| @音楽

Circle 2019

去年 に引き続き、 Circle に行った。

今年もペトロールズが一番の目当てだったが、ペトロールズよりも以前から聞いていた toe の演奏もあって非常に堪能できた。今年は最近よく行く糸島の COFFEE UNIDOS がお店を出していて、前売り券を UNIDOS で買ったところコーヒーを二杯飲める特典が付いてきてお得だった。

Circle は去年行ってその平和さに感銘を受けたが、今年も平和で非常に良かった。去年よりも早い時間のバスで向かったためバス乗り場では待たなければならなかったが、路線バスにすし詰めに詰め込まれることもなく、渋滞に巻き込まれることもなく、快適な観光バス(座席に電源付き)で移動できてよかった。会場の食べ物や飲み物もぼったくりとは言えない値段でほどよいし、酒を飲みすぎて暴れている人もおらず、アーティストの間で変な MC は入らず、前川清も馴染める良いフェスだった。

| @音楽

Circle 2018

昨年、 Sunset Live 2017 に行ってペトロールズのことを好きになり( 3 月のライブにも行った)、 Circle に彼らがやってくるというので海の中道海浜公園まで行ってきた。

Circle 、 Sunset Live のような感じなのかと思っていたけど非常に快適でよかった。

Circle の良い点としては以下がある。

  • 来てる人が色白で体感治安がよい。夏のあとのフェスだとみんな真っ黒に日焼けしてて遊び人風情がある。音楽が好きというよりお祭り好きでやってきてとりあえず服を脱いで異性の目を引くような男女がいないのが良い。みんなちゃんと音楽を聞きに来ている感じがする。
  • 入場時に手荷物検査があったりしないのがよい。スタッフが高圧的でない。お客さんにぐでんぐでんに酔っ払って暴れてる人とかいないので高圧的になる必要がないのだろう。
  • ステージの合間に地元ローカルタレントによる MC が入らないのがよい。淡々とアーティストが出てきて演奏していく。
  • 出演アーティストがよい。カクバリズムの人たちが沢山出ててシャレオツだった
  • バスが混んでおらず異常な並び方をしなくて良いのが良い。会場までも渋滞などすることなくサクッと着いた。バスは綺麗な車輌で快適そのものだった。通常の路線バスにぎゅうぎゅうに押し込まれ渋滞地獄のなか向かわないといけなかったりすると本当に最悪。
  • 混雑具合が程よく、疲れたら後ろの方のござエリアやテントエリアから座って音楽を聴くことができるのが良い。キャンプ椅子やテーブルを持ち込めるのもよい。

トイレの配置が偏っててめっちゃ並ぶところと空いてるところがあるのが困ったが、それ以外は特に問題がなく快適な野外音楽イベントだった。ぜひまた来年も行きたい。

| @音楽

Sunset Live 2017

今年の夏は久々に Sunset Live に行った。福岡に引っ越してくる前の 2010 年の 9 月に行った以来なので 7 年ぶりだった。夫婦で酒を飲みたかったので JR とシャトルバスを乗り継いで行ったが、 10 時半頃に着いた筑前前原駅のバス乗り場は異常な混み具合で、結局会場に着いたのは 12 時過ぎだった。 Sunset Live はやはり早めに家を出て向かわないと厳しい。

Spotify 内で流れる BOSE の CM で知った The fin. という神戸出身のバンド(シューゲイザーっぽい音楽)が目当てで行ったけどいろいろ新たな音楽に触れることができて良かった。

まずそれまで食わず嫌いであまり聞いてなかった Suchmos のライブ演奏を聴くことができたのがよかった。和製 Jamiroquai という話は耳にしていたけど、確かに良いバンドだと思った。

次に PETROLZ の音楽を聞くことができたのがよかった。惜しむらくは PETROLZ の演奏中、絶賛夫婦げんか中でステージの正面で聞くことができず、メインステージの裏手の土手に体育座りをして聞いていた。反芻する度にだんだん良さがこみ上げてきて、 Sunset Live 後一ヶ月間くらいはずっと PETROLZ の Fuel を聞いてた。 PETROLZ にはすっかりハマってしまって来週福岡であるライブに行きたいと思ったが、すでにチケットは売り切れでチケットキャンプでは ¥27800/枚 😱 。貴重なライブ演奏をステージ裏で体育座りして聞いていたことが悔やまれる。

もちろん目当てで行った The fin. の演奏も良かった。あまりお客さんに彼らのことを知っている人が多くはなさそうなのが残念だったが、ライブで幻想的な Night Time を聴くことができて満足だった。

| @技術/プログラミング

合同勉強会 in 福岡という勉強会があって、 Nulab の人やクラスメソッドの人たちが福岡に来て発表するということだったので行ってみたいと思ったけど参加者枠が埋まってたので LT 枠で申し込んで行ってみた。まえブログに書いた BitBar の話をした。

以前一緒に仕事していた Rudolph Miller 先輩がインタビューで「勉強会は勉強しに行くところじゃなくて自分が普段勉強してることが合ってるか確認しに行くところ」みたいなことを言ってたけど、今回は普段勉強してないことがありありとなった感じでやばいなと思った。皆さん AWS とか Azure とか Terraform とかに詳しすぎる。きしだなおきさんの機械学習についての発表とかさっぱりわからなかった。平川 剛一さんの Server-side Swift の話は面白かった。 Server-side Swift の開発、 Apple じゃなくて IBM が主導しているそう。ぼちぼち Web フレームワークなんかもできてきてるみたい。

LT は皆さんレベルが高く、ネタに走りつつも技術的に高度な内容で自分の LT が一番しょぼかった。発表もうちょいうまくなりたい。

| @雑談

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この記事は地方在住ITエンジニア(元・地方在住も可) Advent Calendar 2015 - Adventar 6 日目の記事です。地方在住ウェブエンジニアの著者が思ったことを書きます。


自己紹介

熊本出身で大学生の頃は東京に住んでいました。いまは福岡市に住んでいて、東京のインターネット企業に雇ってもらってます。リモートで仕事してます。

福岡のことを書かない理由

最初は福岡での暮らしについて書こうかと思ったのですけど、福岡在住の著名 IT エンジニアはきしだなおきさんや新井俊一さんなど以前からたくさんいらっしゃって情報発信しておられますし、最近では前職でご一緒させていただいた、昼に寿司を食べた舌が乾かないうちに夜焼肉を食べたりしている金満エンジニアで、天気の話からでも HashiCorp プロダクトの話に結びつけるづらさんや、女性ファン急増中のプラチナ貴公子スーパー Go lang プログラマーモノクロメガネさんなど雨後の竹の子のようにいて情報発信しておられますし、また福岡について書いたら最終的に「福岡便利ですよ、移住してみませんか」みたいな結論になりがちですし、加えてほかの皆さんの記事を読む限り福岡は地方には含まれなさそうなので、福岡にやってくる前に住んでいた熊本県阿蘇地方での生活を綴りたいと思います。

キャリアの始まり

僕が最初ウェブ開発を生業にしたのは熊本県の過疎地域、阿蘇地方でした。元々学生時代にコンピューターサイエンスを学んでいたわけではありませんでしたし、プログラミングというより HTML マークアップと雑用担当としてウェブ開発業界に潜り込みました。

地方のつらみ

ギャラが少ないことと勉強会に参加できないことがつらかったです。

ギャラが安い

実家暮らしだったので何とか生活できていましたが、年収200万に満たなかったです。地方にもインターネット関係の仕事がないわけではないのですけど、まともな賃金が支払われる仕事がないと感じます。地方でのシステム開発は、自治体が都会の SI 会社に発注する数千万円から数億円規模の仕事か、商店のホームページのアクセスカンター設置みたいなやつしかなくて、後者に対する報酬はとても少ない。一年と少ししか働いていませんでしたが、このまま歳をとるとやばいな、という危機感はありました。

勉強会に参加できない

田舎にいると勉強会的なものに一切参加できないのもつらかったです。勉強会がしばしば開催されている福岡に引っ越してきて何度か勉強会に参加してみたけれど、勉強会は参加するだけでは無意味で発表する側にならないと得られるものが少ない、ということがわかって勉強会渇望症みたいのはなくなりました。いまにして思えば隣の芝生は青い状態なだけだったという感じがあると思います。勉強会とかなくても学ぼうと思えば学べるはずです。ただし勉強会で発表しまくって目立ちたいとかそういう人は都会に住んでないとダメでしょうね。

相談できる相手がいない

職場に質問・相談できる相手がいないのが心細かったです。常に一人で考えて試行錯誤を重ねる必要がありました。それはそれで良い経験にはなっていたと思うけど、知っている人がいてヒントを出してもらいながらステップアップしていく方が断然効率的だったと思います。もし『情熱プログラマー』でいわれるところの師匠なような存在がいたら、今頃もっとよいエンジニアなれていたのではないかと自らの怠慢を棚に上げ思います。

街の灯火が遠い

ほかの人の記事を読むと通勤時間が長いと書いてる人が多いですけど、当時の職場は家から車で 10 分のところにあったので通勤時間に関しては不満はなかったです。この辺はたまたまが職場が家から近くてラッキーだっただけだと思います。ただ仕事のあとに映画を見たいとか本を買いたいと思っても、田舎過ぎて仕事帰りに何かするというのが無理だった(そもそも仕事が終わるのも遅かった)のはつらかったです。

田舎にいて良かったこと

自然

当時の職場が森の中にあって、職場から阿蘇山の景色を望むことができました。また昼休みに職場の周りを散策すると、小川があったり農家に引かれて道を歩いてる牛とすれ違ったりして毎日がちょっとしたハイキングみたいでした。疲れたときに窓から阿蘇の山々を眺めると癒やされましたし、毎日昼に散歩すると頭がすっきりする感覚があってよかったです。キャリアのスタート段階だった、独身で時間を自由に使うことができた等様々要因はありますが、当時はよく学ぶことができていたなという感じがして、これら自然環境が少なからずよい影響を与えていると思います。

無双

ギャラが少ない一方で上司が非技術者なのでやりたい放題できるというメリットがありました。課題に対して自分の好きなとおりに解決策を考えて解答を出すことができました。以前、社内 SE は無双できると書かれている記事を読みましたが、まさにそんな感じです。信頼さえ得てしまえば無双できると思います。

結論

  • 莫大な遺産があって働かないでも食っていける
  • スタートアップで働いていたが上場してストックオプションで億単位の金融資産を得た
  • 独身、あるいは妻子に逃げられて養うべき家族がいない(慰謝料とか養育費も払わなくてよい)

等々で収入が多くなくてもかまわないなら、田舎で仕事するのも良いのではないか、と思います。特にキャリアのスタート期を終えて一定程度のスキルを身につけている状態で、働き口さえあれば、地方に引っ込んでもそれなりに楽しくやっていけるのではないでしょうか。ただし地方に引っ込んでも最新技術へのキャッチアップを怠らないことなど、意識を高く持つことは大事だと思います。

勤務先を地方に求めず、リモートで東京の仕事を請け負う、というやり方もありますが、東京の会社に雇用されて福岡でリモートワークしている僕個人の考えでは、リモートワークというのはやはりなかなか難しくて(リモートワークアドベントカレンダーで書こうと思います)、特に業務委託などでフリーランスの人が仕事を受けながら働くのは、受け手が相当の熟達者か、発注者と受け手が元同僚であるとかでないとディスコミュニケーションが発生してお互いつらい気がします。正規従業員として雇用されている僕も月一回程度東京に行って、膝をつきあわせて仕事しています。

役所が都市部のハイエナ SIer に発注するような仕事以外にも、地方在住のエンジニアがローカルビジネスのオーナーから請け負って価値を提供できるような場所はあるのではないかと思っています。以前田舎で働いていたときに、もう少し自分にスキルがあってお客さんにも意欲があれば、もっとウェブ技術を使って便利にできるのになぁと思うことがしばしばありました。ウェブサービス作ってユーザーめっちゃ増やしてドカーンだけがエンジニアリングの使いどころではないと思いますし、地方出身者が都市部に吸い寄せられていくだけでは先祖代々の墓は誰が守れば良いのか分かりません。何年先になるか分かりませんが、隙あらば地元に帰って何かしてみたいです。

跋文

最後に福岡で働くことについて一言書いておきますが、福岡はブラック企業が多い街という印象を受けます。街がコンパクトで皆歩いて帰れる範囲に住んでいるせいか、終電の概念が崩壊しており、平気で午前 2 時、 3 時まで働いている会社があります。なので福岡最高、福岡便利、福岡手榴弾!!、!などといった甘言に惑わされず、移住を検討する際にはまともな勤め先を確保した上で断行してください。僕は福岡で最初に働いた会社が本当にひどかったです。以上です。


この記事は地方在住ITエンジニア(元・地方在住も可) Advent Calendar 2015 - Adventar の 6 日目の記事でした(一日遅れて書いてます)。今日の担当は飲み会後、歩いて帰れる距離でも必ずタクシー帰宅をキメる @h_demon さんです。お楽しみに。

| @労働

荒れた砂浜

いまの会社は労働環境よいんだけど、前働いていた会社がとてもつらかった。どのくらいつらかったかというと、もう辞めてしばらく経つのに、いまだに前の会社にいたころの夢を見てうなされて夜中に目が覚めるくらいつらかった。ある意味トラウマになってしまっている。

つらかった頃のことをここに書いても意味がないことは分かっているし、ネガティブな感情をインターネット上に発露するのは個人的な信条に反するんだけど、セルフヒーリングのために前勤めていた会社のことを書いてみる。

無限サービス残業

  • 22時に帰るときも日報に「本日私用のためお先に失礼します」と書かなきゃいけない雰囲気だった。
  • 「23時に佐川が来るので申し訳ありませんがお先に失礼します」と日報に書いてる女の子とかいた。
  • 社長が「震災のおかげで仕事が減って早く帰れてうれしい、とか言ってるやつは許さない」とか言ってた。
  • みんなサービス残業してるので会社の飲み会に開始時間通りに現れる人はほとんどいなかった。
  • 週末だからと会社のメンバーで飲みに行くなんてことはなく、金曜の夜は2時くらいまで仕事するのが普通だった。

前の会社でまずつらかったのが労働時間の長さだった。もちろん残業代は出ない。完全に違法なんだけど、雇用主と労働者が対立する時代は終わったとか、不満があるなら辞めろとかいうような内容のメールを総務担当者が月に一回くらい送ってよこしていた。自分は弱いから会社に待遇を改善するよう申し出ることなんてできず、短期間働いて辞めることであの環境から脱した。

軍隊っぽさ

  • 上長にメールを送るときには宛名に「様」とつけなければならなかった。
  • 毎晩2時まで働いてたせいで心身を病んだ人が二人いたけど、二人とも「体調管理は自己責任」といって休職中に辞めさせられてた。ちなみに休職中に辞めさせるのは労働基準法違反らしい。
  • 細かく職位が分かれていて社内に軍隊のような階級制度があった。職位によって届くメールやグループウェア上で閲覧することのできるファイルが細かく分かれていた。たとえば上長の書いた日報は部下は読むことができなかった。

全体的に戦時中の日本みたいな会社だった(「欲しがりません 勝つまでは」的な感じ)。ライバルに勝つため・家族を守るために自分を犠牲にしろとか、そんな感じのことを経営陣が言ってた。

職位ごとに権限が異なっていて閲覧可能なファイルに違いがあるのはよその会社でも普通にやってると思うけど、それが露骨かつ過剰に行われている感じだった。Active Directory が Windows Server の外にもやってきて従業員をコントロールしている感じだった。

離職率の高さ

  • 入社してから二ヶ月以内に辞める人が多かった。いわゆるバックレも多かった。
  • 入社一年も経ってないのに入社時期で降順ソートしたとき真ん中くらいになってた。

自分の歓迎会開いてもらったときにすでに入社してから半年経ってた。すぐ辞める人が多いので新人の歓迎会とかはなかなか開いてもらえない。なんか先月入った人最近見かけないなー、と思ったらいつの間にか辞めてたということが日常茶飯事だった。

待遇の悪さ

  • 試用期間の二ヶ月間は各種保険に加入させてもらえなかった。
  • 内定の時に伝えられた年俸と全然違う給料だった。

全体的に、社長に気に入られないと昇級も出世も望めなかった。まぁどこの会社でも多かれ少なかれそうなのかもしれないけど、給与の等級表とかなかったし、どうすればどのくらいの給料をもらえるというような明確な指標がなかった。

労働基準監督署に届けてある就業規則はあるにはあったけど、偉い人の机の前にあって簡単に読める雰囲気じゃなかったし、そんなことしてる暇あったら仕事しろと注意される感じだった。ボーナスが支払われるのはいつか、基準額はいくらなのか、など労働契約に関する諸々のことを知らされない状態で働いていた。

技術力よりも人間力

  • 技術について熱っぽく語るとめんどくさいやつみたいな扱いを受けた。
  • 出世するにはエンジニアをやめてプロジェクトマネージャーにならないといけなかった。
  • テストコードとかなかった。テストは全部手動だった。
  • 勤務時間のうちコード書いてたのは25%くらい。あとは全部ドキュメント作成だった。

これらの開発カルチャーに加えて、会社が依拠する技術が Microsoft や Adobe などプロプライエタリなものが中心であり、UNIX/Linux 系の開発が好きな自分には大変つらかった。Capistrano とか使えば20秒くらいで終わりそうなことを手動・目視確認で行っていて、技術面のアナクロニズムに耐えられなかった。

インターネットのことを好きな人がいなかったのも辛かった。はてなとか誰も見てなかったし、 Twitter アカウントはみんな隠してた。そもそも Twitter よりも Facebook な感じだった。ソーシャルネットワークはプロモーションのツールとしてしか認知されていなかった。Twitter なんて技術的には大したことない、が社長の口癖だった。エンジニアも誰も GitHub とか使ってなかった。

不用意に転職したのが間違いだった

一番の間違いは、Web制作の会社に入ってしまったことだと思う。Twitter で見かける楽しそうに仕事してる人たちはだいたいみんなWeb系のベンチャー企業とかで働いてた。制作会社とWeb系ベンチャーでは全然雰囲気が違うと思う。制作会社にはクライアントがあり、その人たちの言うことは絶対だから、アホみたいなリクエストにも全力で答えなければならない。

Aという企業があってその会社のユーザーのためのサイトをWeb制作会社が作っているとする。すると要求の流れが以下のようになる。

A社製品のユーザー -> A社(顧客) -> 営業担当 -> プロジェクトマネージャー -> エンジニア・デザイナー

エンジニア・デザイナーはこのサイトの制作に携わるプレーヤーの中で最下層にある。顧客の要望を営業担当が聞いてきて、それをプロジェクトマネージャーが伝え聞き、エンジニアとデザイナーに指示を出す。このメカニズムのなかで軍隊的な階級構造ができる上がるのではないかと感じる。良くない仕組みだと思う。

近況

前の会社には一年近くいたけど、何か身についたかと問われると何も身についてない。自分の人生の中で最低最悪の暗黒時代だった。がんで入院していた頃の方がまだ良かったような感じさえする。

この記事のような愚痴というか後悔の塊みたいな文章をネットにのっけても何の得にもならないんだけど、職探しは本当に真剣にやった方がいいと身をもって思った。確かに結局のところ会社に入るまでその会社が自分に合っているのかどうかはわからない。しかしだからといって適当に就職活動して就職するとものすごく後悔することになる。時間がかかってもいいから就職・転職先はじっくり見極めてから決めた方がいいと思う。

実は前の会社に入って二ヶ月経たないくらいのときに、入った会社を間違ったと思って転職活動を行った。在福岡の良さそうなベンチャー企業を見つけたので面接を受けに行った。技術的には面白そうなことやってそうだったが、外に向かって社内のことを明らかにしていない会社で、中のことが全然わからなかった。なので結局内定を辞退した。面白そうだけど社員のブログやTwitterが読めないとなるとものすごく不安になる。

ペパボに入ったのは、アラタナ研究所所長の rytich さんのかつての職場で、rytich さんに声かけてもらってペパボの人と一回酒飲んだことあったし、かぶりものの社長とか創業者の家入さんとか何となく知ってて安心感があったから。とはいえどんなことやってるかよくわかんなくて不安がないわけじゃなかった。そういうよくわかんなさを吹き飛ばしてくれたのは刺身☆ブーメランさんのブログだった。

これ読んで「あ、なんか大丈夫そう」と思ったから面接受けに行った。

刺身さんにはペパボに入ってからもRailsのこととか教えてもらって世話になってるけど、あの記事読まなかったらペパボ受けようと思わなかったかもしれないと思うと何とも言いようのない感謝の念がわいてくる。ありがとうございます。もちろん rytich さんも、もうペパボ退職されたけど taketin さんもありがとうございます。

雑然とした感じの日記になったけど、自分はいま楽しく働いてます。

追記 2019/05/13