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 これは面白かった、『運命じゃない人』。かなりイイ。オススメである。正直期待していなかったが、見ることが出来て本当に良かった。熊本で上映してくれたDenkikanに感謝である。

 この映画は実によく作られている。構成がバッチリである。むかしフジテレビでやってたドラマ『世にも奇妙な物語』などに通じる感じの時間軸がバラバラになっている映画。こういう作り方はとても難しいと思うが、うまくストーリーを組み立ててあった。

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COFFEE AND CIGARETTES

 Ζガンダムを見に行ったときに、ショッピングセンター内をうろうろしていてコーヒー・アンド・シガレッツのDVDを発見。衝動買いしてしまった。

 このDVDはかなりイイ。コーヒー・アンド・シガレッツは映画館でも見たが、圧倒的にDVDで見るのがオススメである。この映画は11編の短編から成る。カスなストーリーもあるので、自宅でそのときの気分に合わせて見たいストーリーを見るというのがサイコーだ。このナンセンス・コメディーは病みつきになる。

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 明日10月29日から第2部の上映が始まるという日になってようやく見ました、Ζガンダム星を継ぐ者。率直な感想は、うーん、微妙ですね。

 富野ガンダムといえば台詞がわかりにくいことで有名ですが、今回の劇場版は凄かった。テレビ放映された十数話のストーリーを無理矢理2時間に編集しているもんだから、ぶつ切りに次ぐぶつ切りの嵐。初めて見た人は意味が分からないでしょうね。特にカミーユの両親が殺されて、クワトロ、レコア、エマそれにカミーユの四人で話をしているシーンなんて、会話がかみ合ってなく全く以て意味不明でした。あれは俺がバカだから理解できなかったんではなくて、どんなに頭が良いやつが見ても意味不明なはず。

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 久しぶりに映画を見た。『愛についてのキンゼイレポート』というもの。実在したぶっとんだ人物の物語である。率直な感想を述べると、とても面白かった。

 生物学者のキンゼイは、自分自身の結婚を機にセックスについて興味を持つようになる。キンゼイのペニスがあまりにも大きすぎて、うまく妻の性器に挿入できなかったのだが、医師に相談してうまいセックスのやり方を知る。それ以来、セックスについて悩みを持っている学生の相談に乗るようになり、次第に他人のセックスがどのようなものなのか興味を持つ。昆虫の採集と同じように人々の性体験を収集するようになり、本を出版。全米で物議を醸す。

 キンゼイは言う。人間は社会的な制約で性欲を押さえ込みすぎている。セックスは隠すべきものではない。また、ほ乳類では同性愛は珍しいことではなく、他のほ乳類は同性とセックスをすることがしばしばある。だから人間が同性とセックスとしてはいけないということはない。下らない道徳観はかなぐり捨てるべきだ。みんなもっとセックスについて知らなければならない。

 有言実行と言うべきか、キンゼイはついには同性とのセックス経験のある助手(もちろん♂)と関係を持ってしまう。それを包み隠さず妻に打ち明けると、妻は激しく悲しむ。しかし悲しむ妻に対して「君も浮気をしてみるべきだ」などと素っ頓狂なことを述べる。それを察知したのか、キンゼイと関係を持った助手が妻とセックスさせて欲しいとキンゼイに申し出る。自分自身浮気をしたことがある手前、断ることが出来ないキンゼイは己の了承のもと妻を助手に寝取られてしまう。このあたり結構えぐい。後半では研究グループのメンバーが増えるのだが、各々自分の妻と他人の妻を交換して乱交する始末。もはや意味不明。

 その後もキンゼイは鬼畜路線をひた走る。絶頂に到達する瞬間、女性器はどうなっているのかを映像に記録するため、”ハメ撮り”にまで手を出すのだが、あるとき性犯罪者とのインタビューで己の性犯罪暦を誇らしげに語る彼に違和感を覚える。そんななか、研究グループのメンバーが他人の妻とのセックスを単なる”摩擦運動”として割り切れなくなり、肉体以上の関係になってしまう。この辺りから、キンジーはそれまで考慮してこなかった愛について考えるようになる。

 俺はやはりセックスはただの摩擦運動ではないと思う。人間と人間があんなに近距離で目と目を合わせて共同の行為をするのだから、セックスをするためにはお互いが相手に対して好印象を持っていなければならないし、仮に相手に対して好ましい印象を持たないまま性交渉が始まったとしても、行為を重ねていくうちに愛情が目覚めていくのではないかと思う。だから愛情のないセックスなんてのは存在しないのではないだろうか?(もちろんレイプは別物である)

 それにしても妻役のローラ・リニーは綺麗だった。俺だったらあんな綺麗な奥さんがいたら、絶対浮気なんてしないし、ましてや同性愛にはまったりなんてしないけどな。綺麗な奥さんがいて彼女と素晴らしいセックスが出来るのなら、他人の性生活なんてどうでもよい。しかしキンゼイは違った。自分の興味が趣くままに、全米を巻き込みトンデモナイ方向へと向かっていった。

 しかし一方で、キンゼイが行ったような活動は必要だったとも思う。映画の冒頭で、あるカップルがセックスの仕方が分からないとキンゼイのところに相談に来る。聞けば前儀もせずにいきなり挿入しようとしている。結婚したばかりのキンゼイがうまくセックスできなかったのも、前儀をせずにいきなり挿入を試みたからだった。挿入する前には指や舌を使って女性器を刺激するということを、20世紀前半のアメリカ人は知らなかったのだ。この頃のアメリカでは、自慰は寿命が縮まりアホになるのでやってはいけないといわれていたし、オーラルセックスはその後妊娠できなくなるから御法度であるとされていた。

 キンゼイが唱えたように、セックスの仕方というのは、ある程度は誰かが教えるべきなのではないかと思う。明治以前の日本の農村では、夜になると若い未婚の男女が集まる小屋があって、そこで未経験者は経験者から性の手ほどきを受けたのだという。しかし明治維新後、西欧から持ち込まれた近代社会のシステムは、性に関わるもの一切を禁忌としたから、生殖活動可能な年齢になってもセックスの仕方が分からないというケースは沢山あっただろう。明治時代の小説でもそういうものをテーマにしたものがあったそうな(この辺は小谷野敦の『もてない男』に詳しい)。今でこそエロビデオが氾濫し、中学生くらいからみんな一応のセックスの仕方を知っているだろうが(AV男優のやってることをまんま真似したら即効で彼女に振られるだろうけどw)、各家庭にVHSが普及する前はセックスの仕方が分からず困っていたカップルは沢山いたのではないだろうか。

 でも不思議なことに、ビデオやネットでいくらでも猥褻物が氾濫しているというのに、出生率は下がっていくんだよなぁ。逆にビデオやネットが普及してない半世紀前の日本や、発展途上国の方が出生率が高かったりする。まぁ猥褻文化と出生率なんてなんの相関もないんでしょうけど、皮肉なものではあると思う。

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 凄い映画を見た。面白いかどうかは別にして、迫力のある映画だった。

 南米コロンビアに渡り、エメラルド商で一財産なした早田英志という日本人の物語で、現代版ドタバタ西部劇@南米という趣である。しかもなんと本人監督主演。もう目茶苦茶である。

 本当はアメリカから監督と日系の役者を連れてきていたらしいのだが、ゲリラの出没する地域での撮影にアメ公どもが恐れをなして逃げ出してしまったため、本人監督主演ということになったのだそうである。さすがに若かりし日の早田氏役を本人が演じることは出来ないので、現地人を日本人として登場させている。日本人役なのにいかにも南米系の顔をしていて、日本語はとっても下手くそ。その辺がいまいちリアリティーに欠けていて萎え萎えなのだが、後半の早田氏本人が出演するシーンは実弾を用いた銃撃戦など迫力満点だった。現地人俳優と実物の早田氏のヴィジュアル面のギャップには目をつぶることにしよう(若かりし日の早田氏を演じた現地人の俳優はスラッとした八頭身なのに、早田氏本人はいかにも東洋人という小柄な体格で、南米風のポンチョなど来てもサイズがだぶだぶで非常にかっこわるかった。ティアドロップのサングラスをかけてあれほどださくなれるのは早田氏と村上春樹くらいである)。

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 ジャマイカの絶望的な国家財政と経済状況を描いたドキュメンタリー映画。IMFはひどい連中でジャマイカ人は大変困っている様子だった。なかでもショッキングだったのが、ミルクを下水に流して廃棄処分するシーン。アメリカから粉ミルクが安い価格で輸出されるため、ジャマイカ産の牛乳には買い手が付かないのだという。粉ミルクの方が加工にコストがかかるため通常割高になるのだが、アメリカは粉ミルクに輸出補助金を与えているため不当に安い値段でジャマイカに輸出可能なのだという。ジャマイカはアメリカに骨抜きにされて、もうアメリカに依存せずにはいられない状況におかれているのである。ちょうど麻薬の売人が客を麻薬漬けにするのと同じである。金を借り、負債を返済する。すると教育や医療に予算を割けない。教育水準が下がると将来の経済成長が鈍る。ふたたび借金をするという悪循環である。

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 『ヴェラ・ドレイク』はイギリスの映画。テーマは堕胎で重苦しい内容だ。

 大変グロテスクな映画である。それは堕胎を扱っているからではなく、心優しい人物が、困っている人を助けるために良かれと思ってやっていたことが、重大な結果をもたらすことがテーマだからだ。何が善で何が悪なのか分からなくなってくる。見る者を混乱させる映画である。

 エンディングに納得がいかなかった。一般的に映画のエンディングには二種類あると思う。一つはことの顛末をつまびらかにしてくれる観客に優しい映画、もう一つはうやむやなままに終局を迎え、最後は観客の想像力に託す観客に厳しい映画。後者の場合、結末は描かれないが、劇中で与えられた情報をもとに劇中の人物たちはどういう最後をたどるのか予測可能である。

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