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今日は福沢諭吉の話です。

脱亜論の提唱者でありアジア侵略の思想的な後ろ盾だと考えられる福沢諭吉は、実は侵略主義者ではなかった、という趣旨の本です。福沢諭吉が侵略主義者だったかについては2001年に論争になったらしく、この論争がタネになって書かれた本です。(安川・平山論争 - Wikipedia)。

僕は小学生の頃に学校の先生から

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言ったけど自分の娘は士族としか結婚させなかったろくでもない奴

みたいな話を聞いてて、すごい悪人だろうなという感想を抱いてました。アジア侵略も福沢諭吉の思想が反映されて行われたんだろうとも漠然と信じていました。

しかし著者によると、これまでに何度か刊行されてきた『福沢諭吉全集』には福沢諭吉以外の論説が意図的に紛れ込まされており、福沢諭吉の評価がゆがめられているというのです。大変興味深い主張です。

本の要旨は、だいたい以下のような感じ。

  • 福沢諭吉は時事新報社という新聞社をやっていて、福沢諭吉全集の多くの部分は時事新報に掲載された社説。
  • しかし社説には無署名のものが多く、福沢全集には福沢以外が書いたものが含まれている可能性がある。
  • 福沢の弟子だった石河幹明という男はアジアを蔑視しており福沢は快く思っていなかったが、実子はあまり出来が良くなく他の優秀な弟子たちも実業界や政界へ羽ばたいていったため、仕方なく石河を編集主幹とした。
  • 没後、石河が福沢諭吉全集や伝記を編纂した。

要するにこの石河っていうおじさんが自分の名前で出しても世間に見向きもされないであろう(アジア蔑視的)文章を、福沢諭吉のものとして全集に紛れ込ませた、ってことらしい。晩年の福沢諭吉は脳卒中で倒れてから失語症になり、コミュニケーションが困難だったそうで、それを利用して石河はやりたい放題やったみたい。

確かに、福沢諭吉はアジア侵略主義者と言われるけど、日清戦争前は朝鮮の金玉均など独立派を熱心に援助してた。それなのにアジアを侵略しろと言うとかおかしいっちゃあおかしいんですよね。

とはいえ、無署名の侵略主義的な社説を福沢諭吉が書いていないことの証明はまさに悪魔の証明であり、確固とした証拠が提示されることなく本は終わってしまいます。

真実は神のみぞ知ると言ったところでしょうか。僕は平山さんの言ってることが概ね事実なんだろうとは思うけど、その証明は本当に難しいでしょう。

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This is England

評価 : ★★★★☆


"This Is England" (Original Soundtrack)

ブリットポップ前夜、フォークランド紛争後の1983年のイングランドが舞台。スキンヘッドの若者たちがクソなサッチャー政権とクソな社会に反発する映画。とても面白かった。

主人公ショーンは12歳の少年。父親をフォークランド紛争で亡くし、母親と低所得者向けの住宅で過ごす。父が買ってくれたフレアのパンツを学校に穿いて行って「ウッドストックに帰れよ」とからかわれ、しょぼくれてとぼとぼ家に帰っているところをガード下にたむろするスキンヘッド集団に声をかけられる。グループのリーダー、ウディに励まされたことでスキンヘッド集団と関わるようになる。

当初はウディらと健全(?)なスキンヘッドライフを送るショーンだが、ウディの旧友、コンボが刑務所から出てきてグループの調和を乱しまくる。彼は刑務所での経験がもとで人種差別主義者と化していたのだ。グループにはミルキーというジャマイカ系の男がいるのに、コンボは彼の前でも構わず人種差別的な言動を繰り広げる。これにウディは気分を悪くし、コンボを避けるようになる。結果的にグループは二分するのだが、ショーンは愛国主義的で排外的なコンボの思想に惹かれるようになる。コンボのグループは政治集会に参加したり、パキスタン系の移民を迫害したり、どんどん政治色を強めていく。そして悲しい結末がショーンとコンボを待ち受けているのだった。

冒頭のフォークランド紛争の報道映像を引用してるシーンがショッキングだった。地雷で片足を吹き飛ばされた英兵が担架で運ばれる映像が挿入される(補給艦に搭乗していてミサイル攻撃を受けて負傷した兵士らしい : フォークランド戦争 - MEDIAGUN DATABASE)。イギリスは結果的にフォークランド紛争に勝利したけど、多くの艦船を失い、少なからぬ死傷者を出したみたいだ。加えて社会に蔓延する英国病。なぜ移民には住宅が優遇されるのに、元々の住民であるイングランド人が貧しい暮らしを送らなければならないのか。コンボは極端な人種差別的国粋主義者だが、言っていることは一理ある。排外的なスキンヘッド集団が生まれたのには様々な時代背景があったことが分かる。

ストーリー以外の部分では、ウディ(風貌がルパン三世っぽい)のファッションがとても格好良かった。Ben Shermanのシャツの下にサスペンダーでぴちぴちのジーパンを吊し、ロールアップした足下にはDr. Martensのブーツ。さらに上からピンバッジ付きのMA-1などのフライジャケットを着る。フライトジャケットとかすごくダサく見えてたけど、ジャストサイズをこういう風に着こなすととても格好良く見える。イギリスでは2007年公開の映画だけど、この格好はこれから流行るんじゃないだろうかと思った。

英語も特徴的で面白い。どの英語がどこ訛りだとか詳しいことは分からないけど、comeは「カム」より「コォム」と聞こえるし、canは「キャン」より「カァン」と聞こえ、アメリカ映画の英語とは全然別物だ。「ああー、イギリスいいわぁー」っていうイギリスかぶれには辛抱たまらんはず。

加えて音楽。ブリットポップ前夜のイギリスはパンクロックばかりなのかと思っていたけど、そうじゃなくて、スキンヘッズはスカやレゲエ、ソウルも聴いてたみたいだ。1980年代に入ってからスキンヘッズは白人優位の人種差別的集団と化したようだが、そもそものルーツはジャマイカ系移民のスタイルに強く影響を受けていたらしい。だから人種差別主義者のコンボが、マリファナをくゆらせながらブルースを聞くシーンもある。僕はパンクはあまり好きじゃないのだが、作中で使われてた音楽はどれも格好良く、サントラを買おうとしたらAmazonでは何と在庫切れ中。そのくらいかっちょいい。

ショーンが年上の女の子スメルに恋をするんだけど、このスメルって子がまるでX Japanのメンバーみたいなメイクをしてて不思議な色気があった。

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"きみに読む物語 スタンダード・エディション [DVD]" (ニック・カサヴェテス) 『16歳の合衆国』、『ラースと、その彼女』でライアン・ゴズリングが良かったので、ゴズリング主演で評判の良い『きみに読む物語』ってのをDVDで見た。なんつーのかな、古き良きアメリカ映画って感じだった。高校の頃の音楽の先生が変わった人で、授業の最後の15分間くらいで毎回映画を見させてくれてて、『俺たちは天使じゃない』とか『白い嵐』とか『ラスト・オブ・モヒカン』とかを見させてもらった。3年間で結構たくさん見たと思う。どれもアメリカ映画で、白人の美男美女が主人公みたいのが多かったような気がする。で、『きみに読む物語』ってのはまさにそんなアメリカ映画の典型的なプロットに当てはまるストーリーだった。美男美女のカップルが、身分や家柄の差を乗り越えて、最終的には結ばれるというお話。 とにかくキスしまくる映画で、後半からはベッドシーンもあるんだけど、ヒロインを演じたレイチェル・マクアダムスがかたくなにおっぱいを見せない。いや別におっぱいが見たいわけじゃないんだけど、ベッドシーンだけカメラの構図が不自然でそれがすごく気になった。 アメリカの雄大な自然、豪華な作りの建物、自動車などなど、「これぞアメリカっ!」って感じのアイテムがいっぱい出てくる。物語は1940年から始まるんだけど、貧しいノア(ゴズリング)の家でさえ車を持ってて、街はにぎやか。こんな国と戦争したら勝てるわけがない。日本の高度経済成長期以後の生活水準をアメリカは既に戦前に実現してたって感じ。 パクス・アメリカーナって言葉がある。パクス・ロマーナ(ローマの平和)をアメリカに当てはめたものだけど、20世紀のアメリカは本当にパクス・アメリカーナな感じだったんだなって思う。ブロンドの俳優たちがチューしてる姿は、古代ギリシャやローマの彫刻を思い起こさせる。ラストは愛はどんな障害をも乗り越えるみたいな展開だし、終始ウルトラポジティブ。 『きみに読む物語』ではところどこに黒人が出てくるんだけど、ヒロインの実家(金持ち)の家のメードだったり、老後の主人公が入ってる老人ホームのスタッフだったりする。結局白人中心の世界から抜け出してなくて、黒人に単純労働とか面倒くさいことは任せてパクス・アメリカーナは成り立ってたんだなって感じた。 ゴズリングの出てる『16歳の合衆国』、『ラースと、その彼女』は、そういったパクス・アメリカーナの反対側を描いた映画だなって思った。『16歳の合衆国』とか特に。パクス・アメリカーナは虚構なんだよね。アメリカはイギリスから独立したけど、ほんのつい最近までイギリス風の植民地主義を引きずってた感じがする。 『きみに読む物語』、思春期の女子高生とかには超受けるだろうけど、俺は911以後の世界を描いたアメリカ映画の方が好きだなと思った。

| @映画/ドラマ/テレビ

テレ朝の報道発ドキュメンタリ宣言という番組をたまたま見た。『昭和史最大のスクープ 男装の麗人川島芳子は生きていた!』というタイトル。なんか二時間スペシャルだったみたい。これは結構面白かった。

川島芳子ってのはもとは清朝の王女で、7歳の頃に日本人の養女になり日本人として育てられたらしい。そんで戦前戦中はスパイめいたことをやったりしてたらしいんだけど、戦後は国民党軍に捕まって死刑が宣告され、処刑されたということになっている。しかし国賊の処刑は通常公開処刑にされるのに川島芳子の処刑は非公開で行われ、処刑の少し前の川島芳子は短髪だったのに公開された遺体の髪の毛は肩まであり、後頭部から銃で撃たれていて顔を確認することはできなかった、などなどの理由により、当時から川島芳子は生きているのでは、っていう噂があったらしい。

最近になって中国で川島芳子をかくまってた一家の人が名乗り出たらしくて、調査が行われてるそうだ。川島芳子と見られる女性に育てられたという女性への取材と再現ドラマを交えてドキュメンタリーに仕上げてた。

こういうのは源義経伝説みたいに眉唾な印象を持ちがちなんだけど、これほんとかも知れないな、と思ってしまった。

番組では李香蘭こと山口淑子と川島芳子との交流の話とか出てくるんだけど、WIkipediaで色々読んでたら、李香蘭って人はなんかすごかったんだなと思ってちょっと驚いた。ビリー・ホリデーみたいな半分伝説と化した人物かと思ってたんだけど、山口淑子さんていまも生きてるんですね。日本人なのに中国名で女優やってて、戦中は人気があったってくらいは知ってたんだけど、日本に帰ってきてからも女優やったり、テレビ司会や参院議員もやってたってのか。

李香蘭

戦前の日本は007とか映画の世界のようなことをやってた人達がいっぱいいたんだと思って圧倒されました。川島芳子が密かに生き延びてたという話もすごいけど、李香蘭こと山口芳子さんの人生も十分に壮絶だよ。激動の昭和史の一端を垣間見た夜でした。

| @写真

この前の比較は条件がバラバラだったので、出来る限り条件を合わせてもう一回撮り比べてみました。レンズはVR 18-200mm、両方ともピクチャーコントロールはスタンダードもしくはノーマル、ISO感度は200で統一、JPEG FINEでサイズは一番小さいサイズで撮りました。なおブログクライアントにectoを使ってるんですけど、ectoのはき出すサムネイルは汚いので厳密に見比べたい方はクリックしてオリジナルファイルを開いてください。

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| @雑談

渡辺千賀さんのブログで、シリコンバレーのベンチャーシーンを垣間見ることのできるカリフォルニアの観光スポットが紹介されてた。

朝食はここ、昼食はここ、お茶はここ、という感じでレストランやカフェが4件紹介されてる。シリコンバレーのベンチャーシーンはこういったカフェやレストランで動いてるらしい。自由に使えるWi-Fiがあって、みんなMacBook持ってきて仕事したりしてるんだそう。顔を合わせるうちに意気投合してビジネスの話に発展、みたいな感じだろうか。

で、いいなー、うらやましいなーと思ったのがカフェやレストランの営業時間。平日は朝7時から夜は11時まで開いてたりする。スゲー。

朝早くから開いてるカフェが家の近所にあったら人生楽しいだろうなー、と思う。週末なんかは朝からコーシー飲みに行ったりなんかしてね。うちの近所では喫茶店は早くても10時くらいからしか開かないし、夜は遅くても8時くらいには閉まっちゃう。そもそも近所の喫茶店で食事したりコーヒー飲んだりするっていう習慣がない。(受験で最初に東京に行ったとき、朝からサラリーマンがドトールに吸い込まれていく光景を見たときはビックリした!)

夜遅くまで開いてるカフェは、酒は飲まなくて良いけど夜に人と会いたいってときに行ける場所としても重宝するはず。うちのあたりだとファミレスのJoyfullくらいしかない。さすがにファミレスじゃビジネスの芽は生まれなそう。

いまのシリコンバレーでは、カフェやレストランが社交場になってて、ベンチャーシーンを下支えしてるってのはなんかいい話だと思う。まるで17世紀のイギリスみたいだ。海上保険はエドワード・ロイドっておっさんがやってたコーヒーハウスに起源があるのは知ってますか?

と、ここまで書いたところでこんな話があるのを知った。

リナカフェとか行ったことないしどんなのか分からないけど、ネットのヘビーユーザーのたまり場っぽいものらしい。で、それを山手線の西側に作ろうというのが阿佐ヶ谷ギークハウス計画らしい。なんかやろうという人達が集まって意見交換をしたりする場はきっと時代や洋の東西を問わず必要なんでしょう。日本にもカリフォルニアのベンチャー起業家御用達のカフェみたいなのが出来るといろいろ活気づくんじゃないかなと思った。

| @写真

昨日、地元の阿蘇神社で火振り神事ってのがあったんで、写真を撮りに行きました。火振り神事ってのはいろんな人が火の玉を振り回す行事で、五穀豊穣を願う炎の舞だそうです。これはなかなか見物です。

阿蘇神社 火振り神事

僕は物心ついてからは初めて見に行ったんですけど、ツアーバスでやって来た三脚ジジイの多さにびっくりした!

三脚ジジイ

こんな感じでずらーっと三脚ジジイたちに占拠されてる!

僕が良い場所で写真撮れなかったのは早くから行って場所取ってなかった自分が悪いわけですが、それにしてもこのじいさんたちうざい。僕の母親は仕事で火振り神事に来てたんですけど、「そこに立つと邪魔! こっちは昼から場所取ってるんだ」と罵声を浴びせられたそうです。ひどいもんだ。

五穀豊穣を神様にお願いする神事なのに、一体誰のためのイベントなのか分からないですね。

僕はカメラ好きだし写真撮るのも好きだけど、絶対こういう三脚ジジイみたいにはなりたくないと思った次第です。地元の人間に酷い言葉を浴びせてまで撮らなきゃいけないもんなのかね。