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 昨日の日経を読んでいたら、中国が知財戦略に力を入れているという記事があった。

 中国は現状、テレビやDVDプレーヤーで世界一の生産量を誇りながら、特許を持たないために大きな利益を得ることが出来ず、薄利多売の状況が続いているそうだ。中国のDVDメーカーは、一台あたり約20ドルの特許料を日米欧の企業に支払っているとか。

 中国が取り組んでいるのは独自規格の開発。DVDに変わってEVDというものを開発し、この技術を採用した映画館の開館を中国全土で進めているそうだ。二万館のシェアがあればハリウッドもEVD対応を考えざるを得ない、という目算があるらしい。ブルーレイやHD DVDと競争しようというのだ。Continue reading...

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 久しぶりに映画を見た。『愛についてのキンゼイレポート』というもの。実在したぶっとんだ人物の物語である。率直な感想を述べると、とても面白かった。

 生物学者のキンゼイは、自分自身の結婚を機にセックスについて興味を持つようになる。キンゼイのペニスがあまりにも大きすぎて、うまく妻の性器に挿入できなかったのだが、医師に相談してうまいセックスのやり方を知る。それ以来、セックスについて悩みを持っている学生の相談に乗るようになり、次第に他人のセックスがどのようなものなのか興味を持つ。昆虫の採集と同じように人々の性体験を収集するようになり、本を出版。全米で物議を醸す。

 キンゼイは言う。人間は社会的な制約で性欲を押さえ込みすぎている。セックスは隠すべきものではない。また、ほ乳類では同性愛は珍しいことではなく、他のほ乳類は同性とセックスをすることがしばしばある。だから人間が同性とセックスとしてはいけないということはない。下らない道徳観はかなぐり捨てるべきだ。みんなもっとセックスについて知らなければならない。

 有言実行と言うべきか、キンゼイはついには同性とのセックス経験のある助手(もちろん♂)と関係を持ってしまう。それを包み隠さず妻に打ち明けると、妻は激しく悲しむ。しかし悲しむ妻に対して「君も浮気をしてみるべきだ」などと素っ頓狂なことを述べる。それを察知したのか、キンゼイと関係を持った助手が妻とセックスさせて欲しいとキンゼイに申し出る。自分自身浮気をしたことがある手前、断ることが出来ないキンゼイは己の了承のもと妻を助手に寝取られてしまう。このあたり結構えぐい。後半では研究グループのメンバーが増えるのだが、各々自分の妻と他人の妻を交換して乱交する始末。もはや意味不明。

 その後もキンゼイは鬼畜路線をひた走る。絶頂に到達する瞬間、女性器はどうなっているのかを映像に記録するため、”ハメ撮り”にまで手を出すのだが、あるとき性犯罪者とのインタビューで己の性犯罪暦を誇らしげに語る彼に違和感を覚える。そんななか、研究グループのメンバーが他人の妻とのセックスを単なる”摩擦運動”として割り切れなくなり、肉体以上の関係になってしまう。この辺りから、キンジーはそれまで考慮してこなかった愛について考えるようになる。

 俺はやはりセックスはただの摩擦運動ではないと思う。人間と人間があんなに近距離で目と目を合わせて共同の行為をするのだから、セックスをするためにはお互いが相手に対して好印象を持っていなければならないし、仮に相手に対して好ましい印象を持たないまま性交渉が始まったとしても、行為を重ねていくうちに愛情が目覚めていくのではないかと思う。だから愛情のないセックスなんてのは存在しないのではないだろうか?(もちろんレイプは別物である)

 それにしても妻役のローラ・リニーは綺麗だった。俺だったらあんな綺麗な奥さんがいたら、絶対浮気なんてしないし、ましてや同性愛にはまったりなんてしないけどな。綺麗な奥さんがいて彼女と素晴らしいセックスが出来るのなら、他人の性生活なんてどうでもよい。しかしキンゼイは違った。自分の興味が趣くままに、全米を巻き込みトンデモナイ方向へと向かっていった。

 しかし一方で、キンゼイが行ったような活動は必要だったとも思う。映画の冒頭で、あるカップルがセックスの仕方が分からないとキンゼイのところに相談に来る。聞けば前儀もせずにいきなり挿入しようとしている。結婚したばかりのキンゼイがうまくセックスできなかったのも、前儀をせずにいきなり挿入を試みたからだった。挿入する前には指や舌を使って女性器を刺激するということを、20世紀前半のアメリカ人は知らなかったのだ。この頃のアメリカでは、自慰は寿命が縮まりアホになるのでやってはいけないといわれていたし、オーラルセックスはその後妊娠できなくなるから御法度であるとされていた。

 キンゼイが唱えたように、セックスの仕方というのは、ある程度は誰かが教えるべきなのではないかと思う。明治以前の日本の農村では、夜になると若い未婚の男女が集まる小屋があって、そこで未経験者は経験者から性の手ほどきを受けたのだという。しかし明治維新後、西欧から持ち込まれた近代社会のシステムは、性に関わるもの一切を禁忌としたから、生殖活動可能な年齢になってもセックスの仕方が分からないというケースは沢山あっただろう。明治時代の小説でもそういうものをテーマにしたものがあったそうな(この辺は小谷野敦の『もてない男』に詳しい)。今でこそエロビデオが氾濫し、中学生くらいからみんな一応のセックスの仕方を知っているだろうが(AV男優のやってることをまんま真似したら即効で彼女に振られるだろうけどw)、各家庭にVHSが普及する前はセックスの仕方が分からず困っていたカップルは沢山いたのではないだろうか。

 でも不思議なことに、ビデオやネットでいくらでも猥褻物が氾濫しているというのに、出生率は下がっていくんだよなぁ。逆にビデオやネットが普及してない半世紀前の日本や、発展途上国の方が出生率が高かったりする。まぁ猥褻文化と出生率なんてなんの相関もないんでしょうけど、皮肉なものではあると思う。

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 少し前のニュースから。

東京での就職支援、パソナが地方大学向け新サービス

 人材派遣大手のパソナは、地方の大学に代わって、学生の東京での就職活動支援を請け負うサービスを始める。  東京に出先機関を持たない地方大学の“東京出張所”として、東京・渋谷に学生のための「キャリアプラザ」を設け、首都圏の求人情報を幅広く掲示する。若手の社会人を招いて研修会を実施したり、履歴書の書き方など各種の就職相談にも応じる。料金は大学から徴収し、学生は原則として無料で利用できる。Continue reading...

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 意外なことだが、ディーゼルはハイブリッドと並ぶ環境に優しいエンジンなのだそうだ(15日の日経朝刊)。ディーゼルは目に見える廃棄物と目に見えない廃棄物があって、これは二律背反でどちらかを少なくしたらもう一方が増えるのだそうだ。日本では目に見えない方の廃棄物が厳しい規制の対象となっていたため、ディーゼル車といえば汚らしい黒煙を吐き出し、上り坂をとろとろ走る悪い車というイメージが定着してしまった。しかしヨーロッパではディーゼルは燃費が良く、廃棄物も少ない環境に優しいエンジンだと認識されているのだそうだ。欧州の新車の二台に一台はディーゼル車なのだとか。そのくらいヨーロッパではディーゼルがフィーバーしているとのこと。日本に住んでいると、日本の自動車メーカーのハイブリッドエンジンだけが唯一無二のエコシステムのような気がしてくるが、ヨーロッパの自動車メーカーはディーゼルに力を入れ、かなり高度なディーゼル・エンジン技術を蓄えているらしい。ディーゼルエンジンのEクラスなんて想像できないけど、まさにところ変わればである。

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 今日はこの秋一番の良い天気だった。青く高い空、澄んだ空気、心地よい日射し。こんな日はドライブに出かけたりしている場合ではない。日が昇ってボディーが熱くなる前に、昨日までの雨で汚れた車を洗うのだ。

 十時前に車を洗い終わり、ボンネットを開けてみる。そう言えばアースキットを買ったまま、まだ施工していなかった。天気も良いことだし、オッス、オラ悟空! いっちょやってみっかぁ、というノリでアーシングを施すことにした。用いたのはダイレックスという小ぶりのドンキホーテといった感じのディスカウントストアで買った980円の安物キット。なお、以下の2サイトを参考にさせていただいた。Continue reading...

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 パンパー部分にぽっかり穴が空いていて配線むき出しになっているのがとても気になっていた。本来ならそこにフォグランプが付いてなければならないのだが、前オーナーが取っ払ってしまったようである。前にも書いたが、ひょっとしたらゴル男さんは事故ってお顔を取り替えているのかも知れない。フロントバンパーが年式の割に妙にきれいだからだ。だったらフロントグリルが取っ替えてあり、フォグランプが外してあるのも合点がいく。Continue reading...

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 楽天によるTBS株買収のニュースが世間を騒がせている。この問題を扱う報道番組などでよく出てくる言葉が、「公共性」。大方のメディアが同業者のTBSを公共性といういかにも清廉な感じのする言葉で擁護している。曰く、「放送局は公共性を備えていなければならない、だから楽天のような企業が放送局を買収しようとするのは不届き千万」云々。

 放送局に公共性が必要なのは分かる。しかし「はぁ?」と言いたくなってしまうのは、既存メディアの自信。自分たちこそが公共性、民意の代表者であり、楽天のような成金企業には公共性はないという根拠のない主張。放送局は選挙で選ばれた人たちが集って出来ているわけではないし、ただの一民間企業に過ぎないのである。それなのに声高に世間の代弁者を気取るのは止めて欲しいと思う。既存メディアこそが、郵便局や農協をも上回る既得権にぶら下がる集団なのである。

 ぶら下がり運動はほどほどにしておかないと、腰を痛めますよ。