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 イギリスのコメディ。なかなか面白かった。4/5

 主人公のエンジェルはロンドン警察(スコットランドヤード)一の検挙率を誇るスーパー警察官なんだけど、あまりに活躍するものだから上司たちが自分たちの仕事ぶりが霞むのを嫌気し、サンドフォードという田舎町に飛ばすことを決定する。

 納得行かない主人公だが、しぶしぶ任地に赴く。婚約解消したかつての恋人のところに別れの挨拶をしに行くも煙たがられ、新しい恋人の存在を打ち明けられる始末。失意に打ちひしがれながら乗り込んだ列車の中でついにVodafoneの携帯は電波圏外となる。これほどの田舎町で主人公を待ち受けるのは想像を絶するぶったまげた人々の暮らしぶりであった。

 未成年が平気でパブに入り浸り、警官が飲酒運転したり勤務中に酒飲んだり、万引き常習犯もお咎めなし。それなのに村は毎年英国の美しい村ランキングで一位に選ばれている。つまりは村人たちが共謀して村の評判を傷つけるようなこと・ものについて隠蔽しているのである。

 根が真面目な主人公はそのようないかさまだらけの村の常識に馴染めずにいるのだが、狭い村の中で連続殺人事件が発生し、村の暗部に切り込むことになる。果たして真相をイギリス中に知らしめることは可能なのか? 主人公の孤独な戦いが始まる。

 この映画はまず第一に主人公を演じたサイモン・ペグの表情がとても面白い。驚いたときの顔とか。「ハァ?」っていう表情をよくつくる。

 第二に、イギリスの田舎町の描き方が面白い。イギリス人が自分たちでコスプレをやっているっていうか。外国人は自分たちのことをこういう風に見ている、ということを知っていて、わざとそのステレオタイプ通りに演じているという感じ。

 サンドフォードってのは実在する街で、ウェールズ方面にあるらしい。サンドフォード警察署には地元出身の警察官ももちろんいて、その中の一人のすごいじいさんの警察官は、全く聞き取れない言葉を喋る。そういう小ネタもすごく面白い。そういえば村上春樹のエッセイで、ギリシアを旅行していて理解不能な変な英語を喋る旅行者に出会ったので、「あなたは何人ですか?」と聞いたらスコットランド人、つまり英国人だったというネタが書いてあった。イギリス国内でもスコットランドやウェールズ地方の言葉は分かりにくいという共通認識があるのだろう。

 これは『ぜんぶ、フィデルのせい』を見たときにも思ったけど、ヨーロッパの映画は登場人物たちの着ている服がいい。『ぜんぶ、フィデルのせい』では主人公の少女アンナが着ているニットがとても色が良くて暖かそうで、目を奪われてしまった。この映画で主人公が着ている私服も、特別お洒落というわけじゃないんだけど作りのいいシャツとニットで、この辺にヨーロッパの生活レベルの高さが表れてるんだろうなぁと思った。

 最後ははちゃめちゃの銃撃戦になるんだけど、これは正直微妙だった。まぁコメディだからガンアクションにリアリティーを求めちゃいけないんだろうけど、夏に見たプライベート・ライアンやブラックホークダウンと比べると大いに見劣りするし、白ける。

 とはいえ、痛快なコメディで、外国好き、イギリス好きの人ならほとんどが楽しめる映画じゃないかと思う。

| @旅行/散歩

ココナッツジュースを用意してもらってるところ

 カンボジアの観光地では、物売りの人達がすごく寄ってくる。やれ水を買え、絵はがきはどうか、遺跡の写真集も2ドルだ、などなど。

 でも水が欲しい人は必要なときに自分で店まで買いに行くだろうし、みんなデジカメを持っているので、いまどき絵はがきや写真集を買いたがる観光客は少ないだろう。観光客が欲しいものとカンボジア人の人達が売っている物との間にギャップがあると感じた。欲しくないものはいくら熱心にセールスされても買う気にならないし、どうしても必要なものは少々高くても買ってしまうのが人間というもの。行く手を遮るようにして物を売りつけられると、かえって怪しく思えて欲しい物も欲しくなってしまう。

 片言の英語や日本語を駆使して営業する努力には涙ぐましいものがあるけど、もっと売り方を工夫したらあんなに苦労しなくても済むんじゃないかなと思った。

| @旅行/散歩

 もう旅行から帰ってきて二ヶ月経つし少々くどいけど、カンボジアの話。

値切ってるとこ

 カンボジアに限らず、シンガポールも含め、東南アジアは正札のない世界だと思う。値切れる人ならとことん安く買いたたくことが出来るし、値切れない人は多分ぼったくられる。値札による価格表示の店ならぼられないかも知れないけど、ちょっと小さなお土産屋だとかだと、まず最初ふっかけた値段を提示されて、そこから交渉で値段を決定していく、みたいな流れなんだと思う(そういう店はまず値札が出てない)。だからいきなり提示された値段でうんと言っちゃうのは格好のカモだろう。

 一緒に行った人が旅慣れした人で、買い物をするときやトゥクトゥク(バイクに引っ張ってもらうタクシーみたいなもの)を捕まえるときは徹底的に値切っていた。

 お土産屋でTシャツを買うときに自分も真似してみたが、値切ったときにカンボジア人のおばちゃんがすごく悲しそうな顔をして、1ドル2ドル値切ったところで自分の懐は大して痛まないのに、自分は最低なことをしているような気がして暗澹たる気分になった。だからといって「いいひと」のままだとぼられまくるわけだから、このへんはすごく難しい。

| @散財

外装交換に出してピカピカ

 28日はSoftBankからN82が発売されるのでとても楽しみにしていたんですが、その前日の27日、Nokiaが日本から撤退することが報じられました。残念です。

 最近はiPhoneばかりで705NKの方は全然いじってなかったんですけど、ここ数日で遅まきながらAllFiles化したり、アプリケーションをダウンロードしてインストールしたりと、結構いじりました。iPhoneも良いけど、いろいろいじれるNokiaはやっぱり楽しい! 電波の掴みは良いし、酷使しない限り電池も長持ちする。何より動作が安定してます。いきなり電波掴まなくなったりしない。iPhoneと違って電話として普通に使える! すごい!

705NK hacked

 個人的にこれから日本にもNokiaの時代が来るんじゃないかと思ってたんです。販売奨励金がなくなって端末の値段が上がり、2年とかわりと長いスパンで携帯を使うことが一般的になった。そうなるとアプリケーションのインストールやソフトウェアアップデートなどで改良しながら長く使うことのできるスマートフォンの時代が到来し、Nokiaの携帯が注目されるんじゃないかなーと思ったんです。Nokiaも国内シェアを二桁にするって、宣言してたのに。

 僕はたまたま発売日に量販店に行く機会があって、売り場に飾ってあった「N82で撮影しました」っていう写真を見たんですけど、かなりきれいでした。コンデジいらずってのはほんとっぽい。

 なお2ch情報によると、N82のAllFiles化は不可能な模様。YaPNは使える(つまり、Yahoo! ケータイも閲覧できる)ものの、Joiku Spot Premium、GunBoxなどは使えない模様です。

 僕も欲しいんですけど、別のオモチャを買ってしまったのでちょっとお金がない。来年上旬にもNokiaは国内販売を終了する予定らしいので、欲しい人はお早めに。

| @旅行/散歩

give me one dollar

 カンボジアでは、お金をくれと子どもにせびられることがたびたびあった。

 今日の日本人には物乞いはみっともないこと、みたいな感覚があると思う。もちろん戦後は日本人の子どももアメリカ兵に物乞いしてたんだろうけど、今日では物乞いする人ってのはほとんど見かけないですよね。ホームレスのおっちゃんたちも空き缶集めたりとか、何かしら仕事してる。そのせいか、人にお金をあげることに僕はとても抵抗があります。(ヨーロッパを旅行したとき、教会の前で突っ伏して小銭を請う人が少なからずいて、軽いショックを受けた)

 そもそも見ず知らずの大人が、子どもにただでお金をあげることは教育上よくないと思う。日本人は金持ってるからっていう理由で金をせびられるのも納得がいかない。お金は働いたり何か売ったりした対価として得られるべきもので、ただ金寄越せっていうのは道理にかなわないと思う。

 一緒に旅行したお姉さんは何度もカンボジアを旅行していて旅慣れてるんだけど、子どもたちにねだられると、「仕方ないなぁー」と言ってお金をあげることもあった。なるべくそうならないようにシンガポールでお菓子を調達してきて、子どもが金くれって言ったらお菓子をあげることでその場をしのぐようにしてたんだけど、一緒に遊んだ子どもたちにお金をあげることもあった。お金をあげると子どもたちはすごく喜ぶ。

 そんな風に喜ぶ姿を見ていると、堅いこと言わずに、お金をあげちゃうのもありなのかなー、とも思った。もちろん、群がってくる子どもたちみんなにお金をあげてたら、一人に1ドルずつでもトータルではかなりの額になってしまう。だからみんなにお金を配ることなんて不可能なんだけど、1ドルあげるだけであんなに喜ぶんだったら、先進国からやって来たちょっとしたサンタクロースみたいな役回りを演じることも、悪いことではないのかも知れないと思った。

 子ども以上に難しいと感じたのが、地雷で足を失った人にお金をあげることだ。カンボジアは国による福祉とか皆無だろうから、彼らは物乞いで生きていくしかないのだろう。でも一方で、足がなくても楽器を演奏して観光客からチップをもらっている人達もいた。伝統工芸品を作って売ってる人もいた。そういうのに対価を払うのがあり得べき寄付というか、慈善のあり方ではないかと思う。ただなくなった足を見せてギブミーワンダラーと言ってる人にお金をくれてあげるのは、こちらの心も痛むしやりきれない気分になる。いまこのおじさんに自分が1ドルあげても、カンボジア中の地雷被害者の持続的な生活の向上には繋がらないことが明らかだ。それよりも、こういうおじさんたちが何か技能を身につけて、継続的に暮らしぶりをよくしていけるような仕組みを作ることの方が大切だ。先進国の旅行者の同情に身を委ねる人生は惨めだと思うし、おじさんたちの自尊心も傷つけられるだろう。

 先進国に生まれた人間の甘っちょろい意見なのかも知れないけれど。

| @旅行/散歩

 カンボジアに着いて最初に訪れたのはアンコールワットでした。アンコールワットについては歴史や地理の授業でたびたび習いましたが、教科書や資料集に載っている写真は色調に欠け、石でできた味気ない遺跡という印象しか持っていませんでした。しかし初めて訪れたアンコールワットは荘厳で、圧倒されてしまいました。

 カンボジア到着が夕方だったため、最初に見たアンコールワットは夜のライトアップされたものでした。これはとてもラッキーだったと思います。遺跡はシェムリアップの市街から少し離れた場所にあるのですが、あたりは森に囲まれており、暗闇のなかに浮かび上がるアンコールワットの姿は見事としか言い様がありません。

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 遺跡には昼間も訪れましたが、観光客だらけで混み合っており、ゆっくり見て回ることが出来ませんでした。回廊に掘られている彫刻を眺めるにしても、夜間のライトアップされた光のなかで見るのと昼間の太陽光で見るのでは大きく印象が異なります。まるでイタリアのルネサンス建築のように美しいのです(イタリア行ったことないですけど)。

cloister

 高校で習う世界史では、文明はどうしても西欧や中東、中国を中心に発達したような印象を持ってしまうのですが、東南アジアのカンボジアにも、インドから伝来した非常に高度な仏教文化が花開いていたことを知ることができました。

 アンコールワットのライトアップはいつもやっているわけではないようですが、もし期間が合えば、昼だけではなく夜も訪れる価値のある遺跡だと思いました。夜の涼しい時間にゆっくり遺跡を歩いて回ることができて、とてもよかったと思います。夜の闇に浮かび上がる彫刻を眺めながら、悠久の時の流れを感じることができました。

| @旅行/散歩

Angkor Wat

 シンガポール滞在の最後の方に、二泊三日でカンボジアに小旅行に行きました。

 カンボジアといって思い浮かぶのは、アンコールワットとポルポト派と地雷くらいしかなかなく、「カンボジアに行ってみない?」と提案されたときは「えー、カンボジアー?」というのが正直なリアクションでした。未開発でほこりっぽいだろうし、食中毒になったりするんじゃないだろうかとか、地雷を踏んだりするんじゃないだろうかとか、ネガティブな印象しか浮かびませんでした。

 でも実際に訪れたカンボジアはとても良いところでした。暑いことは暑いですが、緑が多いせいかコンクリートの照り返しがない分、真夏の日本よりも過ごしやすいと感じました。特に日陰は過ごしやすかったですね。

 なんと言っても、シェムリアップのアンコール遺跡群が素晴らしかったです。いまではすっかりカンボジアフリークになってしまいました。