手短に批評すると、『いつか読書する日』は駄作だった。独身の中年女性が、坂の多い街を徒歩で牛乳配達するというシチュエーション(しかも主演は田中裕子!)に惹かれて期待して見に行ったのだが、見事裏切られた。宣伝はシリアスなのに映画は時折コミカルな場面を挟んだりしていて、監督の意図と反対に広告が作られてしまったのではないかと思った。見に来ていた人はいかにも冬のソナタが好きそうなおばさんばかりで、この人たちもきっと純愛物を伺わせる宣伝につられてやってきて見事に期待を裏切られたはずだ。

 そもそもこの映画には構造的な欠陥があると思う。物語に必要とは思えない登場人物が出てきているし、本当は複数の独立したストーリーだったものを、監督が欲張ってくっつけてしまったのではないだろうか。恐らくこの映画は中年の恋と児童虐待と老人の痴呆の三つのテーマをごちゃまぜにしたものである。田中裕子が中年になっても昔の恋人のことを忘れられず独身を貫くという設定にはまり役だっただけに、非常に残念だった。

Continue reading...

 毎日新聞の甘口辛口新作ガイドでは「知的で刺激的な人間研究」なんて書いてあったけど、俺は個々の登場人物の駆け引きよりも、人生の無常というか、運命の皮肉というか、そういうものをテーマにした映画であるように思えた。見終わって何かと似ているなと思って考えてみたら、ディケンズ原作でアルフォンソ・キュアロンが映画化した『大いなる遺産』に似ていることに気がついた。もちろん、『大いなる遺産』ほどストーリーが壮大なわけではないが、テーマは似ていると思う。

 かいつまんで内容を説明すると、ロンドンで新聞記者をやっていた主人公はひょんなことからナタリー・ポートマン扮するストリッパーの女の子と知り合ってつき合うようになり、その子を主人公にした小説を書いて作家デビューを果たす。しかしジュリア・ロバーツ演じるカメラマンも捨てがたく、二股をかける。そんななか、ひょんなことから主人公はジュリア・ロバーツと変態ドクターがつきあうきっかけを作ってしまい、この四人で愛憎劇が繰り広げられることになる。すったもんだを経て、結局主人公はナタリー・ポートマンとよりを戻し元の鞘に納まるのだが、主人公は聞くべきではないことを我慢できずにナタリー・ポートマンに聞いてしまう。さあ、その結末やいかに、という感じである。

 この映画の見所はなんといってもストリッパー役のナタリー・ポートマンの演技である。あの妖しさ、艶かしさは凄まじいものがある。ああいうのを才能というのだろう。病的なまでの演技力である。ああいう女の子が身近にいたら、たとえ容姿は好みじゃなくてもころっと騙されてしまうのだろうと思う。