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 Twitterをやっていると、短い言葉の力について考えさせられることがよくある。

Selfortrait_Normal

禁治産者 Twitterやってる人たちだけ言語感覚が研ぎ澄まされていくような気がする。

09:23 AM December 21, 2007 from movatwitter

 これを書いた直後はある人に否定されてしまったのだが、わたしは十分にありあり得ることだと思う。わずか140字で人の共感を呼んだり同意を得たりするには、修辞的な手法が非常に重要になってくる。

 例えば、わたしの上の発言を受けて @makopin が発したものに以下のようなものがある。

_______normal

makopin Twitterやってる人達は言語感覚が研ぎ澄まされすぎて社会の中でガラパゴス化する気がする

10:50 AM December 21, 2007 from movatwitter

 これが例えば、単に「Twitterやってる人達だけ社会から取り残される気がする」だったら、3人からfavされただろうか(ふぁぼったーで確認する限り3人からfavされているが、わたしもfavっているので最低でも4人はこの発言をfavしている)。社会の中でガラパゴス化という修辞がぴりりと利いたアクセントの役割を果たしていると思う。

 ところで最近、@utabito のポストを毎回楽しみに読んでいるのだが、むかしの人はなかなかどうして日本語がうまかった。中高生の頃はちっとも良さが分からなかった和歌が、@utabito を介して読むととても心に響いてくる。Twitterをやることで短い言葉の力を知ったからだと思う。

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「TwitterでTwitterの話をするのは、コミュニケーションするときコミュニケーションについて語るようなものだ」という趣旨のポストをTwitterで拝見した。確かに、TwitterでTwitterについて語るのは本末転倒のような気もする。Twitterはコミュニケーションツールなのだ。

しかし、人とコミュニケーションをするにあたっては共通の話題というものが必要だ。わたしはダンス音楽が好きだが、わたしのFollowerはヘヴィ・メタルが好きかも知れない。そんなFollowerに対してダンス音楽を語っても、相手はちっとも楽しくないだろう。しかしTwitterについての話題ならば、相手も多少は食いついてくるにちがいない。なぜならTwitterを利用している以上、Twitterにはある程度の興味があるはずだからだ。

そういうわけで、今宵もTwitter上でTwitterについての会話が交わされるわけである。

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Twitter

 Twitterをやりはじめてブログを全然更新しなくなった。最初は自分の言いたいことなんて140文字以内に収まるからかな、などと消極的に考えていたが、最近は考え方が変わってきた。ブログでの自分というのは猫かぶったり格好つけたりしてる気がする。一方でTwitterでの自分は素に近いと思う。ブログを書くには心の準備のようなものが必要だが、Twitterにはそれが必要ない。思ったことを、家族や友人に語りかけるみたいに気軽に書くことが出来る。これが多くの人をTwitterアディクトにさせる理由の一つではないかと思う。

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 最近またTwitterにハマってます。

 Twitterをやるようになってさっぱりブログを書かなくなったわけだけど、最近ちょっとTwitterとブログの相違点について考えてる。

 Twitterというのは非常にカジュアルだと思う。日常の出来事を書いたり、他愛もないことでユーザー同士で言葉遊びしたり。一方でブログはフォーマルだ。ブログはマスメディアに近いと思う。

 アルファブロガーてのが存在する。何万という読者を要するモンスターブログ。書き手は一人なのに、読み手は何万人。これってテレビに近い。個人が細々やってるブログだと双方向コミュニケーションは成り立つと思うけど、数万単位の読者が付くようになったら、書き手と読み手の対等なコミュニケーションというのは不可能になると思う。非常にマスメディア的。

 一方でTwitterでは基本的に各ユーザーが一対一になる。だからコメント欄の罵詈雑言を相手にしないようなアルファブロガーは、Twitterなんてやってらんないと思う。

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 最近Twitterでどういう人がアツいのか分かってきて、そういう人たちをFollowするようになったんですけど、なんか輪に入れない。もちろん、片思いな人も多いのでそういう人に@コメントしても恥ずかしいだけだからそういう人には話しかけないのですが、両思いの人であっても、すでに仲良しネットワークみたいのが出来ててなんか@コメントしづらいのです。僕はこういうアツい人たちを“Twitter充”と命名したい。いやさせてくれ。

 もちろんTwitter充の輪に入れないのにはこちらにも原因があって、「おはよ〜う」とかやってる人に「@hogehoge おはよ〜う」ってやらない己の自己中さが関係しているんですよね。あと「北区」した人に「@hogehoge おかえり〜」とかもやらない。要するに自分のつぶやきたいことばっかTweetしてるんですね。サーセン。

 そんな自己中の僕に@コメントしてくれる皆さん、本当にありがとうございました。

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田舎だとtwitterやってる人少ない気がする。田舎の移動手段は車→移動中に携帯でtwitできない→twitterの面白み半減、みたいな。

同じ理由で田舎には読書家も少ないような気がする。移動手段が車やチャリだと、通勤通学の途中で本読んだり出来ない。

田舎のブックオフにマンガしかないのもうなずける。読書家を養成する土壌が田舎にはないのである。

 上記は僕の夕方頃のtweetsなわけですが、読者の方そう思われませんか? 東京から地元に引き上げて来て戸惑ったことの一つに古本屋の少なさがあります。旗の台には駅から自宅までの途中に1、2軒の古本屋があって、そこを冷やかしたりするのが楽しみでした。しかし田舎は幹線道路沿いにBOOK·OFFしかなくて、車で運転してるときにはふらっと入りづらくて(それなりの速度で走ってるので目的をもって入ろうとしてないと、ついつい通り過ぎてしまう)、しかもBOOK·OFFはマンガしかなくて、本を買いづらい状況なのです。

 そもそも田舎の人はたいていの人が車通勤なので通勤電車に揺られながら新聞読んだり文庫本を読んだりなんて優雅なことが出来ません。週刊文春とか週刊新潮とかも田舎じゃあんまり読まれてないんじゃないだろうかという気がします。

 実はこういう情報格差みたいのって、これから先どんどん広がって行くんじゃないだろうかと若干怖いです。インターネットとか情報技術革新って物理的距離を打ち破るものだと思っていたけど、逆に田舎の物理的制約(交通事情)が情報へのアクセス格差を拡大するみたいな。