった、とのことだった。当時でもすでに 2000 年以上の歴史を経ていたパルテノン神殿を破壊するなんて罰当たりなことだと思ったが、 Wikipedia によると、当時ギリシャを支配していたオスマントルコは、ヴェネツィアもパルテノン神殿の歴史的価値に敬意を表して砲撃すまいと高をくくって女子どもを避難させ、アクロポリス内に弾薬庫を作って弾薬を貯蔵していたのだそう。しかしヴェネツィアは一切斟酌せずパルテノン神殿に砲撃を浴びせたらしい。

athens-parthenon-2

そのような状況になったパルテノン神殿を修復しようという動きはギリシャ独立後の 19 世紀中頃からあって様々手を加えられているが、 1800 年代後半から戦前にかけての修復は、古代の手法を忠実に再現するのではなく、鉄を使って無理矢理修復するという手法で、そのせいでかえって他の部分に負荷がかかり、現在は 19 世紀から 20 世紀前半にかけて行われた誤った手法の修復で傷んだ箇所を正しい手法で直しているところなのだそう。

そういえば順調に行けば今頃訪れていたはずのドゥブロヴニクも、一時はヴェネツィアによって支配され、イタリア文化を受容しているのであった。ヴェネツィアとは地中海沿岸でやりたい放題やってたんだなぁ。

パルテノン神殿をゆっくり時間をかけて観光したあとは、一旦宿に戻ってシャワーを浴びて休憩した。三人とも何を食べてもトマトとオリーブオイルとハーブの入っている地中海風の料理に飽きていて、汁付きの麺類が食べたいと、アジア料理の店を探してアテネ一番の繁華街のシンタグマ広場へと向かった。

遅い時間にわざわざやってきたのに嫁さんが目をつけていたアジア料理屋は看板を掲げておらず、あるはずの場所には別の中華屋があって営業していた。店の前でひとしきり夫婦げんかをしたあと、あきらめてこの店に入って中華料理を食べることにした。

この中華屋が正解で、酢豚もチャーハンも中華麺もどれもうまかった。変な香辛料は入っていないし唐辛子辛くもなく、日本人にとって非常に食べやすい味付けだった。青島ビールを三本飲んでも会計は €30 程度で、一食で €70 ほどかかっていたサントリーニ島と大違いだった。しかも店の女将の中国人が非常に親切で店も清潔で、まるで日本に帰ってきたかのようだった。

chinese-noodle

食事を追えて最終一つ前の地下鉄で宿に戻り、倒れ込むように眠りについた。

2015年6月23日

翌朝は宿を出る際に領収書の宛名書きの件で嫁さんが宿のレセプションともめて、そのせいで夫婦げんかをしてしまった。一旦別行動をとることにしたのだけど、一人でアクロポリスのベンチに腰掛けているとなんかいろいろどうでも良くなってしまって、嫁さんから届いていたメールを読んで昨晩食事をした中華屋のあるシンタグマ広場で合流することにした。

昨晩 0 時近くまでいた中華屋には同じ面々がいて店を営業していた。この人たちはよく働くなぁと感心しながら店に入って食事を注文した。ギリシャ人は働かないと日本のマスコミでは言われるけど、アテネのこの中華屋の人たちも、サントリーニ島のホテルの人たちも、朝早くから夜遅くまでとてもよく働いていた。実は EU の中でギリシャ人の労働時間は結構長い方だという記事もある。新聞やテレビで見るのと実際に訪れてみるのではずいぶん事情が異なるなぁという思いを強くした。

昨夜の店内には現地のギリシャ人の客しかいなかったが、この日の店内には中国人だらけだった。

中国人の観光客はギリシャにいっぱいいたが、不思議なことに彼らは昼間はそこかしこにいるのに、夜になると潮が引いたかのようにさっと姿を消す。それは見事なものだった。夜の街を出歩いて中国人の姿を見かけることはないし、盛り場に行っても夜に中国人の姿を認めることはできない。

ミコノス島で二日連続通ったレストランの面白ウェイター氏によると、中国人はあまり良い旅行をしていないそうで、一泊ずつ街を転々とするのだそう。ひょっとしたら毎朝早い時間に宿を出て次の街に向かわなければならないから彼らは夜の街に姿を見せないのかも知れない。

athens-plaka-1

食事のあとはシンタグマからプラカ地区の土産物屋を冷やかしたりしながら宿のある方向に向かって歩いた。途中土産物を買うため嫁さんとアクロポリスのあたりで別れ、自分は一人で宿まで預かってもらっていた荷物を受け取りに行った。

athens-plaka-2

地下鉄駅で嫁さんと合流して、再びアテネ空港に戻り、自分が行ってみたかったクロアチアのドゥブロヴニクに向かった。待ちに待ったときが来た、という感じだった。

Little Venice

2015年6月19日

Santorini to Mykonos

サントリーニ島からミコノス島への移動は3時間程度だった。乗船したのは Hellenic Seaways の Highspeed 4 という船で、高速フェリーのためデッキに出て外を眺めることができなかったが、船内は広く、売店もあり、エコノミークラスでも客席は足下が広々しており快適そのものだった。アテネ−サントリーニ間をフェリーで移動するのは時間がかかるので時間に余裕のあるバックパッカーとかでないと難しいかもしれないが、ミコノス−アテネ間であればちょうど良いと感じた。

Continue reading...