| @Mac/iPhone

なんか一個前の記事でTextMateマンセーみたいな記事を書いてますけど、Coda悪くはないです。というか素晴らしいです。

特に良いと思うのが、FTPクライアント機能を内蔵してるところ。普通のFTPクライアントでちまちまファイルを上げる作業は結構面倒くさいです。特にサーバーのタイムゾーンの設定がローカルのタイムゾーンと異なってたりすると、FTPクライアント上で表示される最終更新時刻が全然あてにならなくてどのファイルをアップロードすればよいのか分からなくなります。こういうとき、Codaでファイルを編集していると非常に幸せになれます。

Codaには「サイト」という機能があって、ここにFTPの情報を登録しておくとグラフィカルな感じで一覧表示してくれて、非常にシャレオツです。

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例えばいまサイトからportal shit!を開いたとします。するとこんな感じになる。

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www.portalshit.net にFTP接続しています。サイドバーに「ローカル」と「リモート」とあるのが分かるかと思います。「ローカル」を選ぶとローカルのファイルを編集でき、「リモート」を選ぶとリモートのファイルを直接編集できます。

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ローカルの index.php を適当に編集してみましょう。

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するとこんな感じで編集中のファイルには印がつく。でもまぁこんなのはよくある機能です。Codaが便利なのはここからで、ここでローカルのファイルを保存するとファイル名の横に矢印がつきます。

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index.php の横に矢印がついています。この矢印をクリックするとローカルで編集したファイルをリモートにアップロードしてくれるのです。これが便利。どのファイルがローカルで更新済みでどのファイルをリモートにアップロードすべきかが一目瞭然です。

加えて、「削除」「すべてを公開」なんてのが index.php の下部にありますが、こいつもすこぶる便利なんです。例えば index.php の他に複数のファイルをローカルで更新したとする。全部アップロードしなければならないのですが、ディレクトリを複数またいでいると面倒くさかったりする。しかしCodaの「すべてを公開」という機能は、矢印付きのファイルをアップロードしてくれるのです(「削除」を押すとすべての「矢印」を削除します)。非常に賢いですね。

こんなに便利なのになぜRails書くときはTextMateを使うのか。Bundles機能が便利だとかいろいろ理由はあるんですけど、このFTPクライアント機能はRails向きじゃないんですよね。Ruby on RailsはWEBrickという開発サーバーをローカルで起動してそこを見ながら開発していくので、HTMLなどの静的ファイルをぽんぽんサーバーにアップロードしていくのとは事情が異なる。CakePHPはPHPが動くなら素のApacheでテストできるので(Passengerとかいらない)、Codaで作業しながらぽんぽんアップロードしていっても問題ないわけです。だからCodaがベストマッチだった。BakeするときくらいしかTerminal.appは使わないし。

まとめると、Codaは非常に素晴らしいテキストエディターだとは思いますが、HTMLのマークアップやJavaScript、PHPなどのプログラミングには向いているものの、ハードにごりごりプログラムを書く用途には現状あんまり向いていないと感じます。もうちょいプログラマー向けに進化したら(Terminal機能を内蔵するのではなく、Terminal.appとの連携やフレームワーク特有のコマンドのサポートなど)、とても良いのではないかと思います。

しかしHTMLやCSS書くのがメインで、ときどきPHPも触るみたいな方には打って付けのエディターだと思います。$99の価値はあると個人的には感じます。

| @Mac/iPhone

CakePHPとかRailsでサイトを作るときはModel View Controllerを頻繁に行ったり来たりします。Vimは確かに素晴らしいのですが、複数のファイルを一括で開いてあちこち編集するのはさすがに苦行に近いものがあります。CodaとかTextMateはサイドにDrawerがあってファイルをブラウズしながらタブでじゃんじゃんファイルを開いていけるのでかなり便利です。Codaの例ですが、こんな感じ。

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CakePHPでなんか作ってるときはCoda一辺倒でした。とにかく使いやすい。タブ機能だけじゃなく、ファイルを「分割ウィンドウで開く」という機能があって、例えばModelを左に、Controllerを真ん中に、Viewを右に開いて各々を突き合わせながらコードを書くことができます。

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この機能は重宝しました。こんな感じ。

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RailsもCodaで書こうかと思ったんだけど、弱点がある。それはRuby on Railsのシンタックスに弱いことです。まったく対応してない訳じゃないけど、.html.erb形式のファイルの色分けがいけてない。メソッドの補完とかは結構やってくれるんだけど、それよか他にやることあるんじゃね? って感じですね。

結局、RailsはTextMateで書くことにしました。

TextMateのなんとも素晴らしいところはBundles機能。これすごいですね。いま開いてるファイルのViewやModelにBundlesメニューから一発で飛んでけたり。

あとTermina.appとの連携とかKey Bindingsとか。これでマルチバイト文字にネイティブで対応してくれてたら言うことなしなんだけど。

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バッド・ルーテナント

評価 : ★★★☆☆

ニューオリンズの腐敗しきった警察を描くバイオレンスムービー。僕はギャグ映画として楽しみました。

いやー、ひどい映画だった。『空気人形』で交番の警察官役の寺島進がレンタルビデオ屋にやってきて「なんかこう、悪い警察官が出てくる映画ないの?」っていうセリフをはくんだけど、そのときにオススメしたい映画ナンバーワン。ニコラス・ケイジが演じる刑事がとんでもなくひどいの。麻薬捜査で押収したコカインをその場で自分で服用しちゃったりするんだから。売春婦と付き合ってるし警察官つーよりマフィアなの。んでまたニコラス・ケイジがコカインをキメるときの表情がやばいんだ。他人の女と青姦しながらピストルをぶっ放したりする。ひどいったらありゃしない感じです。

最終的にニコラス・ケイジは悪とつるんだりもするんだけど、ウルトラCみたいな悪事を働いてめでたしめでたしみたいなラストを迎えます。そんなことあってたまるかよ感じなんだけど。一般のコメディで笑えない人とかは見てみると良いかも知れないです。

| @読書

Ruby on Railsの生みの親、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンの勤務先37シグナルズの本。CEOのジェイソン・フリードとデイヴィッドの共著です。とても共感しながら読むことが出来ました。個人的に響いた部分を箇条書き。

計画をやめる

  • 計画を予想に言い換える。誰にも未来のことを計画するなんて不可能。
  • 計画はあらかじめ立てるのではなく、やりながら立てる。やっていないと情報が集まってこない。

最適な規模

  • 無意味に拡張しない。規模の拡大はコストも増やす。
  • 働きすぎるのは馬鹿。ヒーローになるな。

自分たちが必要なものをつくる

  • 37シグナルズの Highrise は自分たちが必要性に駆られて作った。

まずつくる

  • アイディアは実行しなかったらアイディアのまま。
  • 金がないとか時間がないとか言い訳にならない。ベストな状態で始められることなんてない。本当に実現したいことだったら金や時間は自分で工面をつけるもの。

金を借りない

  • ウェブサービスとかは特に金が必要ない。
  • 他人の金が入ると感覚がおかしくなるし、長期的な視野を持てない。

なんでもまず自分たちでやる

  • 会社の規模はコンパクトに維持し続けるべき。
  • まずなんでも自分たちでやってみる。できなかったら人を雇う。

スタートアップという意識を捨てる

  • スタートアップには甘えがある。
  • 他人の金で好きなことをやるなんて幻想。
  • 最初から利益の出せる企業を目指すべき。
  • exitのことを考えるとユーザー本意のサービスが作れなくなる。

制約を利用する

  • 優れた作家は制約のもとで創作していた。シェイクスピア、ヘミングウェイ、カーヴァー。
  • 一度にサービスに携わる人間は一人か二人に限定し、機能は絞る。
  • 芯から作り、本質的でない細かい部分は後回しにする。

副産物

  • 企業は自分たちが気づかないうちに副産物を生産している。木工所はおがくずを売った。37signalsはGetting Realという本を副産物として売った。

すぐリリース

  • 不完全な状態でも最低限な条件をクリアしたらすぐにリリース。

会議をやるやつは馬鹿

  • 会議は時間の無駄。やっても7分。
  • 会議には準備が必要だが、十分に準備することは不可能。
  • 1時間の会議に10人が参加したら、10時間の生産性が犠牲になる。会議にそんな価値はない。
  • 会議は新たな会議を生み出すだけなので不毛。

一人で作業する時間をつくる

  • 電話とかメールとかシャットアウトする時間を作らないと生産性は上がらない。
  • せめて一日の前半か後半のどちらかは一人作業モードに設定すべき。
  • 連絡手段は電話やチャットなど即時対応式のもではなくなるべくメールにする。

そこそこの解決策

  • 完璧な解決を求めようとしない。そこそこの手段で済む問題にはそこそこの解決策を。問題があれば後から良くすればいい。

タスクは分割する

  • 長大なタスクリストは気が滅入るだけ。
  • 100のタスクを10ずつに分解すれば心理的に楽になる。

はまったら人に見てもらう

  • 意固地になって無駄に時間を費やすとコストに見合わなくなる。
  • はまったら他の人に冷静な視点でレビューしてもらう。

寝る

  • 睡眠不足は創造性を損なうし、士気が低下する。間違いも犯しやすくなり、他人に不寛容になる。いいことは一つもない。

真似ない

  • コピペコードは理解が伴わないから、いつまで経ってもオリジナル作者にかなわない。

社員が一緒の国に住んでる必要はない(デイヴィッドは入社当初はまだデンマークにいたらしいです)とか他にも面白いところもあるんだけど、英語がしゃべれないとこの辺は僕らには当てはまらないですよね。あと会議を極力しないってのは理想だと思うけど、受託開発というかホームページ制作みたいなお客さんがいる仕事してたら打ち合わせはしないといけないわけで、なかなか難しいでしょう。

でも電話や会議などは確かに生産性を損ねていると思う。電話なんていきなり日常業務に割り込んでくるわけだから。電話は予約制にして欲しい。何日の何時に電話したいのでお願いしますみたいな感じでメールしろや。

雑談の排除とかも大事ですよね。僕はなるべく仕事中は雑談しないようにしてる。だからといって生産性が高いかと問われれば疑問なんだけど。でも雑談とか会議とか打ち合わせとかやって仕事した気になってる人は多いと思う。例えばこの本では人の雇い方のパートで、仕切り屋を雇うなみたいなことが書いてある。仕切り屋は会議好きで、自分の仕事を作り出すために会議を開きたがる。まったく何の価値も生み出さないのに、会議に参加することで会社に貢献しているふりをするわけですね。こういうのは本当に最悪。

37シグナルズの発想は、ピュアに作り手だけで会社を動かそうという風に読めました。広告とか営業とか意味ないというか、頼りにしないという考え方。本当に良いものを作って自分たちのファンになってもらえたらサービスを使ってもらえるようになる。特にウェブサービスとかはそうですよね。広告とかPRとかは金ばかりかかって効果がないということに気づかないと。有名な雑誌や新聞に取材してもらうことも否定していますが、折角ユーザーと直接結びつけるのがウェビサービスを提供する企業のメリットなんだから、そこにいちいち旧メディアや広告屋を介在させる必要はないですよね。またセールスマンを省きサポートも極力エンジニアが行うことで顧客の要望が直に作り手のところに伝わる(とはいえ本書では逆に顧客の要望には応えすぎるなとも書かれてはいます。その辺は買って読んでみてください)。

シンプルに、極力自分たちで会社を動かそうとすることで、大企業が抱えるいろんな問題が回避できるというのがこの本のエッセンスでしょう。Railsはお触り程度のことしかやってないですが、CakePHP(RailsのPHP移植版)越しにそのすさまじさというかすごさは実感しています。こういうすごいフレームワークがあるいまは、本書で掲げられていることは単なる理想や夢物語ではなく十分実行可能なものであると感じます。自分たちだけでなにかをやることが十分に可能。

とにかくなにかつくってみよう、と思わせられる本でした。Ruby on Railsの勉強を本格的に始めてみたいと思います。

| @読書

学生の頃に買って積ん読になっていた本を引っ張り出して読みました。いわゆる「京大式カード」の本。40年前の本ですがおもしろかったです。

発見の手帳

著者の梅棹先生は高校生の頃にレオナルド・ダ・ヴィンチについての小説を読んでダ・ヴィンチがメモ魔だったことを知り、それに感銘を受けて『発見の手帳』を綴ることにしたんだそう。それが発展して有名な「京大式カード」に進化したらしいです。

僕自身はそういうノートを綴ったことはないけど、そういうの必要だなと思ったことは何度かあります。大学受験で小論文の勉強をしてた頃とか。電車に乗ってるときとか道を歩いているときとかにぽっと何かが思い浮かぶことがある。これは後から早速文章化しようと思っていても、いざ紙と鉛筆がある机の前に座るとさっきのアイディアは忘れてしまっている。こういう経験みなさんないですか? 自分の記憶ほどあてにならないものはないわけです。

いまはこういう突然のひらめきのうちのおもしろネタとかはTwitterにポストしてますが、Evernoteにどんどん放り投げていくのなんか良さそうですね。

理想の手帳はモレスキン

梅棹先生が理想としてあげているノートの特徴がモレスキンそのもので大変興味深かったです。

 大学ノートではポケットにはいらないから、やはりちいさな手帳ということになる。しかしこれは単なるメモではなく、小論文をかくものである。その点では、型がおおきいほうがいい。いろいろなのをためしてみたのだが、相反する二つの要求を満足させるために、けっきょく、新書版のたけをすこしみかくしたくらいのおおきさでおちついた。

 もうひとつ、机がなくてもかけるという条件をみたすために、表紙には、おもいきってあついボール紙をつかったほうがよい。そうしておけば、ページをひらいて、左手でささえて、たったままでもかける。かなり長期にもちあるくものだから、製本はよほどしっかりしている必要がある。なかの紙には、横線があればよく、日づけそのほか、よけいな印刷はいっさい不要である。市販の手帳には、なかなかいいものがないので、注文で気にいったものをたくさんつくらせて、グループでわけたこともあった。

梅棹先生はシャレオツさとか画家や文豪が使っていたからということよりも、実用性とか経済的な合理性を重視されてる。モレスキンはメモ帳として使うには高すぎるのは確かです。小さいやつでも1,890円する。引用部の後ろのほうにありますが、結局注文で大量に自分が気に入った型のノートを作らせるのがよいらしい。一度に大量生産するのが一番安上がりだということです。

また既製品はメーカーの事情で製品ラインナップが変更されて気に入ったものが仕様変更されたりなくなったりする。特注品を一度に大量発注してストックしておけば、この手の問題も解消できると梅棹先生は説いておられます。確かにモレスキンも一旦会社が倒産して絶版になってましたもんね。

富豪的ページングのすすめ

『発見の手帳』の具体的な使い方として、1ページ1項目の原則を挙げておられます。僕は生来の貧乏性が災いしてか、学生時代のノートとか結構けちけちとっており、これが著しく情報の検索性を低下させたと思い反省しています。先生は高校時代から授業の板書などは片面だけにとるようにしたそうです。右側にノートをとり、左側は空けておくという使い方だそう。そうすると左に自分の考えを書き込めるというわけですね。確かに学生の頃、頭が良い人のノートとかを借りたときとかは、片面だけ使う使い方ではないにせよ、スペースを十分にとって見やすいレイアウトでした。

あと索引をつくり検索性を上げるようにということを説いておられますが、今日においては発見の手帳的役割を担うのはEvernoteでしょうから、1ページ1項目の原則も索引を作る原則も現代人は簡単に満たせてしまうわけですね。これは非常に素晴らしいことだと思います。

書くことについて

本書では情報の整理術の他に、書くことについても梅棹先生の慧眼が光ります。海外の人々と手紙をやりとりするときは言語はまちまちでも決まった体裁があり、非常にやりとりがしやすいが、日本人の手紙には決まった体裁がなく、日付や署名を入れる場所や、入れるか入れない自体が各人でまちまちであったりする。そもそもきちんとした手紙のフォーマットを学校で教えないから日本人は手紙を書けなくなってのではないかと嘆いています。当時の統計で日本人は電話機一台あたりの通話回数が世界一だったそうです。

なぜ日本人は手紙を書けなくなったのか。内容重視の考え方が良くないのではないかと梅棹先生は考えておられます。形式よりも内容を重視すべきという思想が、手紙の形式を否定した。その結果「まったく無内容でも、手紙をだすこと自体に意味があるというような手紙さえ」出せなくなってしまったと。

ブログ、ひいてはなぜTwitterが流行ったかといえば単純だったからだと僕は思います。ブログは最低タイトルと本文さえ書けばパブリッシュできます。Twitterにいたっては本文140字のみ。考えようによればこれらは非常に制限が厳しく、Twitterやブログツールが求める型に従わないと文章のアップロードができないと言えます。しかしその反面、非常に気軽に書くことができるわけですね。本文さえ書けばよく、デコレーションとかその辺のことはいっさい気にする必要がない。形式などに制限があった方が気軽に書けることもあるのです。

文章の形式とかはもっと学校でしっかり教えていいと思いますね。似たようなことを過去に書きましたが(文章の書き方について)、小論文の書き方とか実はある程度体裁があります。そういうのさえ知っていれば、文才がない人でも誰でもちょっとした文章は書ける。日本の国語教育は名文に触れることとかばかり重視してるから文章を書くことが苦手な人を量産してるんだと思うんですよね。

日本語との格闘

興味深かったのが梅棹先生のタイプライターとの格闘の歴史です。先生はタイプライターで文章が書ける欧米人の環境がうらやましくて仕方なかったらしく、一時期はローマ字で手紙を書いたりしていたそうです。

その後いち早くカナモジ・タイプライター(和文タイプライターとは異なる)を導入したりもしたそう。日本語をローマ字で綴ろうという運動が戦前にあったとかいう話は聞いたことがありましたが、正直ピンと来ませんでした。しかしこの本を読んで、ワープロやパソコンが普及する前の時代の日本人は、タイプライターが使えなかったので基本的に文章は手書きしていたわけです(和文タイプライターは高価だし手書きより早くはタイプできなかったようです)。これはいまから考えると地獄そのもの。推敲していて文章の並びを換えたいときは書き直しです。いまなら気が狂いそう。

加えてEメールなら当たり前に取れる送信メールのコピーが、手紙の場合は取れない。当時はコピー機も今日ほど普及しておらず、相手に送った手紙を参照するためには相当なエネルギーが必要だったわけです。その点でもタイプライターならカーボン紙をはさんで打つことで簡単に複写が取れたそうです。

アドレス帳の整理にも苦心しておられた模様。いまなら届いたメールに返信するだけでメーラーが勝手に付属のアドレスブックに登録してくれたりと、こういうのは非常に楽になっています。

まとめ

総じて梅棹先生は、1960年代に一人だけ現代を生きていたような気がします。ただその発想を支えられる環境がなかったから、頭の中でiPhoneやEvernoteの代替となるような仕組みを作り上げていた。並々ならぬ努力がうかがえます。自分だったら絶対無理。TumblrやらTwitterやらEvernoteやらiPhoneやらTomblooがあるいまの状況を非常にうらやましく思われることだろうと思います。

確かにこの本に書かれている技術は現代では直接は役に立たないけど、Evernoteのようなソフトがあって、ローカルとクラウドで情報を同期しながらメモやアイディアを書き込める場所があることのすごさに気づくことが出来ます。

自分たちがいまいかに恵まれた時代に生きているかを実感させられる本でした。

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ジュリー&ジュリア

評価 : ★★★★☆

料理の映画。第二次大戦直後、パリ駐在の外交官の妻ジュリア・チャイルドが書いたフランス料理についての本がアメリカでヒットした。50年後、現代に生きる料理好きのOLジュリーがその本を手にとり、ブログで524のレシピを再現していくストーリー。実話がベースらしい。

すごくよかった。ジュリア役のメリル・ストリープは正直苦手なんだけど、ジュリー役のエイミー・アダムスはかわいいので大好きだ。

メリル・ストリープの演技はアメリカで本人に似すぎだと話題になったらしい。YouTubeでジュリア本人がやってる料理番組の映像を見てみたところ、確かにそっくり! このジュリア・チャイルドって人はアメリカではかなり有名人なようで、アメリカ人が見るのとアメリカ人以外が見るのではずいぶん印象が違うと思う。僕がもしアメリカ人だったらまた違った感想を持ったんだろうけど、とにかくエイミー・アダムスがかわいすぎてそれしか頭に残ってないです。

ジュリーは学生時代は作家志望だったんだけど夢叶わず、9.11で心に傷を負ってしまった人たちの電話カウンセリングをする公務員みたいな仕事をやってる。彼女は映画のなかで29歳から30歳になるんだけど、学生時代の友達はみんな若いのに成功してて、なんかスゲー役職に就いたりやり手ジャーナリストになったりしてる。ランチで集まってもみんな片時も携帯を離さない。なんかこの辺のおいてけぼりな感じは『サンシャイン・クリーニング』のときと似てる。

でもエイミー・アダムスは短髪になってより一層キュートになってる。美人過ぎないかわいさがある。どん引きするくらい美人な女優はいっぱいいるけど、映画の中のエイミー・アダムスはさえない男でも手が届きそうな普通のかわいい女の子を演じてる。そこがすごくいい。実際ジュリーの夫は全然イケメンじゃないんだけど、衝突しながらも一生懸命ジュリーと彼女のブログを支えていく。ほんわかしていてとてもいい感じでした。ジュリーが作る料理がとてもうまそうなのもいい。僕はフランスパンをフライパンでバター焼きにしてトマトやパプリカをのっけて食べる料理がすごくうまそうだので真似してみたんですけど、これが非常にうまかったです。元気ないときに見ると元気出ること請け合いです!

| @映画/ドラマ/テレビ

キャラメル

評価 : ★★☆☆☆

舞台はレバノンのベイルート。若い女の子が三人で美容室を営んでるんだけど、それぞれ不倫とか結婚とか同性愛(?)とかでトラブルを抱えてる。彼女たちと周りの人々との交流を通して女の生き方みたいのにクローズアップした映画。

監督は一応主人公っぽい役柄だった美容師役の女の子らしい。映画を見終わった後、映画館のお姉さんに「どうでしたか?」って感想を聞かれたんだけど、正直なところ監督兼主役の女の子のむちむちしたミニスカート姿がセクシーだったことしか頭に残ってなかった。すみません。

レバノンといえば、一月に見た『戦場でワルツを』の舞台でもあるんだけど、戦場だった面影はない。そうだといわれなければ気がつかないくらいに劇中のベイルートは明るい。美容室はポップだし、街には活気がある。女の子達はみんな着飾ってて肌の露出も多めだし、中東っぽさはほとんどない。キリスト教徒の国なため、教会の人が街を歩いて回るシーンとかあるから、ワンシーンだけ見たら東欧らへんの映画だって感じるかも知れない。

個人的に印象に残ったのは仕立直し屋を営むのおばあさんの話だった。痴呆症の姉と二人で暮らしてるんだけど、あるときアメリカ人の紳士が客としてやってきて、お互い惹かれ合うようになった。あるとき紳士はおばあさんをデートに誘う。でもおばあさんは痴呆症の姉のことが気になって…。女性の生き方とかそういうのは良く分かんなかったけど、この仕立て直し屋のおばあさんの話は切なかった。

どうでもいいことだけど、レバノンではむだ毛処理にキャラメルを使うんですね。