| @旅行/散歩

『悲しきアンコール・ワット』という本を読んだ。

アンコールワットは東南アジアを代表する遺跡だ。僕も去年10月にカンボジアを訪れて圧倒された。石で作られた遺跡の数々のクオリティはとんでもなく高い。是非とも一生に一度は訪れる価値のある場所だと思う。

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盗掘

カンボジア政府によると、カンボジアにはアンコールワットの他にも仏教やヒンズー教の遺跡が1000ヶ所以上あり、文化財がたくさん残っている。しかし植民地支配や内戦など不幸な歴史が折り重なり合い、盗掘が相次いできたらしい。

古くはタイのアユタヤ朝との戦いに敗れてアンコールワットの美術品が戦利品として持ち去られたし、フランスの植民地支配時代にはアンコールの仏像の美しさに魅せられた不心得なフランス人達が遺跡から仏像を切り取ってフランスに持ち帰るなどした。

第二次大戦後に独立を果たしたものの、貧しさのために盗掘はエスカレートし、内戦期やポル・ポト派が国を支配した時代には公然と文化財がタイへ持ち出され、世界中に密輸された。

1993年にポル・ポト派とフン・セン派で停戦合意し、その後はカンボジアに平和が訪れ、遺跡の盗掘も止むかと思われたが、事態はそう単純ではないようだ。というのも現政権の政府軍は、断続的にポル・ポト派を吸収するかたちで成立しており、軍の要職をポル・ポト派の元幹部が担っているらしい。従って地方によっては政権の力が及ばず、賄賂を握らされた軍人達が盗掘を黙認しているケースもあるそうだ。

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模造品

知らなかったのだけど、あんまりにも盗掘が多いものだから、カンボジアの遺跡仏像はこっそり模造品とすり替えられているものもあるそうだ。だから僕がアンコールワットなんかで見たもののうちの何割かは模造品だったのかも知れない。

また盗掘のみならず、模造品を本物として輸出する偽物ビジネスも横行しているのだそうだ。模造品製作の技術は遺跡の修復のためにも是非とも伝承していく必要のある技術であり、技術を得た職人達が偽物製作に手を染めたりせず、遺跡の修復だけで食べていけるようになるのが望ましい姿だと思う。

いまでも盗掘に手を染めるカンボジア人には、長期的に考えれば、先祖が残した遺跡を守ることが子や孫達の幸福に繋がることに気付いて欲しい。盗掘で荒らされた遺跡ばかりでは、外国人観光客もやってこなくなる。

そして密輸された遺跡を買ってるヨーロッパやアメリカや日本やシンガポールやタイの金持ち達に言いたい。アンコール遺跡の仏像はあの照りつける太陽の下、あるいは日が沈んだ静かなアンコールワットで見るから素晴らしいのであって、自宅に飾るもんじゃない。金にものを言わせてよその国の国宝級の美術品を自分の手元に置くなんて下品極まりない。

仮に遺跡に設置してある仏像が模造品であったとして、カンボジアの遺跡はカンボジアの太陽の下で、土埃の中で、においの中で見るのが一番だ。少なくとも自分は、夜の闇の中に照らし出されるアンコールワットの彫刻を見て、昔のクメール人達がどんなことを考えていたかが分かったような気がした。

蛇足

カンボジアの話とは直接関係ないのだが、ベトナムについての話が面白かった。カンボジア人はベトナムに対して複雑な感情を持っているらしい。歴史的に大国のベトナムに領土を圧迫されてきた経緯があるし、仏領インドシナだったときには、フランス人は自分たちの下にベトナム人を置き、ベトナム人にカンボジアを統治させたそうだ。

ベトナム戦争終了後に、ポル・ポト率いるカンボジアと統一したベトナムは戦火を交えることになるのだが、ベトナム統一後に取材でホーチミンを訪れた著者(著者の本職はカメラマン)は、ホーチミンと名前を変えられたはずの都市が旧称のサイゴンのまま呼ばれていることを知り驚いたらしい。統一したといっても南ベトナムは南ベトナムであり、住んでいた人達が入れ替わるわけではない。カンボジアに派兵されたベトナム軍は元南ベトナム出身者で構成されていたようで、歴戦のベテランではなく、5万人が亡くなった。ホーチミン市内では物乞いをする手足を失った傷病兵の姿を見かけることがあるが、旧北ベトナムのハノイではそのような姿を見かけることはないのだそうだ。北ベトナムが南ベトナムを支配していた、という構図がかいま見える。

さらに蛇足

この本は2004年の本だが、シェムリアップはかつてのネパールのカトマンズのようにバックパッカーの聖地になっており、アンコールワットの遺跡に登って朝日を眺めながらマリファナを吸うのが彼らにとって最高らしいみたいな記述があった。少なくとも半年前に自分が訪れたシェムリアップは割と安全な観光地で、朝からアンコールワットに登ってマリファナ吸ってたりしたら怒られるんじゃないかな? 欧米人のバックパッカーも多いけど、年寄りの欧米人旅行者の姿も結構目に付いた。そういうわけでちょっと情報が古いというか、現状とは認識が異なっていると思う。いまのカンボジア、少なくともシェムリアップは安全に観光が出来る良いところだと思う。

| @読書

去年の秋、『日本語が亡びるとき』が話題になってたときに、読んでみようかなーと本屋に行ってみたもののAmazonで人気の本が田舎の本屋に置いているはずもなく、しょうがなく代替品として買った『英語の歴史―過去から未来への物語』をようやく読み終えた。英語1500年の波瀾万丈の歴史を概説した本だ。

そもそもイギリス人って誰よ?

今日のイギリス人の源流は北ドイツやデンマークらへんに住んでいたアングル族、サクソン族、ジュート族であり、彼らの言葉が英語の元になった(民族大移動期にヨーロッパ大陸からブリテン島に移住し、先住のケルト人を追い払って国を作った)。だからもともと彼らの話していた言葉はドイツ語の方言のようなものだったんだけど、今日の英語は大きくそれとは異なり、一見すると別物だ。イギリスは古くはデーン人(バイキング)、フレンチノルマン(フランスに土着化したバイキング)の支配を受け、英語は北欧語やフランス語に強く影響された。さらにルネサンス期にはラテン語やギリシャ語、そして大航海時代には世界各地の植民地の言葉を取り入れて大きな変化を遂げた。

名字から分かるイギリスの歴史

ヨーロッパの名字には「〜〜の息子」というようなものが多いが、英語にはバリエーションが沢山ある。Anderson(アンドリューの息子)、Browing(ブラウンの息子)、Fitzgerald(ジェラルドの息子)、McDonald(ドナルドの息子)などなど。Andersonは名前の後ろに-senを付ける北欧のスタイルを取り入れたものであり、北欧の名字のAndersen(アンデルセン)に対応する。-ingを付ける方法はアングロサクソン系の元々の、名前の前にFitz-を付けるのはフランス由来、そしてMc-はケルト系の人々の風習である。このようにイギリス人の名字の種類を見てみるだけで、イギリスの大まかな歴史が想像できてしまうのだ。面白いではないですか。

洗練のラテン語と粗野な土着語

英語には頭にin-とかun-とかを付けて反対の意味になる単語があるけど(indispensableとかunfairとか)、ラテン語由来の単語にはin-を付けて、アングロサクソン系の言葉にはun-を付けるみたい。日本語の漢語と和語みたいな関係ですな。ところで僕らは気付かないけど、イギリス人は「漢語」と「和語」を使い分けることがあるみたい。例えば第二次大戦中の1940年にチャーチルが下院で行った演説。これは意識的に「漢語」たるラテン語由来の単語を避けて行われたようだ。自分たちの本来の言葉である土着語を使った方が粗野な感じがして国民を奮い立たせることが出来る、という意図があったらしい。

そもそも英語の学問用語はみんなギリシャ・ラテンに由来する借用語だ。イギリス紳士なんていうと上品なおっさんみたいな印象を持つけど、ギリシャ・ローマの文物に触れる前まではジェントルマンも所詮は野蛮人だったわけですなー。感慨深い。

シンプルになってきた英語

文法の変化も興味深い。もともと英語には男性・中性・女性と名詞に性があり、冠詞の格変化も複雑だった。しかしそれらが取っ払われて今日のようなシンプルな構成になり、代わりに以前はドイツ語のように「主語+動詞+目的語」のような並べ方でも、「目的語+動詞+主語」のような並べ方でも構わなかった語順が、冠詞の格変化が無くなったため「主語+動詞+目的語」という順番だけに制限されるようになった。個人的にはドイツ語の格変化には苦労したので英語がこういうシンプルな構成なのはありがたい。英語が今日世界中で使われているのは、文法的にシンプルなことも少なからず影響してるんじゃないかなーと感じている。もちろん、イギリスが武力で世界の覇権を握ったからってのは確実なんだけど。

hが発音されなくなるかも

発音では英語からhの音が消えるかも知れないという指摘が興味深かった。hを発音しないといえばフランス語が有名だ。ジャン・レノが映画のなかで英語を喋るときは「he」を「イー」と発音している。フランス人ってのはおかしな奴らだよなぁなんて思って見てたけど、近い将来、英語だってそんな風になるかも知れないらしい。現実にロンドンのコックニー英語ではhを発音しないし、そもそもh音というのは不安定な存在らしいのだ。hは無声の摩擦音だが、他の摩擦音は、fにはvが、th(θ)(thankとか)にはth(ð)(theとか)が、sにはzが、sh(ʃ)にはgd(ʒ)と、それぞれの無声音と対になる有声音があるのだ。しかしhにはこれに対応する有声音がない。言語というものは文法的にも発音的にも安定を求めるので、こういった不安定な状況は好まれないのだそうだ。従ってイギリス人がhistoryを「イストワール」とかheを「イー」とかhello「アロー」とか言う日が来ちゃったりして!

綴りと発音の乖離

語学の勉強をしていると、「書いてある通りに読むのがドイツ語、書いてある通りに読まないのが英語、書いてない通りに読むのがフランス語」みたいな洒落をよく聞く。フランス語に比べたらマシだけど、ドイツ語に比べたら日本人にはとても発音しづらいのが英語だ。イギリス人も綴りと発音の乖離は気にしていたらしく、両者を一致させようと試みた人達もいたらしい。しかしオーストラリアでは "I come today" を「アイカムトゥダイ!」と発音してしまうように、英語圏でも地域によって発音には差があるし、sign - signatureのように発音と綴りを一致させてしまうと、動詞形と名詞形の単語のつながりが分かりにくくなる単語だってある。これは問題だ。そういうわけで仕方なく、今日の英語の発音は綴りと乖離したままなわけ。中学生諸君はこれからも綴りと発音のズレに苦しんでくれたまえ。

ビバヒル英語がスタンダードになる日が来る?

そういえば英語には二人称youの複数形がない。これはなかなか不便だ。もともとはyou自体が二人称の複数形だったらしいのだが、これが転化して二人称単数を意味するようになった。フランス語やドイツ語では二人称の複数形を二人称単数の敬称に使ったりするんだけど、英語でもそれが起こって、二人称複数のyouを二人称単数の "thou" や "ye" の敬称として使ううちに、もともとの二人称単数であったthouやyeを使わなくなってしまったみたいだ。

それで思い出すのがビバヒルで良く使われる "guys" という呼びかけ。もともとguyは男を指す言葉で「奴」とか「野郎」みたいな意味なんだけど、カリフォーニャのナウなヤング達はyouとくっつけて使うことで二人称複数を表現してるみたい。実際、外国を旅行していてガイジンの姉ちゃんに「Hi, guys」と言われたときは「本当に使うんだ!」と思ってびっくらこいたけど、guysかアメリカ南部英語の "y'all"(you all)、あるいは英連邦で広く使われる "youse" が二人称複数形として正式に組み込まれる可能性だってあるらしい。h音のとこでも書いたけど、言語は安定を求めるから、二人称だけ複数形がないのを嫌がるだろうってことですね。

後半はいまいちだった

ここら辺までは非常に興味深く読むことが出来たんだけど、後半はコンピューターやインターネットで英語が拡張されつつあるとか、女性や黒人、障害者を差別するニュアンスの言葉が言い換えられているというような時事的な話題が主で、正直面白くはなかった。何か間に合わせの印象さえあって。

しかし前半は十分に知的好奇心を刺激する内容で、なかなかわくわくしながら読み進めることが出来た。個人的には大母音推移(Great Vowel Shift)の理由が説明されてないのがスッキリしなかったが、Googleで検索したところ、Great Vowel Shiftについては英米人も「理由は分からない」と言ってるいるようなので、これはまぁ仕方なし。

受験生は受験が終わって英語を忘れないうちに読んでみるといろいろ楽しいかもね!

| @写真

The Horseman

シンガポールに行ったとき、街でやたらとCrumplerのバッグを使ってる人がいた。どうやら本国オーストラリアに近いこともあって割と流行ってるみたい(アキバっぽい感じの人も使ってた)。Crumplerはオーストラリアのカジュアルバッグメーカーで、デジカメやノートパソコンを入れて持ち歩いても金持ってる風に見えない(盗難防止のためにあえてそうしてる)、けど信頼のタフネスを備えたバッグをいっぱいラインナップしてる。以前、P_BLOGの作者kazさんがJAM LOGで紹介してて、ちょっと欲しいなーと思ってた。日本でもヨドバシとか都会のカメラ屋では売ってるみたいだけど、地方では見かけず、しかもちょっと高かった。

僕がシンガポールを旅行してたのはちょうど円高にぶれ始めた頃だったので、日本で買うと25000円近くするThe Horsemanを、Crumplerのオフィシャルショップで税込み233シンガポールドルで買った。そのときのレートはだいたい1SGD=70円くらいだったから、16000円ちょいで買ったことになる。ちなみにシンガポールはGSTっていう7%の消費税があって、旅行者は出国時に申告すれば後日税金を還付してもらえるらしいんだけど、Crumplerのショップの店員のねーちゃんは「そんなのない」つって申告用の書類を用意してくれなかった。

The Horsemanはノートパソコンが入るスペースがあって、Crumpler Japanのサイトによるとデジイチも一緒に持ち運べる、みたいな感じで紹介してあるので、MacBookと一眼レフを同時格納するような使い方をしようと思ってたんだけど、やはり普通のメッセンジャーバッグにはカメラがうまく収まらず、しかも取り出しにくかった。ナイロンの生地とか縫製はかなりしっかりしてて、色やデザインはとても気に入ったので、何だかなー、カメラ用のバッグを買おうかなーと悶々としていたのだった。

そんなとき、Crumplerの公式サイトから取扱店のページを見てて、香川のメディアラボPLUSっていうカメラ屋のサイトを覗いたら、なんと一眼レフ用のバッグ、Million Dollar Homeシリーズがバーゲン価格で売ってる! 例えば定価10000円の5 Million Dollar Homeが、1月12日まで送料込み5840円で買える! これは安い! そういうわけで早速飛びついてしまった。

5 Million Dollar Home

昨日届いてちょっと使ってみたところ、これはイイ! レンズ装着した状態のボディを一個と、別に交換用レンズを一個、さらにブロワーやレンズフードを格納できる。ちょっと近所をぶらつくときなんかにはもってこいの感じだ。

5 Million Dollar Home

Million Dollar Homeはぶっちゃけニューモデルよりも旧型の方がデザインが良いと思う。もし一眼レフ用のバッグを探している人がいたら、CrumplerのMillion Dollar Homeシリーズがオススメです。ちなみに僕が買ったメディアラボPLUSってお店は、在庫なしになってる商品でも迅速に取り寄せて発送してくれるみたいです。僕が買ったときも在庫なかったけど、1月3日に注文して7日には発送してくれました。

  • Crumpler - Australia

    Crumplerのサイト。Crumpler Japanよりも本家オーストラリアのサイトの方が面白いです。Flash版とHTML版、どっちも良い感じ。

  • メディアラボPLUS TOP

    ここ安くて良かったです。オススメ!

| @散財

 Nokiaの携帯にいろいろアプリケーションをインストールしてて気がつくんですけど、Symbian OS向けのシェアウェアはどれも高いです。平気で$29とかします。iPhoneのApp Storeに慣れてるとぼったくりな感じがする。

お小遣い管理ソフト in App Store

 たとえばお小遣い管理ソフト。App Storeでは無料のものもあるし、中心価格帯も230円から450円ほど。一方で、Nokiaの携帯向けのアプリを紹介しているHandangoを見てみると、安いもので5ドルから。中心価格帯は10ドルから20ドルな感じです。PC/Mac用のシェアウェアの値段を考えてみても、2,000円から4,000円程度が主流でしょうから、App Storeのアプリケーションの値段はかなりお買い得だといえます。

 これは多分、Nokiaやコンピューター向けのシェアウェアは、ダウンロードして2週間くらいお試しできるからでしょう。App Storeではお試しが出来ないので、いきなり2,000円とか3,000円とか強気な価格設定にしてもなかなかダウンロードしてもらえない。それでソフトウェアの価格が安くなってるんじゃないかと思います。

 アプリの値段は安い方がユーザーとしてはうれしいのでiPhoneのApp Storeの方が利用しやすいとは感じますが、果たしてApp Storeの作者の皆さんは採算取れてるんでしょうか。

 TUAWにもこの手の話が載ってて、iPhoneアプリケーションを9.99ドルで売りたいんだったら、お試し用のフリーバージョンを用意した方がいい、って書いてありました。

 経済学で言うところのレモンの市場の原理が働いて、粗悪ソフトしかApp Storeに出回らなくなったら嫌ですね。

| @旅行/散歩

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 カンボジアでガイドを付けるときは、現地人のガイドを雇うのが暗黙の了解みたいになってるらしい。現地の人の雇用を確保するために現地人ガイドを雇うことは良いことだと思う。我々はガイドは頼まなかったけど、他の旅行者のガイドを見る限り、みんな公務員っぽい感じの制服を着てて、礼儀正しく、言葉もうまい。英語ガイドの他にフランス語、ドイツ語、中国語、そして日本語ガイドの姿を見かけた。僕が見かけたドイツ語ガイドや中国語ガイドの人はもうその国の人になりきっていて、まるでネイティブスピーカーのガイドみたいに流ちょうな言葉で案内していた。しかしそれでも恐らく留学経験はないはずだ、と一緒に旅行した親戚のお姉さんが言っていた。カンボジアで留学できるほどの金持ちなら旅行ガイドなんてやってないはずだからだ。

 面白いのだけど中国語ガイドの人は、中国人観客がそうであるように、とても大きな声で話していた。日本語ガイドやドイツ語ガイドは、幾分トーンを落とした声で案内していた。とても不思議だったけど、言語ごとの声の大きさってのがあるのかもしれないと思った。

 カンボジアには日本人観光客も多いけど、韓国人観光客も沢山いる。シェムリアップの幹線道路沿いには沢山ハングル文字の看板が出てて、正直驚いた。でも韓国人観光客は韓国人宿に泊まり、韓国料理店で食事をし、韓国人経営のお土産屋で買い物をし、全然カンボジアにお金を落としていかないと、カンボジア人のドライバーが愚痴をこぼしていた。さらにはガイドまで韓国から連れて来るので、カンボジア人にはすこぶる評判が悪い。現地ではカンボジア人ガイドと韓国人ガイドの間で暴力沙汰に発展したというニュースが報じられていたほどだ。

 貧しいカンボジアにとって外資の受け入れは必要なことなんだろうけど、一国に偏ると後々問題に発展しそうな気がしないではない。

| @映画/ドラマ/テレビ

 イギリスのコメディ。なかなか面白かった。4/5

 主人公のエンジェルはロンドン警察(スコットランドヤード)一の検挙率を誇るスーパー警察官なんだけど、あまりに活躍するものだから上司たちが自分たちの仕事ぶりが霞むのを嫌気し、サンドフォードという田舎町に飛ばすことを決定する。

 納得行かない主人公だが、しぶしぶ任地に赴く。婚約解消したかつての恋人のところに別れの挨拶をしに行くも煙たがられ、新しい恋人の存在を打ち明けられる始末。失意に打ちひしがれながら乗り込んだ列車の中でついにVodafoneの携帯は電波圏外となる。これほどの田舎町で主人公を待ち受けるのは想像を絶するぶったまげた人々の暮らしぶりであった。

 未成年が平気でパブに入り浸り、警官が飲酒運転したり勤務中に酒飲んだり、万引き常習犯もお咎めなし。それなのに村は毎年英国の美しい村ランキングで一位に選ばれている。つまりは村人たちが共謀して村の評判を傷つけるようなこと・ものについて隠蔽しているのである。

 根が真面目な主人公はそのようないかさまだらけの村の常識に馴染めずにいるのだが、狭い村の中で連続殺人事件が発生し、村の暗部に切り込むことになる。果たして真相をイギリス中に知らしめることは可能なのか? 主人公の孤独な戦いが始まる。

 この映画はまず第一に主人公を演じたサイモン・ペグの表情がとても面白い。驚いたときの顔とか。「ハァ?」っていう表情をよくつくる。

 第二に、イギリスの田舎町の描き方が面白い。イギリス人が自分たちでコスプレをやっているっていうか。外国人は自分たちのことをこういう風に見ている、ということを知っていて、わざとそのステレオタイプ通りに演じているという感じ。

 サンドフォードってのは実在する街で、ウェールズ方面にあるらしい。サンドフォード警察署には地元出身の警察官ももちろんいて、その中の一人のすごいじいさんの警察官は、全く聞き取れない言葉を喋る。そういう小ネタもすごく面白い。そういえば村上春樹のエッセイで、ギリシアを旅行していて理解不能な変な英語を喋る旅行者に出会ったので、「あなたは何人ですか?」と聞いたらスコットランド人、つまり英国人だったというネタが書いてあった。イギリス国内でもスコットランドやウェールズ地方の言葉は分かりにくいという共通認識があるのだろう。

 これは『ぜんぶ、フィデルのせい』を見たときにも思ったけど、ヨーロッパの映画は登場人物たちの着ている服がいい。『ぜんぶ、フィデルのせい』では主人公の少女アンナが着ているニットがとても色が良くて暖かそうで、目を奪われてしまった。この映画で主人公が着ている私服も、特別お洒落というわけじゃないんだけど作りのいいシャツとニットで、この辺にヨーロッパの生活レベルの高さが表れてるんだろうなぁと思った。

 最後ははちゃめちゃの銃撃戦になるんだけど、これは正直微妙だった。まぁコメディだからガンアクションにリアリティーを求めちゃいけないんだろうけど、夏に見たプライベート・ライアンやブラックホークダウンと比べると大いに見劣りするし、白ける。

 とはいえ、痛快なコメディで、外国好き、イギリス好きの人ならほとんどが楽しめる映画じゃないかと思う。

| @旅行/散歩

 もう旅行から帰ってきて二ヶ月経つし少々くどいけど、カンボジアの話。

値切ってるとこ

 カンボジアに限らず、シンガポールも含め、東南アジアは正札のない世界だと思う。値切れる人ならとことん安く買いたたくことが出来るし、値切れない人は多分ぼったくられる。値札による価格表示の店ならぼられないかも知れないけど、ちょっと小さなお土産屋だとかだと、まず最初ふっかけた値段を提示されて、そこから交渉で値段を決定していく、みたいな流れなんだと思う(そういう店はまず値札が出てない)。だからいきなり提示された値段でうんと言っちゃうのは格好のカモだろう。

 一緒に行った人が旅慣れした人で、買い物をするときやトゥクトゥク(バイクに引っ張ってもらうタクシーみたいなもの)を捕まえるときは徹底的に値切っていた。

 お土産屋でTシャツを買うときに自分も真似してみたが、値切ったときにカンボジア人のおばちゃんがすごく悲しそうな顔をして、1ドル2ドル値切ったところで自分の懐は大して痛まないのに、自分は最低なことをしているような気がして暗澹たる気分になった。だからといって「いいひと」のままだとぼられまくるわけだから、このへんはすごく難しい。