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国造神社

5月の10日から11日にかけて行われた ASO VOLCANO TRAIL 2025 に出場した。初めて出たトレランのレースが今は開催されていない阿蘇草原マラニックで、そのとき第一回大会のことが紹介されていて ASO VOLCANO TRAIL の存在を知った。初めてのレースでマラソンも走ったことがなかった当時の自分からすると、阿蘇の外輪山を夜通し走るなんですクレイジー過ぎるし、自分がそんな超人みたいなことにチャレンジする日がやってくるとは思わなかった。しかしそれから 2 年で出場して完走してしまった。

レースでは曇り、晴れ、暴風、霧といろんな風景の阿蘇を見られた。夜の外輪山を自分の足で移動したのは貴重な体験だった。何世代か前の先祖にもきっと牧草を刈り取りに来て草泊まり(草で作ったテント)に泊まり、同じ光景を見ていた人がいただろう。生まれ故郷の知らない姿を見た気がした。

ずっと一人で走ってたけど途中から以前一緒に今宿の山を走った方たちの仲間に入れてもらい A6まで一緒に走らせてもらった。ずっと一人だったら坂梨から実家に帰ってたかもしれない。おかげでレース中の写真も撮ってもらうことができた。

ゴール直後こそダメージがあったが、翌々日には大腿四頭筋は筋肉痛なし、ふくらはぎはちょっと痛い。足の裏はマメ三箇所。爪は一本も死んでなさげ。三日後からは普通にジョグしてる。112km走って5000m登ってもほぼダメージがないとは自分でもびっくりしてる。人間は鍛えれば強くなるということだ。

何年か前の平尾台ではトレランザックではなくショルダーバッグを持って走ってる人に抜かれて悔しかったが、今回はトレランザックが小さくて荷物が入りきらなかったのか、トレランザックの上から普通のバックパックを重ねて背負いつつ、手にはハンドライトではなく普通の懐中電灯(単一電池が 4 本いるやつ)を持って走ってる人に抜かれて悔しかった。次のレースでは変な装備で走ってる人に負けたくない。

ふりかえり

スタート〜A1

阿蘇ミルク牧場

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後方スタート。渡渉やドロドロポイントで渋滞の影響をもろに受ける。体力的には全然平気。

A1 ではソフトクリームとバウムクーヘンとランチパックとだご汁とミニトマトを食べた。

A1〜A2

初めて出たトレランレースの阿蘇草原マラニックとほぼ同じコース。このコースめっちゃいい。阿蘇草原マラニック復活してほしい。阿蘇草原マラニックでは大観峰は通らなかったが今回は通れた。大観峰ではアグリーズの方がコーラを振る舞っていて、ありがたく一杯頂戴した。急登を登り切ったあとのコーラはとてもうまかった。

天気は曇りで山の全容は見えなかったが、右手に阿蘇、左手にくじゅうを見られて贅沢な景色だった(ガスってたけどそれでも絶景)。

A2 の国造神社では少し疲労を感じる。あとで合流させてもらう猫丸さんとアベタマさんと話す。

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A2〜A3

引き続き良い景色。飛ばしてるつもりはなかったが、振り返るとペースが速い。総じて前半はもう少し抑えて後半に体力をとっておくべきだった。

A3 までの途中で猫丸さんとアベタマさんに追いつき、ここから仲間に加えてもらう。このペースで行くと 20 時間でゴールとできるはずと教えてもらいビックリする。ただやはり実際はそんなに甘くなかった。

A3 は唐揚げが売り切れで食べられなかった。ポッドキャスト 7trails ラジオ練で聞いたエイドでの過ごし方の鉄則に倣い、何か食べたり飲んだりする前にゴミ捨て、水の補充、荷物の整理をやった。そうこうするうちに唐揚げはなくなっていた。代わりに高菜漬けと沢庵と切り干し大根を食べたが、阿蘇らしいあまからい味付けでとても美味しかった。味噌汁も出がけに飲んだが子どもの頃お寺の集まりで飲んだ味噌汁を思い出した。

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A3〜A4

坂梨から外輪山に登る。トレイル女学院と一部コースが被ってるらしい。根子岳がだんだん迫ってきて迫力満点だったが爆風で何度も体を持っていかれそうになった。根子岳と外輪山が接続してるところから森の中に入り上色見へ。トレイル区間の記憶があまりない。

A4 ではドロップバッグを受け取り着替えて靴を TIMP 5 から OLYMPUS 4 へ履き替えた。 OLYMPUS 4 はサイズがデカいのでレースでは履くまいと思っていたが、 50km 以上走って足がむくんでおりちょうど良かった。靴下を履き替えるとだいぶ気持ちよさが違う。ちなみに渡渉やドロドロゾーンで足の裏がふやけていて皮が剥けそうになっていた。本当なら靴下を履き替える前にテングバームを塗るべきなのだが忘れてしまっていた。

A4 はカレーがうまかった。一人一皿までらしいのに後ろの椅子に座ってる女性はお代わりして食べてた。ずるい。

A4〜A5

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A4 に入るまでは薄明るかったが A4 を出たときは真っ暗。気温も下がっていて寒さを感じた。 A4 を出てから標高を上げるまでずっとロード。根子岳がパカーンと見える月廻り公園を通ったのに夜なので何も見えなかった。

A4 から A5 までは距離は最短で 10km しかないが、はちゃめちゃに長く感じた。標高を上げると風もやばかった。この区間は雨が降ってなくて本当によかった。土の滑りやすい斜面を何度か下ったが、雨降りだったら悲惨なことになっていた。

A5 の高森峠エイドは通常のトレランレースであるようなエイドでテントが貼ってある屋外エイドだった。東屋の側面にブルーシートが貼ってあり椅子に座って寝てる人たちもいて、野戦病院の様相を呈していた。ここではほとんど休まず補給を済ませるとさっと出た。

A5〜A6

ロードと林道の道で標高を上げ、清水峠から激下り。一昨年の南阿蘇カルデラトレイルで登ったところを下った。トレランでは立ったまま下る人が多いけど、手をついて三点支持で降りたらこけなかった。三点支持以外でも、ロープのある場所は一人ずつ行く、ロープは股に挟むようにして持つ、というようの登山の基本的な知識をランニングしかやってない人は知らないことが多い。トレランマンや普段はロードしか走らない人も最低限の登山の知識は身につけておいた方が良いと思う。

A6 で一緒に走ってもらってた猫丸さんとアベタマさんと別れた。マメが痛かったのと膝の痛みが出てきており、下りのスピードについていくのが難しそうだったため。膝は横側が痛くてこれまで経験したことのない嫌な感じの痛さだった。

猫丸さんたちが出発したあと、靴を緩めてしばらくぼっーとしてた。マメは A4 でテングバームを塗り直しておかなかったのが悔やまれた。

A6〜ゴール

猫丸さんたちから 20 分くらい遅れで A6 を出た。駒返峠の取り付きまでずーっとロード。傾斜が緩い区間はジョグ、きついところはパワーウォークで進んだ。南阿蘇カルデラトレイルではここは下りなので一瞬で終わったけど、登るとかなり長い。みんなも疲れてるようで、駒返峠を登り切るまでに何人か抜いた。

しかし峠を登り切って日が出てきたくらいから急に眠気が襲ってきて体が動かなくなった。脊振山系全山縦走のときに経験したやつだ。 5 時とか 6 時くらいが一番眠い。さっき抜いた人たちにあっという間に抜き返され、さらに後方の人にも抜かれた。

しばし停滞したので体が冷えて寒い。夜が明けたら霧が出てきて気温が急激に下がってきた。体を動かして心拍数を上げなければならないが眠くてどうにもならない。カフェインで目を覚ましたいのにメダリストのカフェインジェルは 21 時ごろと 3 時ごろに摂っており残弾がなく、カフェイン入りは普通のマグオンのジェルしかない。このフラフラ状態では滑落しかねないと思い、マグオンを食べると、信じられないくらいフラフラだったのが目が冴えてきて動けるようになった。登りで頑張りすぎて低血糖気味になっていたのかもしれない。 ANDO_ は適宜摂っていたが、これは比較的ゆっくり血糖値を上げるので、低血糖気味のときにはジェルやラムネのようなものの方が良さそうだ。いつ自分が低血糖なのか知りたい。血を取らずに血糖値がわかるテクノロジー開発されてほしい。

南外輪山の最も雰囲気の良い区間をフラフラで歩いたのはもったいなかったが、大矢岳のあたりで復活してからぐんぐん下って、ロードに出てからもキロ 8 分くらいで走り続けた。方々にダメージは来てたが走れないほどではなかった。南阿蘇カルデラトレイルのときは地蔵峠までの登りがとにかくしんどいが、下りで通ると楽ちんだった。

ゴール直前で知ってる人に追いついたので一緒にゴール。タイムは 25 時間 18 分 56 秒だった。大矢岳で復活したことを考えると、猫丸さんたちについていけてたかもしれない。

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ゴール後

ゴール後には猫丸さんたちとも会話して、更衣室で着替えて(気がついたら更衣室で小一時間寝てた)、南阿蘇鉄道の中松駅から列車を乗り継いで実家まで帰った。自分はチートで親に車を出してもらってアスペクタから中松駅まで送ってもらったが、歩いて中松駅まで移動している人もいた。 110km 走ったあとに大荷物でお疲れ様です。乗合タクシーとかあればいいのに。

列車の乗り換え待ちで立野駅で食べたビーフピラフがシャバの味がしてうまかった。阿蘇駅に着いたらまだ食べ足りなくて、駅の近くのラーメン屋でラーメンを食べてから帰って昼寝して温泉に行き、夜は 11 時間くらい寝た。

練習

3 月は月間 200km の 8165m アップ、 4 月は月間 231km の 10831m アップだった。自分は普段月間 150km くらいの走行距離なので直前 2 ヶ月は結構頑張った。それでも平日は仕事が忙しく、 1 、 2 回しか走れないことが多かったので週末に土日の片方はロードを長めに、もう片方は山に行くという練習をやってた(米の山通信のボルケーノ攻略回で聞いた内容、いわゆる Back to Back )。

山練は時間がないときは家の近所の今宿四座周回( 8.4km 、 700m アップ)、時間があるときは三瀬峠↔︎脊振山ピストンの練習をやった。 4 月頭には脊振山系全山縦走をやって夜通しトレイルを走る練習もやった。以下に 3 月、 4 月、 5 月の山練を列記。

日付 内容 距離 獲得標高
3/1 三瀬峠↔︎脊振山ピストン 26km 2100m
3/9 今宿四座周回 8.8km 713m
3/21 今宿四座周回 9.2km 689m
3/22 三瀬峠↔︎脊振山ピストン 25.8km 2073m
3/30 今宿四座周回+α(飯盛練) 16.5km 1649m
4/4 脊振山系全山縦走 79.1km 5819m
4/20 糸島四座縦走 18.7km 1572m
4/27 三瀬峠↔︎脊振山ピストン 26.5km 1998m
5/4 今宿四座周回 8.6km 674m

↑に加えてトレイルに入らずできる林道練や、家の近所の低山でのトレイルインターバルなんかもやった。

三瀬峠↔︎脊振山ピストンはだいぶ鍛えられた。その後やった糸島四座縦走が楽に感じられるくらい。 3 回目の三瀬峠↔︎脊振山ピストンのあとはまだ体力に余力を感じられた。きつい練習は一回一回自分が強くなっていくのがわかるので面白い。

今宿四座周回は 2 年前の自分にはチャレンジングな内容だったが、いまはお手軽なジョグという感じになってきた。時間がない日に手早く山に入りたいときに便利。ただし、飯盛神社と高祖神社に寄る飯盛練は斜度 10% でかなりきつい。

極めつけは脊振山系全山縦走。このコースは YAMAP では 72km と表示されるが COROS での計測ではほぼ 80km だった。自分のトレランの最長記録は昨夏のキリエビロング 65km だったので最長記録を更新した。

装備

前半と後半で上半身とシューズを変えた。ノースリーブを忘れて、レース後の着換え用に持ってきていたティートンブロスのアクシオライト T シャツを着て走ったが、寒かったのでちょうど良かった。スリーブレスを着るには寒すぎた。

前半

  • Tシャツ
    • Teton Bros. アクシオライトティー
  • シューズ
    • Altra TIMP 5

後半

  • ドライレイヤー
    • Onyone ブレステックPP
  • ベースレイヤー
    • Patagonia エアシェッドプロプルオーバー
  • シューズ
    • Altra OLYMPUS 4

共通

  • 帽子
    • Patagonia ダックビルキャップ( A4 で交換)
  • 靴下
    • Danish Endurance( A4 で交換)
  • ウィンドシェル
    • Patagonia フーディニジャケット
  • ザック
    • Paago Works Rush 11R
  • レインウェア上
    • Mont-bell バーサライトパンツ
  • レインウェア下
    • 山と道 UL All-Weather Pant
  • ヘッドライト
    • Milestone MS-i1
    • Petzl Tikka
  • バックライト
    • Nathan
  • ソフトフラスク
    • Nathan 532ml × 2
  • 手拭い
    • Chaoras スポーツ手ぬぐい
  • サングラス
    • Float リゲル

補給食

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たくさん持って行ったがかなり余った。ジェルを少なめにして ANDO_ とカロリーメイトを多めに持った。走りながらは食べづらいけど自分はカロリーメイトの味が好きだ。あとはアミノバイタルの青をエイドに寄る度に摂るようにしていた。キリエビに出たとき、いかに後半の筋疲労を抑えるかが長いレースでは大事だと思っていたので。加えて A3 と A6 ではアミノバイタルゴールドも飲んだ。

Pow Bar

あと昨年のキリエビ同様、 Pow Bar で復活したのが一回あった。中身に薬剤でも入っているのかなと確認したがオールオーガニックで変なものは入ってなさげ。自分は咀嚼する系の補給食が向いているみたいだ。今回、謎の右顎痛があって顎を動かして食べるのがきつかったのが悔やまれる(レースが終わったら嘘のように顎の痛みはなくなった)。眠気で死んでた区間も Pow Bar 食べればよかったかも。

カツサプ

今回、初めてカツサプを使ってみた。よく言われる無限の持久力のような感覚はなかったが、確かに登りで足がパンパンにはならないような? 一袋 1300 円で一回のレースでどのくらい使えばよいのか分からない。今回はスタート前に一袋 8 錠飲んで、 A3 からエイドに寄る度に 2 錠ずつ飲んでみた。錠剤が結構でかいのでソフトフラスクの水で飲むのはきつかった。

痛み

首の痛み

実はレース直前の 5/4 に最後の刺激入れ兼夜のランニングの練習で近所の周回コースを走りに行ったときに、斜面で派手に転倒してしまった。首から地面に落ちて首を痛めてしまい、ムチウチのようになっていた。病院で診てもらって異常はなさそうなので出場したが、下や横を向くと首が痛んだので走っている最中に痛みが出ないか心配だった。首を痛めてからレースまでは痛みがありジョグもできなかったので、ギリギリレース当日に回復して無事走ることができた。

足首の痛み

5/4に転倒したときに右足首を岩にぶつけて怪我をしていた。単なる擦り傷かと思っていたがなかなか良くならず、レース当日もまだ傷口から膿が出ていた。あとになってよくよく傷口を見てみると肉が削られていたようだ。いまだに少し腫れている。この状態で渡渉したり、ドロドロの水たまりゾーンに足首上まで浸かって走ったと思うとゾッとする。化膿したり破傷風になったりしなかったのは幸運だった。

足の裏の痛み

米の山通信のボルケーノ攻略回を聞いて、靴下は耐久性が高そうなものが良いだろうと思った。五本指ソックスであればマメを予防できるが、五本指ソックスは薄手のものが多いから破れるだろうと想像した。 Danish Endurance というメーカーのメリノウールソックスを最近気に入って履いていて、普通の靴下としては高いが、登山やトレラン用の靴下としては安い(一足 1200 円くらい)し、これで全山縦走してノートラブルだったのでこいつを使うことにした。

しかしテングバームの塗り込みが甘かったのか、靴下がよれていたのか、 A4 で靴と靴下を変えたときに見てみると右足小指に巨大な血豆が出来ていたし、テングバームを塗っていなかった中足部あたりはふやけてしまっていた。このふやけが原因で強烈な靴擦れから皮むけにつながるので危なかった。靴下と靴を履き替えたことで靴擦れは免れたが、マメは最後まで痛んだ。雨上がりや渡渉が見込まれるレースでは思考停止でドライマックスの靴下を選ぶべきかもしれない。

結び

100km 越えのウルトラトレイルレース、なんとかなるもんだった。それでも順位は後ろの方なので全然自慢できるようなものではないが、自分は長い時間をダラダラ走り続けることはできるみたいだった。

またすぐやりたいかと言われると微妙だし、100マイルのレースにすぐチャレンジできるとも思わないが、年に一回くらいはこういう過酷なレースに出てみるのもいいなぁと思う。

| @登山/ランニング

阿蘇草原マラニックで走る著者近影

阿蘇草原マラニックというトレランのイベントに参加した。ここ一年間は比較的真面目に走ってるので(靴を一足履き潰した)、山でも走れるのではないかと思って申し込んでみた。ただレースだときつそうなので順位を争わないマラニックというピクニックとマラソンを足し合わせたようなやつを選んだ。

感想としては一人で参加したのにめっちゃ楽しかった。ほとんどの人がグループで来てたのでボッチだとさみしいとは思いはしたが、普段走れない絶景の場所(外輪山の牧野は普段立ち入り禁止)を知らない人たちとはいえ誰かと一緒に走るのは楽しかった。イベント運営の皆さんが醸し出す雰囲気もピースフルでとても良かった。

とはいえコースは結構ハードで、公式の情報で距離 28km で累積獲得標高は 1000m とある通り( Apple Watch のワークアウトログだと距離 29.8km で累積獲得標高は 1143m だった)、普段からそれなりに走っていて、久住くらいなら楽に登れるという人でないと制限時間内にゴールは厳しいと思う。はな阿蘇美からスタートして国造神社で折り返すコースだったが、国造神社のエイドステーション出発の制限時間が2時間50分で、上り500mある14kmの距離を3時間弱で到達するのは歩きでは間に合わず、平地や下りはちゃんと走らないといけない。外輪山は平らなので走りやすいが、阿蘇谷から外輪山に出るまでの登りが結構きつい。もし来年出ようという方はそれなりのトレーニングが必要だと思います。

今回自分は往路は2時間20分、復路は2時間15分(国造神社のエイドステーションで25分くらい休憩)かかってたようだ。往路の最後で足がつり、復路はあまり走れなかった。外輪山に上がったあとはぼちぼちジョギングみたいなペースで走っていたが、外輪山を降りきって樹林帯に入ったところからまた足がつり、最後の 3km くらいは走っては休みを繰り返しながらゴールした。これまで最長でも 10km しか走ったことなく明らかに準備不足だった。前週に叶岳周回 9km を走って足つりとか疲労とかなかったので 20km くらいまでなら余裕だろうと思っていたが折り返し地点手前で足がつったので普段からもうちょい長い距離を走らないとダメそうだ。

トレランは袖なしシャツとかサンバイザーとかハイソックスとかギラギラしたサングラスとかのイメージがあって苦手だったけど、最近はサンバイザーとギラギラサングラスの人は減っていて(袖なしシャツとハイソックスの人はいる)おしゃれな人が多くて華やかだった(女性も多い)。ピークを目指さずトレイルを走るのが目的なのも新鮮で良かった。

参加費は行政の助成を受けているようでわずか1000円で、エイドステーションおよびゴール後の振る舞いや参加賞の温泉入浴券がもらえることを考えるとはちゃめちゃに安い。来年は価格が上がるだろうけど数千円なら全然払う価値あるなと思えるイベントだった。何より阿蘇の外輪山の牧野を走れるのはとても貴重。もし来年も開催されるのなら是非また参加したい。

| @雑談

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この記事は地方在住ITエンジニア(元・地方在住も可) Advent Calendar 2015 - Adventar 6 日目の記事です。地方在住ウェブエンジニアの著者が思ったことを書きます。


自己紹介

熊本出身で大学生の頃は東京に住んでいました。いまは福岡市に住んでいて、東京のインターネット企業に雇ってもらってます。リモートで仕事してます。

福岡のことを書かない理由

最初は福岡での暮らしについて書こうかと思ったのですけど、福岡在住の著名 IT エンジニアはきしだなおきさんや新井俊一さんなど以前からたくさんいらっしゃって情報発信しておられますし、最近では前職でご一緒させていただいた、昼に寿司を食べた舌が乾かないうちに夜焼肉を食べたりしている金満エンジニアで、天気の話からでも HashiCorp プロダクトの話に結びつけるづらさんや、女性ファン急増中のプラチナ貴公子スーパー Go lang プログラマーモノクロメガネさんなど雨後の竹の子のようにいて情報発信しておられますし、また福岡について書いたら最終的に「福岡便利ですよ、移住してみませんか」みたいな結論になりがちですし、加えてほかの皆さんの記事を読む限り福岡は地方には含まれなさそうなので、福岡にやってくる前に住んでいた熊本県阿蘇地方での生活を綴りたいと思います。

キャリアの始まり

僕が最初ウェブ開発を生業にしたのは熊本県の過疎地域、阿蘇地方でした。元々学生時代にコンピューターサイエンスを学んでいたわけではありませんでしたし、プログラミングというより HTML マークアップと雑用担当としてウェブ開発業界に潜り込みました。

地方のつらみ

ギャラが少ないことと勉強会に参加できないことがつらかったです。

ギャラが安い

実家暮らしだったので何とか生活できていましたが、年収200万に満たなかったです。地方にもインターネット関係の仕事がないわけではないのですけど、まともな賃金が支払われる仕事がないと感じます。地方でのシステム開発は、自治体が都会の SI 会社に発注する数千万円から数億円規模の仕事か、商店のホームページのアクセスカンター設置みたいなやつしかなくて、後者に対する報酬はとても少ない。一年と少ししか働いていませんでしたが、このまま歳をとるとやばいな、という危機感はありました。

勉強会に参加できない

田舎にいると勉強会的なものに一切参加できないのもつらかったです。勉強会がしばしば開催されている福岡に引っ越してきて何度か勉強会に参加してみたけれど、勉強会は参加するだけでは無意味で発表する側にならないと得られるものが少ない、ということがわかって勉強会渇望症みたいのはなくなりました。いまにして思えば隣の芝生は青い状態なだけだったという感じがあると思います。勉強会とかなくても学ぼうと思えば学べるはずです。ただし勉強会で発表しまくって目立ちたいとかそういう人は都会に住んでないとダメでしょうね。

相談できる相手がいない

職場に質問・相談できる相手がいないのが心細かったです。常に一人で考えて試行錯誤を重ねる必要がありました。それはそれで良い経験にはなっていたと思うけど、知っている人がいてヒントを出してもらいながらステップアップしていく方が断然効率的だったと思います。もし『情熱プログラマー』でいわれるところの師匠なような存在がいたら、今頃もっとよいエンジニアなれていたのではないかと自らの怠慢を棚に上げ思います。

街の灯火が遠い

ほかの人の記事を読むと通勤時間が長いと書いてる人が多いですけど、当時の職場は家から車で 10 分のところにあったので通勤時間に関しては不満はなかったです。この辺はたまたまが職場が家から近くてラッキーだっただけだと思います。ただ仕事のあとに映画を見たいとか本を買いたいと思っても、田舎過ぎて仕事帰りに何かするというのが無理だった(そもそも仕事が終わるのも遅かった)のはつらかったです。

田舎にいて良かったこと

自然

当時の職場が森の中にあって、職場から阿蘇山の景色を望むことができました。また昼休みに職場の周りを散策すると、小川があったり農家に引かれて道を歩いてる牛とすれ違ったりして毎日がちょっとしたハイキングみたいでした。疲れたときに窓から阿蘇の山々を眺めると癒やされましたし、毎日昼に散歩すると頭がすっきりする感覚があってよかったです。キャリアのスタート段階だった、独身で時間を自由に使うことができた等様々要因はありますが、当時はよく学ぶことができていたなという感じがして、これら自然環境が少なからずよい影響を与えていると思います。

無双

ギャラが少ない一方で上司が非技術者なのでやりたい放題できるというメリットがありました。課題に対して自分の好きなとおりに解決策を考えて解答を出すことができました。以前、社内 SE は無双できると書かれている記事を読みましたが、まさにそんな感じです。信頼さえ得てしまえば無双できると思います。

結論

  • 莫大な遺産があって働かないでも食っていける
  • スタートアップで働いていたが上場してストックオプションで億単位の金融資産を得た
  • 独身、あるいは妻子に逃げられて養うべき家族がいない(慰謝料とか養育費も払わなくてよい)

等々で収入が多くなくてもかまわないなら、田舎で仕事するのも良いのではないか、と思います。特にキャリアのスタート期を終えて一定程度のスキルを身につけている状態で、働き口さえあれば、地方に引っ込んでもそれなりに楽しくやっていけるのではないでしょうか。ただし地方に引っ込んでも最新技術へのキャッチアップを怠らないことなど、意識を高く持つことは大事だと思います。

勤務先を地方に求めず、リモートで東京の仕事を請け負う、というやり方もありますが、東京の会社に雇用されて福岡でリモートワークしている僕個人の考えでは、リモートワークというのはやはりなかなか難しくて(リモートワークアドベントカレンダーで書こうと思います)、特に業務委託などでフリーランスの人が仕事を受けながら働くのは、受け手が相当の熟達者か、発注者と受け手が元同僚であるとかでないとディスコミュニケーションが発生してお互いつらい気がします。正規従業員として雇用されている僕も月一回程度東京に行って、膝をつきあわせて仕事しています。

役所が都市部のハイエナ SIer に発注するような仕事以外にも、地方在住のエンジニアがローカルビジネスのオーナーから請け負って価値を提供できるような場所はあるのではないかと思っています。以前田舎で働いていたときに、もう少し自分にスキルがあってお客さんにも意欲があれば、もっとウェブ技術を使って便利にできるのになぁと思うことがしばしばありました。ウェブサービス作ってユーザーめっちゃ増やしてドカーンだけがエンジニアリングの使いどころではないと思いますし、地方出身者が都市部に吸い寄せられていくだけでは先祖代々の墓は誰が守れば良いのか分かりません。何年先になるか分かりませんが、隙あらば地元に帰って何かしてみたいです。

跋文

最後に福岡で働くことについて一言書いておきますが、福岡はブラック企業が多い街という印象を受けます。街がコンパクトで皆歩いて帰れる範囲に住んでいるせいか、終電の概念が崩壊しており、平気で午前 2 時、 3 時まで働いている会社があります。なので福岡最高、福岡便利、福岡手榴弾!!、!などといった甘言に惑わされず、移住を検討する際にはまともな勤め先を確保した上で断行してください。僕は福岡で最初に働いた会社が本当にひどかったです。以上です。


この記事は地方在住ITエンジニア(元・地方在住も可) Advent Calendar 2015 - Adventar の 6 日目の記事でした(一日遅れて書いてます)。今日の担当は飲み会後、歩いて帰れる距離でも必ずタクシー帰宅をキメる @h_demon さんです。お楽しみに。