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 感想を書くのがだいぶ遅くなってしまった。

 オランダの画家、ヨハネス・フェルメールが描いた絵、『真珠の耳飾りの少女』にまつわる話。ヨハネス・フェルメールは嫁の家に婿入りするようなかたちで絵を描いているのだが、嫁はヒステリックで美しくなく彼女をモデルに絵を描く気には到底なれない。代わりに下女のグリート(スカーレット・ヨハンソン)をモデルに絵を描きたいと思うようになる。グリートは色彩感覚に優れており、絵の具の調合も手伝わせ、フェルメールとグリートは絵を描く上でのパートナーになるが、アトリエで二人きりになるグリートとフェルメールに嫁は嫉妬を募らせる。家計を切り盛りする姑は、フェルメールに絵を描いてもらわないと家が破産するため、フェルメールとグリートの作業を支援する。

 正直言って凡作だった。フェルメールとグリートの、師弟愛とも男女の恋愛感情ともつかないような中途半端な関係の描き方は良かったが、過去をテーマにした映画の常として、建築物の制約などから場景が限られており、それが閉塞感を感じさせる。屋内の場面が多すぎるのだ。

 スカーレット・ヨハンソンは『ロスト・イン・トランスレーション』でも良いとは思わなかったけど、今回も良いとは思わなかった。欧米人はあの手の顔が美しく見えるのだろうか。フェルメールを演じたコリン・ファースは、養子でありながら家計を支える主という微妙な役柄をうまくこなしているように感じた。形見は狭いが威厳もある、みたいな。グリートはその威厳に畏れながらも、同時に惹かれてもゆく。もうちょっとフェルメールとグリートの絆に焦点を当てると見やすくなると思うのだが。

映画公式サイト:真珠の耳飾りの少女

<追記>

 一部修正しました。映画だけ見るとフェルメールは養子なのではないかと思えてしまうのだが、実際はそうではないらしい。ただ妻の母親と一緒に住んでいるというだけのことみたい。映画の中では完全な養子状態なんだけどな。フェルメール年譜

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 カンヌでパルム・ドールを獲得したらしいし、予告編も面白かったから期待して見に行ったんだけど、『かもめ食堂』に引き続きこれにも肩すかしを食った。

 フランスのちんぴらブリュノが主人公。恋人との間に子どもができても入院中の彼女の見舞いにも行かず、盗みや物乞いを繰り返す日々。恋人に散歩に連れて行ってきてと子どもを託されると、なんと我が子を売り飛ばしてしまう。本当にろくでなしの話。

 うーん、迫力のある映画ではあった。特にブリュノが盗みを働いた後に、仲間の少年と冷たい川に入って身を隠すシーンがあるのだけど、このシーンは圧巻である。なぜこんな目にあわなければならないのか? そこまでして盗みを働く価値があるのか? 考えさせられる。

 しかしこの映画、とにかく重い。救いがない。全編にわたって音楽が流されることはなく、フランスの街並みも汚い。『かもめ食堂』とは対照的にすごく衝撃的な映画なんだけど、その代わり華やかさがなくて、この映画はエンターテインメントではないと思う。

 モラトリアムというか、青少年の苦悩をテーマにしている点で、『誰も知らない』に少し似ていると思う。そういえばあれもカンヌで賞をもらっていたなぁ。でも『誰も知らない』の主人公の方が、弟や妹を思う気持ちがあって人間的だった。ブリュノが最後に涙を流すシーンでブツリと映画は終わるのだけど、彼は更生できるのだろうか? 恐らく僕は無理だと思う。

<蛇足>

 こちらも、同じ時間に上映していた『タブロイド』を見に行けば良かった。ていうかDenkikanさん、最近上映期間が短いですよ! 『ブロークバック・マウンテン』とか『るにん』は長期上映する割に他の作品の上映期間短すぎるっすよ。多くの作品を上映してくれるのは嬉しいけど。

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 昨日5月8日から入院したのだけど、今回の治療はかなり厳しく、かなり先まで外出・外泊できなそうなので、無理をして映画を見に行った。まずは二本みたうちの一本、『かもめ食堂』。

 フィンランドにおにぎりをメインとした食堂を開業した日本人女性サチエ(小林聡美)の話。客が全然来ない毎日を過ごしているが、ある日やって来たアニヲタフィンランド人青年にガッチャマンの唄の歌詞を教えて欲しいと頼まれ、それがきっかけで街のカフェで偶然見かけた日本人旅行者のミドリ(片桐はいり)に声をかけ、一緒に店で働くことになる。その後、空港で荷物を紛失しフィンランドから離れることが出来なくなっていたマサコ(もたいまさこ)も加わり、ゆるーいテンポで物語が進んでいく。

 見る前はすごく楽しみな映画だった。しかし見てからの感想は・・・。うーん、微妙。無印良品愛好者、Macユーザーは映画で使われているシンプルな家具やシンプルなライフスタイルを好むだろうと思う。とてもお洒落だった。僕は無印良品もMacも好きだけど、それだけじゃつまらないと思った。やっぱり中身がない映画はつまらない。

 僕の感想とは裏腹に、某SNSの熊本映画コミュニティや(あれほどSNSは嫌いだって言ってたくせについに加入してしまった! :-P )、毎日新聞の映画評みんなのシネマレビューYahoo!ムービーのユーザーレビューなどで評価が高い。

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 面白い映画だった。九州は全国公開に先がげて先行上映だったらしい。子役たちの佐賀弁が自然で良かった。景色も綺麗。佐賀といえば佐賀新聞を受験するために三回も訪れたのだが、クリークがあって日本のベニス(言い過ぎ)みたいでとても涼しげな街だった。なんでもっとこれを観光のために有効活用しないのだろうかと残念に思った。何しろ佐賀はうらぶれた感じの寂しいところなのだ。

 映画には古い街並みと綺麗な川が出てきたので、一体どこで撮影したんだと興味を持ってエンドロールを見ていたら、どうやら柳川で撮影したみたいである。佐賀の川は昔は綺麗だったんだろうけど、いまはどぶ川みたいのしかないからねぇ。

 この映画は島田洋七がちっちゃい頃の体験をつづった本が原作で、洋七は家庭の事情で母親の元を離れ、佐賀のばあちゃんの家に預けられる。小学生の頃から中学を卒業するまでのビルドゥングスロマン。ばあちゃんは貧乏でひたすらケチなんだけど、おもしろおかしくて明るい。ALWAYS三丁目の夕日的な感動がある。三丁目の夕日を見て良かったと思った人にはオススメである。

<蛇足>

 ばあちゃんと孫ものといえば、韓国映画で『おばあちゃんの家』というのを見たことがある。まだ韓流ブームとかが起こる前に、下高井戸シネマで見た。この映画でも、子どもが水商売(?)をする母親の邪魔になるので田舎のおばあちゃん家に預けられるのだが、このガキは何しろわがままでクソ生意気だし、おばあちゃんは口が利けなくてひたすら可哀想なのだ。孫に虐待されながらも、必死に孫の望みを叶えてやろうと奮励する姿が切ない。最後に孫がコロッと良い奴になるのが興ざめなのだが、総じて良い映画だった。田舎のばあちゃんにしばらく会ってない人は、映画を見てばあちゃんに電話でもかけてやってください。

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 俳優奥田瑛二が監督した第二作。この映画は見に行って良かった。俳優の撮った映画なんて大したことないだろう、なんて嘗めてたけど、すごい映画だった。迫力満点だ。“俳優が監督した映画”の域を超えていると思う。

 江戸時代、流刑地だった八丈島が舞台。火付けの罪で15歳で島に流された熟年遊女豊菊(松坂慶子)と博打で流された若い男佐原喜三郎(西島千博)の愛の物語。

 とにかくリアリティーにこだわっているのが良かった。テレビの時代劇とは全然違う。遊女がいて、裏切りがあって、人々は欲望に充ち満ちている。これが正しい江戸時代の姿なんだと思う。東京に住んでいた頃、江戸の歴史に興味を持ってちょっと調べたりすると、すぐに遊郭の歴史などを避けて通れないことに気がついた。それなのにテレビに映し出される江戸時代は遊女なんかがあまり出てこない。お金がない女は体を売って生きていくしかないというのが、古今東西の人間生活の真理なわけで、それをオブラートに包んだり無視する時代劇はニセモノだ。もっとこういう迫力のある時代劇が作られてしかるべきだと思う。

 この映画は時代考証も徹底していて、素人目には突っ込みの入れようがない。西島千博が浪曲を歌うシーンがあって、そのシーンが明らかに吹き替えってのがげんなりなんだけど、映画や小説にリアリティーを求める僕にとって大変満足のいく映画だった。松坂慶子の演技もすごい迫力だ。

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 DVDで『ビューティフル・マインド』を鑑賞。良かった。1994年にノーベル経済学賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュの話である。彼は若き日に後の経済学や生物学に大きな影響を与えたナッシュ均衡の概念を発見するのだが、統合失調症に悩まされ苦悩の人生を歩むことになる。映画は病気と闘いながらノーベル賞を受賞するまでの課程を描いている。

 いちおう僕は経済学を勉強しているので、ナッシュ均衡も学んだ。ミクロ経済学を知らない人に説明しておくと、ナッシュ均衡というのは、複数のプレーヤーが参加しているゲームで、そこから動きようのない均衡のことを指す(全然説明になってないな)。

 囚人のジレンマというのが有名で、プレーヤー同士が協力すれば一番良い状態に到達できるのだけど、他のプレーヤーが自分に協力してくれる保証はなく、協力的な戦略を選ぶと出し抜かれてしまうかも知れない。プレーヤー同士がゲームを行う前に交渉することは想定されていないから、結局彼らは相手が出し抜くことを考慮して自分だけの利益が最大になるような選択をする。お互いが欲を張った結果、協調したときよりもプアなパイしか得られないのである。

 映画で使われたのは、数人の男女がいて(合コンのような状況)、女の子の一人はブロンドで美人なのだけど、男たちがみんなブロンドにアタックしてしまうとふられてしまい結局誰ともデートできない可能性がある、というエピソードだった。つまり合コンなどの場で男たちが協調して行動すればみんなガールフレンドをゲットできるのだけど、みんなが一番の美人にアタックする願望を捨てきれない哀しい性のことを数学的に定義しているのがナッシュ均衡なのである(語弊ありすぎ)。

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フレンチなしあわせのみつけ方
 イヴァン・アタル、シャルロット・ゲンズブール夫妻の『フレンチなしあわせのみつけ方』をDVDで見た。

 この夫婦の映画は以前に『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』を見たことがある。これはとても好きな映画で、ロクにお金を持っていなかったにもかかわらず映画館で見たあとAmazonで予約してDVDを買ってしまったくらい気に入った。落ち込んでいるときに見るとハッピーな気分になれる。

 しかし今回の『フレンチなしあわせのみつけ方』は酷かった。「どうしたイヴァン?」という感じだ。要所要所でレディオヘッドの音楽が効果的に使われており、そのために★を一個付けたけど、それ以外はてんでダメ。

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