| @雑談

清澄み

会社の飲み会とかであれば参加するけど、基本的に外で酒を飲むのをやめた。厳密には 3 ヶ月に一度くらいは行ってるかもしれないけど、以前月 2 回くらいのペースで飲みに行ってたのをやめた。主に理由は二つあって、金がもったいないと感じるようになったのと、はちゃめちゃに飲んで二日酔いになり、翌日半日くらい使い物にならないのがもったいないと思うようになった。おっさんになると酒の飲み方が尋常じゃなくなって、自分はそんなに飲まなくても一緒に飲みに行くおっさんたちがめちゃくちゃ酒飲みだとこちらもつられて飲んでしまって、二日酔いにはなるし金はなくなるしで全くいいことなかった。飲んでるときは楽しくてわーわー騒いだり愚痴を言ったりしてすごく生産的な時間を過ごしているような気がするんだけどそれは全て幻想で、翌日は寝不足でズキズキと頭が痛み、仕事の日だろうが休みの日だろうが半日くらいは頭が使い物にならず無為に時間を過ごしてしまう。老い先短いのだから時間は有効活用しなければならないと思って、飲みに行くのをやめた。

とは言っても家では普通に缶ビール一本程度を飲むし、何なら仕事の帰りに缶ビールを買って電車待つ間に飲んだり、仕事帰りに海岸に行って飲んだりしてる(クズっぽい)。ただ一晩で何千円も飲み代に使うような酒の飲み方をやめた。

かわりといってはなんだけど、最近は昼ご飯を会社の人たちと食べに行くようになった。毎日外に食べに行くと飲みに行くのと同じくらいお金がかかってしまうけれど、一回 600 円とか 700 円くらいの外食を週に一、二度やるくらいだったら一月で 5000 円くらいにしかならないし、それで親交を深められたら安いものだと思う。二日酔いにもならないし。

というわけで今年やってよかったのはむやみやたらに酒を飲みに行くのをやめたことでした。

この記事は 今年やってよかったこと Advent Calendar 2019 2 日目の記事でした。

| @料理/食事

めん屋大仙

唐突ですが今日はラーメン二郎への愛を語ってみたいと思います。

僕はラーメン二郎が好きです。ラーメン二郎はなぜ素晴らしいのか。いろいろ理由はあると思います。まず味、独特です。ボリューム、異常です。アブラ、マシマシです。でも僕がいちばんラーメン二郎で好きなのは、二郎の雰囲気なんじゃないかという仮説にたどり着きました。

僕は2000年から2005年まで東京に住んでいてしばしば二郎を訪れていましたが、ホームページで二郎巡り遍歴を公開している人達みたいにたくさんの店を食べ歩きしていたわけではありません。主に目黒二郎、ときどき三田本店、ごく希に高田馬場、あとは赤羽の○二郎と上野毛二郎に一度ずつ行ったことがあるだけです。

京都では上洛する度にラーメン荘夢を語れに行っていましたが、最後に訪れたのは去年の2月でそれ以来行っていません。先日、熊本でも二郎風のラーメンが食べられると知って大仙というラーメン店を訪れました。熊本で二郎っぽいラーメンが食べられてとてもうれしかったです。本場の味を再現しようという意気込みも感じられました。しかし何かが違う。

結局、雰囲気なんです。僕は二郎の雰囲気が好きで二郎に通っていたんです。

二郎にはいろいろなルールがあります。客は客として偉そうにしていることが許される店ではありません。静かに整然と列に並ぶ、席に着く前に食券を買っておく、並んでいるときに店主から食券の色を聞かれたら素早く掲げて見せる、席が空いても勝手に座ってよいわけではない(一人客優先、女性客への配慮など)、水はセルフサービス、雑談しながら長々と食べることは許されない、食べたらどんぶりとコップをカウンターに上げ、テーブルを拭いてから出る等々。これらは多くのお客がやってくる二郎ならではのルールで、一人でも多くの人に二郎を食べてもらうためのものです。二郎で食事をするためには客もある程度の協力を求められるわけです。僕はその共同作業的な雰囲気が好きなんだと思います。

二郎にあってはポルシェで乗り付けるような金持ちも電車と徒歩でやってくる貧乏人も同列に扱われます。三田本店などでは体育会の学生が鍋二郎といって特別待遇を受けますが、金持ちがたくさん金を出したからといって並ばず食事が出来るということはありません。少なくとも目黒二郎ではそうでした。二郎の前にあっては人は平等なのです。

外食をしていると、ときどき飲食店で客だからとすごく偉そうに振る舞っている連中に出くわします。ああいうのは見ていて気分が悪くなります。もちろん二郎にもアホな客はいますが、アホな客は冷たい視線を浴びせられ、店主からもぞんざいな扱いしか受けません。

客は常に紳士であることが求められる。そこがラーメン二郎の素晴らしさなんだと思います。