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9月の日経の『私の履歴書』は三菱商事相談役の槇原稔さんが書いてる。お父さんも三菱商事の社員で両親がイギリス駐在中に生まれたこと、お父さんは戦時中に社命でフィリピンに向かっている途中で船を潜水艦に撃沈されて亡くなったこと、少年時代は三菱の岩崎家の子どもたちと一緒に育てられたこと、高校からアメリカに留学してハーバードを卒業したこと、などなど、いちいち「すごいなー」と思いながら毎日読んでる。特にアメリカに留学したというエピソードは、戦後まだそんなに時間もたっていない頃だからアメリカ人は日本人のことを「醜いジャップ」とか「ライスイーター」とか思っていたであろう時期で、よくこんなときに留学できたなー、住んでる世界が違うなー、と感じる。

僕は大学生になるまで総合商社の存在を知らなかった。広告代理店の存在も浪人して予備校に入るまで知らなかった(予備校で元電通マンの講義を衛星放送で受講してそういう会社があることを知った)。だって田舎に住んでたら、お父さんが商社で働いてて休日は高級外車で伊豆の別荘に行き、夏と冬の長期休暇には家族で海外旅行、みたいな生活してる友達とかまわりにいないもん。

都会の富を地方に再分配するという国の政策のおかげで、田舎に住んでても衣食住のレベルで都会との格差はあまり感じないけど、メンタリティーとか暮らしの中身とか人生観とかでは大きな差があるなー、と感じる。勝手なひがみかもしれないけど、親戚や友達のお父さんに商社マンでいて、世界を股にかけて物売って回ってる、昨日南米から帰ってきたばかり、みたいな環境で育った高校生と、田舎に住んでて両親は兼業農家、無理をして塾通いをさせてもらって東京の大学に行けるようにがんばってる、みたいな高校生だったら、同じ大学に入って同じ時期に就職活動を始めたとして、前者の方が有利なんじゃないか、って思う。人生のビジョンとか、働き方に対する考え方がはっきりしてるから。

別にこれを不公平だって主張する訳じゃない。でも『教養主義の没落』で言われる「立身出世」みたいな生き方というか人生モデルはもうフィクションなのかなー、と感じる。

なんかAERAっぽい感じになってきたのでこの辺で終わりにするけど、田舎生まれ田舎育ちの自分は、いったいどんな生き方をすれば一番幸せになれるんだろうか、って9月の私の履歴書を読みながら考えた、というお話でした。