| @散財

 P_BLOGの作者、kazさんのJAM LOGを参考に、昨日から705NKのフォント変更にチャレンジしているのですが、なかなかうまくいきません。kazさんと同じように、705NKデフォルトのフォントHeiseiGothicS60b.ttfにヒラギノとLucida Grandeを移植する方法にトライしているのですが、英数字の高さが揃わなかったり、ヒラギノから移植した文字が小さ過ぎたりで・・・。ヒラギノから移植した文字は120%に拡大しているのですが、それでも小さくてバランスが悪いです。醜いスクリーンショットをさらしておきます。左が変更前、右が変更後です。

Screenshot0001 →  Screenshot0005

 ちなみに、フォントの変更方法はkazさんのJAM LOGと、Softbank 705NK wiki - フォント置き換え(ミラー)に詳しいです。

 ところで、フォント変更を行うとUSBケーブル経由でminiSDをマスストレージとして利用することができなくなりませんか? 「別のアプリケーションに使用されています」とか表示されて接続が拒否されます。/resources/fonts/HeiseiGothicS60b.ttf にフォントが置かれていて、ここをシステムが利用しているためだとは思うのですが、これは少し不便ですね。

| @写真

全部 No Photoshop ですよ。自然てすごいですね。

2007年の阿蘇の秋の夕暮れ

| @WWW

何よりぼくが一番戦慄を禁じ得ないのは、はてブのコメント欄で偉そうな事をホザいてるカスのサイトなりブログなりを見てみると、九割方それもカスだという部分なのです!(中略)傍流から本流に対して文句を言う。が、テメエの運営するのは糞ブログ。

 私はこの人が言うところのネットイナゴでありゾンビであります。非常に反省しなければならないと思いました。言うは易く行うは難し。

 こちらの記事も非常に興味深かったです。mixiを始めようとする人向けの記事ですが、ネットに限らず、あらゆるコミュニケーションにおいても当てはまる部分があると思います。

関門3 きみのこと、誰も見てないから

あなたのことなんて、誰も気にしていないから。mixiに自意識過剰は不要だから。

 面白いブログを書くというのは難しいものです。たいていの世の中の人は、書き手が有名人でもない限り書き手の個人的な日常には興味がない訳なんですよね。よほどその人がすごい経験をしていれば話は別ですが。

Continue reading...

| @WWW

 当該人物・組織自身がWikipediaの記事編集してもいいんじゃないですかね。それも織り込み済みなシステムだと思うんだけど。当事者に都合の良いように書き換えられても、編集合戦が起こってまた書き直されるだけでしょ。

 職場の端末でWikipediaにアクセスするのが問題だってのはその会社・官庁内部の問題であって、組織外の人間が騒ぎ立てる問題じゃないと思う。

| @Mac/iPhone

MacBookの内部温度昨夜の気温

 MacBookは湯たんぽ代わりになる。これはガチ。

| @読書

 万城目学の『鴨川ホルモー』が面白かったので、Amazonでオススメされていた森見登美彦『太陽の塔』を読んだ。同じく京大生が主人公。

 主人公は別れた年下の彼女(才色兼備かつ天然系)のことが忘れられず、四六時中彼女を監視しているストーカーです。途中まで「これなんて俺?」って感じで、大学生の日常がリアルに著述されてて大変楽しめました。レンタルビデオ屋でエロビデオを借りるときの表現とかかなり面白い。大仰な文章が滑稽さを際だたせるのです。

 ただクライマックスが近づくにつれ幻想的な描写が増え、最後の方は純文学的で軽く意味分かりませんでした。馬鹿には難しかったです。

 巻末に本上まなみによる解説が付いています。著者が彼女の大ファンだそうです。作中に出てくる主人公の自転車の名前はまなみ号。僕も本上まなみさん美人だと思います。でも解説自体は全然いけてなかった。

 最近女の子に振られた人が読むと共感できる部分が多いかも知れません。妄想パワー全開の一冊です。根暗な渋谷直角?

ちなみに

 万城目学氏と森見登美彦氏は割と仲がよいようで、別冊文藝春秋9月号で対談しています。まるで学生トークみたいです。年が近いのでこの二人には親近感沸きます。万城目氏から森見氏に対する「18歳に戻ったとします。サークルの新歓に本上まなみそっくりのかわいい新鮮な女の子がやってきていて、何もアプローチしなければ二週間以内に彼氏ができそうです。さぁどうしますか?」という質問がとても面白かった。

| @雑談

災害によって人が生きるか死ぬかということになったとき、見捨てるようなことはしないという建前を、まだこの国はもっているのである。

それが「建前」に過ぎないとしても、建前さえ存在しなくなってる国は、他にいくらでもあるだろう。

しかしこの建前が、そろそろ崩れ始める気配はある。

あれらの映像を流すニュースの報道を見ていて、ぼくはそう感じた。

あそこで報じられているのは「流されるホームレス」の姿であって、名前や住居をもった社会的に認知された「生きている人間」の姿ではないように感じられたからである。

 同意。派遣労働とか偽装請負とかワーキングプアの実態を見聞するにつれ、競争に負けた人間は本当にゴミ扱いされるばかりだなと感じる。こんな世知辛い世の中でも、ホームレスのおっちゃんの命は救助されるんだと、少し意外な安堵を感じた。でもそのうち人間の川流れを見ても誰も通報もしないし、救助も行わない世の中がやってくるんじゃないか。救助の様子を流すワイドショーは川流れをおもしろがってるみたいに感じられた。「絶好の飯の種きたこれ」みたいな。ワイドショーが川流れに飽きた頃、通報や救助は行われなくなるんじゃないかと思う。