零戦と戦艦大和という本を読んだんですけど、これがなかなか面白かったです。一見、軍国主義万歳みたいなタイトルですが、実際はなぜ日本が戦争に負けたのかを識者が座談会形式で討論しています。これがまたとない日本社会論で、『パラダイス鎖国』にも通じる内容でした。
「今日の日本は64年前の日本とは全然違う、いまの日本はあんな無謀な戦争はやらないし、軍国主義は既に過去のものだ」。多くの人がそう思っているんじゃないでしょうか。僕もそう思っていました。でも読めば読むほど、戦時中の日本軍の組織は今日の日本社会と符合する部分が多くてびっくりしました。
以下印象に残った点。
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戦時中、アメリカの方が戦況は優勢だったのに、アメリカ海軍は26人も指揮官を更迭した。一方で日本海軍はゼロ。敗軍の将に花道を飾らせようと据え置いたりするから、当然また負ける。末端の兵士には厳しかったかも知れないが、上層部には甘い組織だったのではないか?
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日本軍はカタログ偏重主義で、兵器の開発にもカタログ値が良好であることを望む。しかし本当ならセットで考えなければならない人員の配置・交代など運用方法を軽視するから、零戦や戦艦大和がどれだけ優れていても有効活用できないままに終わってしまう。大和の主砲は世界最強の威力を誇ったが一隻も敵を沈めていない。
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零戦の成り立ちはまるで日本のガラパゴス携帯のよう。海軍及び軍需産業は多品種少量生産が好きで、部品の標準化などを怠っていた。結果、大量生産ができず、十分な数の兵器を生産することが出来なかった。この伝統は今日の日本の家電メーカーにも脈々と受け継がれている。
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日本の兵器は零戦など高性能なものもあったが、使いこなすには使い手の熟練が必要だった。対してアメリカは操作が単純で新兵でも簡単に使える兵器を大量生産した。
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日本の軍人は武士道精神を好んだが、同じ武士道でも戦国時代に書かれた宮本武蔵の『五輪書』と江戸時代中期に書かれた『葉隠』ではまったく定義が異なり、『五輪書』では戦場でいかに敵を倒して生き延びるかが書かれているが、『葉隠』では「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」など、世襲官僚としての処世術が書かれている。後者の美意識を規範にした日本軍は人命を軽視するようになった。
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誤った武士道の解釈により軍人が防御機構を要望することは恥とされ、零戦の装甲は薄かった。結果多くのベテランパイロットと機体を無駄に失った。
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アメリカ軍は『プライベートライアン』などで描かれたように行方不明者が出たときに必死に捜索するなど個々の兵士を守ろうとするが(民主主義国家の軍隊)、日本軍は兵士の人命を粗末にあつかった(独裁国家の軍隊)。これが彼我の士気の違いにつながったのではないか?
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日本軍は一度作戦計画を練ったらそれが完璧だと思い込み、万一作戦がうまくいかなかったときのことを考慮しない傾向にあった。戦艦大和の装甲は世界一だったが、もし装甲が破られたときにどうするか(ダメージコントロール)が不十分だった。
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戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と言われたため日本軍に捕虜は存在しないことになり、万一捕虜になったときにどうするかといったことが兵士に教えられなかった。結果、捕虜になって絶望的な気分になり、アメリカ側に重要な情報を話してしまった将校もいた。
などなど。憲法が変わったり主権が国民に移ったり自衛隊がシビリアンコントロールに置かれるようになったり、外側は戦前から変わったと思うけど、中身があまり変わってないような気がしますね。非常に興味深い本でした。