| @技術/プログラミング

react-select-before-after.jpg

一個前の記事のキャプチャにあるように、従来テキストリンクだった年とカテゴリーの選択をセレクトボックスにした。 git log -S したところ去年( 2019 年)の 11 月頃に変更を行ったみたいだ。もうそろそろ 2020 年になろうとしていて、 2005 年からやっていて年の数が 16 個になろうとしていてさすがに多すぎると思ったので整理のためにセレクトボックス化してコンパクトにした。

利用したのは React Select というパッケージで、色々カスタマイズできるみたいだけど面倒だったので素のまま使ってる。

Archives ページのリファクタリング のときのように、子コンポーネントのイベントをトリガーに親コンポーネントの setState() を呼び出すような作りになっている。作るときは結構難儀したけどおかげでスマートフォンで見たときも年やカテゴリーだけでファーストビューが埋まるということがなくなった。

react-select-smartphone-view.jpg

現在のコードをまるっと貼り付けるとこんな感じ↓。

子コンポーネント(年のセレクトボックス)

import React, { Component } from 'react'
import ReactDOM from 'react-dom'
import Select from 'react-select'
import PropTypes from 'prop-types'
import { withRouter } from 'react-router-dom'

import history from './history'

class YearSelect extends Component {
  constructor(props) {
    super(props)
    this.state = {
      data: [],
      selectedOption: null
    }
    this.handleChange = this.handleChange.bind(this)
  }

  static propTypes = {
    match: PropTypes.object.isRequired,
    location: PropTypes.object.isRequired,
    history: PropTypes.object.isRequired
  }

  async loadYearSelectFromServer() {
    const request = await fetch('/archives/years.json')
    const response = await request.json()
    this.setState({ data: response })
  }

  componentDidMount() {
    this.loadYearSelectFromServer()
  }

  handleChange(selectedOption) {
    const year = selectedOption ? selectedOption.value : null
    if (year) {
      this.props.history.push(`/archives/${year}`)
    } else {
      this.props.history.push("/archives")
    }
    this.setState(
      { selectedOption },
      () => { this.props.update(year) }
    )
  }

  render() {
    const options = this.state.data.map(year => {
      return { value: year, label: year }
    })
    return (
      <div className="year-list">
        <Select
          value={this.state.selectedOption}
          onChange={this.handleChange}
          options={options}
          placeholder="Year"
          isClearable
        />
      </div>
    )
  }
}

const YearList = withRouter(YearSelect)

export default YearList

親コンポーネント( App.js )

import React, { Component } from 'react'
import { BrowserRouter as Router, Switch, Route, Redirect } from 'react-router-dom'

import YearList from './YearList'
import CategoryList from './CategoryList'
import Archives from './Archives'

class App extends Component {
  constructor(props) {
    super(props)
    this.state = {
      category: null,
      year: null,
      length: 0
    }
    this.updateCategory = this.updateCategory.bind(this)
    this.updateYear = this.updateYear.bind(this)
    this.setLength = this.setLength.bind(this)
  }

  updateCategory(category) {
    this.setState({ category })
  }

  updateYear(year) {
    this.setState({ year })
  }

  setLength(length) {
    this.setState({ length })
  }

  render() {
    return(
      <Router history={history}>
        <div className="archive-filter">
          <YearList update={this.updateYear} />
          <CategoryList update={this.updateCategory} activeCategory={this.state.category} />
          <div className="entry-length"><p>{this.state.length} entries</p></div>
        </div>
        <Switch>
          <Route
            exact path="/archives"
            render={(props) =>
              <Archives
                category={this.state.category}
                setLength={this.setLength}
                {...props}
              />
            }
          />
          <Route
            path="/archives/:year(\d{4})"
            render={(props) =>
              <Archives
                category={this.state.category}
                setLength={this.setLength}
                year={this.state.year}
                {...props}
              />
            }
          />
        </Switch>
      </Router>
    )
  }
}

export default App

| @技術/プログラミング

Archive ページ をリファクタリングした。

これまで gulp をビルドに利用していた(Archive ページを React Router 化)が、 webpack を使うように変えた。

React のコードも見直して、 DOM の状態に依存して表示・非表示を切り替えるコードがあったりして( 🐙 Archive ページにカテゴリごとの記事件数を表示する機能を追加 )ごちゃごちゃしてたので DOM を直接ごちゃごちゃ操作するのをやめて React で管理するように変えた。親コンポーネント、子コンポーネント、孫コンポーネント、子コンポーネントの兄弟コンポーネント間で状態を共有する必要があって、結構難儀した。

Archives React Component 1.png

実際の画面を見るとこんな感じ。

Archives React Component 2.png

App というコンポーネントがルートにあって、子に CategoryListCategoryList の子コンポーネント( App からすると孫)に Category コンポーネントがある。記事一覧自体は CategoryList と兄弟コンポーネントである Archive コンポーネントが担当している。

Archives React Component 3.png

こんな感じで特定の Category が選ばれたことを Category のクリックイベントをトリガーに CategoryList に伝達し、 CategoryList はさらにそれを App コンポーネントに伝える。その結果が App から Archive コンポーネントに伝えられ、表示内容が変更される。

この辺を参考にして実装した。コールバック関数を props として引き回し、状態を回収する感じ。

ただこういう込み入った状態の管理を React で行う場合は Redux などを利用するのが良いようだった。

前職のとき、 Redux とか Flux が出てきた頃に F/E のエンジニアの人たちが熱狂してたけど自分はいまいち理解できなくて、傍観するだけだったが、いまさらにして何となく Flux アーキテクチャの概要的なものを把握することができた気がする。ただ自分の場合は深みに入り込まず極力シンプルに作りたいと思っていたので Redux などには手を出さず、 Callback で愚直に状態を親コンポーネントに伝達していく方法をとった。

React 、やっぱり大分良いものだとという感じがした。 jQuery でクラスや CSS で show - hide を Toggle していた頃とは隔世の感がある。

| @旅行/散歩

アルプス遠征で白馬に行ったとき、福岡からは松本経由で行った。前の記事に書いている通り台風の影響で縦走の予定がピストンとなったため、松本を一日観光する時間ができた。

松本には去年の秋に友達の結婚式で行っていて、そのとき市内を少し観光してすごくいいところだなと思った。前回は帰りの飛行機の時間の都合でできなかったことがいくつかあり非常に悔やまれたので、今回は前回できなかったことをやってきた。

宿泊

泊まったのは花月というホテルで、結構よいホテルのなはずなのにハイシーズンにもかかわらず低価格で泊まることができたが、部屋に入って窓を開けるとこの景色でなるほどという感じだった(これはこれで面白くてテンション上がった)。

IMG_6027.jpg

昼食 1

松本には昼過ぎに着いたのでホテルに荷物を置きに行き、 The Source Diner に行った。ここには前回も来ていて、カウンターの席に座るとお店の人が料理している様子を眺めながら食事することができる。自分も料理するの好きなので目の前で料理してくれるタイプの店はプロの慣れた手さばきが見られてとても楽しい。

DSC_5954.jpgDSC_5960.jpg

物色

あたりをうろつく。ナワテ通り外れの角にあるポーランド食器のセラミカがよくて、以前来たとき器を買うか迷ったが荷物になることや結構高いこと( 21cm の皿でも 3000 円から 5000 円くらいする)、帰りの飛行機まで時間が限られていたことで決心しきれず、買わずに帰ってきてしまった。あとあとこのことが非常に悔やまれて、もしまた松本に行く機会があればセラミカを訪ねて皿を買いたいと思っていた。

買いたい器に目星をつけたが今日は荷物になるので買わないでおく。

コーヒー 1

その後、セラミカの器でコーヒーが飲める喫茶店「カフェあげつち」でコーヒーを飲んだ。この喫茶店は 300 円でコーヒーが飲めてレトロな家具や調度品が飾ってあり休憩にちょうどよい。観光客向けというより地元の人が談笑しに来ている感じ。年季の入った建物を修復して公営の会議スペースとして利用しているようである。

松本城

そこから松本城に行った。前回も今回もお城の中には入らなかった。入り口に「ここから 30 分待ち」というような看板があったが、ああいうのがあると入るのをためらってしまう。

DSC_5962.jpg

お土産 2

夜は会社の仲良しおじさん連中と飲みに行くことにしていたので、ムラマサに行ってお土産を物色した。ここも前回来たときに気にはなったけど時間がなくて素通りしてしまった店(まつもと空港で売ってるだろうと思ってスルーしたら売ってなかった)で、寄らずに帰ったことを猛烈に後悔したので滞在中何度も訪ねて入念に物色した。シュークリームが名物のようだったが旅行者で冷蔵庫に保存することができないのでお店の人にお勧めを聞いて天守石垣サブレを買った。この手のクッキークリームサンド的なお菓子にはあまりテンションが上がらないのだが、帰ってきて食べてみたら確かにおいしかった。

DSC_5978.jpg

飲酒 1

花時計公園の横にある信州ゴールデン酒場に行った。山賊焼を食べたが焼きという名前なのに揚げてあるのにはびっくりした。あと付け合わせキャベツについてくる味噌が完全にう◯こに見えてやばかった。キンミヤハイボールがよいと foursquare の Tip にあったので頼んだらもろに甲類焼酎のアルコールにやられて悪酔いした。

IMG_6024.jpgDSC_5983.jpg

飲酒 2

二軒目はナワテ横丁にある彗星倶楽部という名前の店に行った。両腕にタトゥーを入れたお姉さんがやっててかっこよかった。つまみも全部うまかった。

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さらにもう一軒行ってそばを食べたけど泥酔し過ぎていてあまり思い出したくない…。

朝食

12:50 にバスセンター集合だったので早めにチェックアウトして朝食を食べに行ったが、目当てにしていたおきな堂はモーニング営業を取りやめており路頭に迷ってしまった。二日酔いで勘が鈍っており、ふらふらしながらナワテ通りの適当なパン屋に入ったところいまいちだった…。せっかくよいホテルに泊まってたのだから大人しくホテルの食堂のモーニングを食うべきだった。同僚によると「まるも」という喫茶店が良かったとのこと。

お土産 3

萬年屋というところで味噌を買った。信州味噌はなかなか九州では買う機会がないので面白い。二年熟成の味噌を買った。

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コーヒー 2

この日のメインイベントはセラミカでの器購入だったがオープンが11時なので開店まで暇をつぶす必要があった。朝食のコーヒーがいまいちだったので年季の入った外観だが今風の若い人が載ってそうなチャリンコが停めてある喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。

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セラミカで散財

11 時になり満を持してセラミカに行った。山小屋泊ですっかり朝が早くなったので 11 時はもう夕方みたいに感じる…。皿を三枚とマグカップを買った。グラタン皿も良さそうだったが流石に高すぎた(一万円オーバー)。カード払いしたが二回分割したかったのに何も聞かれず一括で決済されてしまった…。ただ買った皿はとてもよい。何でもおいしく感じる。

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昼食 2

ホテルの近くに有名なそば屋があるようだったのでセラミカで買い物をしたあと行ってみたが、 11:30 オープンで 11:35 に着いたにもかかわらずすでに満席で店の外まで列ができていた。今から並んではバスセンターの集合時刻に間に合わなくなるので仕方なく別のそば屋に入った。この日は暑かったが鴨南蛮が食べたくてだらだら汗をかきながら熱いそばを食べた。

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散策

そばを食べたあと、ホテルに預かってもらっていた荷物を受け取り、ホテル横の湧水場で湧き水をナルゲンボトルに汲んだ。松本は市内各所でこのように水が湧き出ているようである。重いザックを背負いバスセンターまで 10 分ほど歩いた。松本は標高 600m あるとはいえ 8 月の日中は暑く、大量に汗をかいた。

インスタグラムスポット

途中、ふとん屋のたたずまいが良すぎて写真を撮った。ここは去年来たときも見かけて写真を撮ったが、去年は一眼レフを持ってきておらず iPhone でしか写真を撮れなかったことをとても悔やんでいた。

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感想

松本は岳都や学都、楽都と言われるが、確かにそうだなと思った。北アルプス登山の足がかりとなる街で市内から北アルプスの山々の姿を見ることができる。また信州大学の本部があり旧制高校の松本高等学校もあって学問の雰囲気も感じる。ナンバースクールがあった熊本(第五高等学校)よりも貫禄がある。加えて音楽が盛んなようで、街中に小澤征爾の音楽祭のポスターが貼ってあった。どうやら市をあげて音楽振興に取り組んでいるようである。

生まれ故郷の阿蘇もかつては阿蘇登山の拠点として駅前に旅館がいくつもあり栄えていたが、自動車が普及し日帰りで訪れることができるようになって 90 年代にはそれらの旅館は全て廃業してしまった。松本はきっとその時代から変わらず岳都として栄え続けているのだろう。山の高さや数が阿蘇とは全然違うとはいえ、山岳観光都市として参考にできる点は大いにあると思った。

アルプス登山がてらまた行きたい。

| @雑談

酒は健康上の問題より、タイムマネジメント上の問題を考えるべきだと思うようになった。というのも酒を飲むと何もできなくなってしまうからだ。

酒を飲むことの問題点、酔って暴れたりとか健康を害したりとかお金がなくなったりとかいろいろあると思う。自分は幸いにして飲めば必ず暴れる(たまに暴れる)とか酒で肝臓を悪くするというような状況ではない。しかし酒を飲むことでその日が終わってしまい、やるべきこと、やった方がいいことができなくなってしまう。たとえば夜 7 時に飲めば 7 時にその日が終わってしまう。寝るまでに 5 時間あったとしても、その 5 時間に勉強したり本を読んだり仕事したりすることはできない。なぜなら酔っ払ってしまっているから。

酒、健康や経済や家庭を滅ぼすほどに飲まなくても、たとえば厚労省が示している適量と言われる量しか飲まなくても、酒を飲みつづけることで自己研鑽や自己投資に時間を使うことができず自分の労働者としての価値を高められず低賃金にあえぎ続けることになる。

| @WWW

2015 年、何も良いことなかった。父方のばあちゃん死んで、母方のじいちゃんも死んだ。身内に病人も出た。 2015 アドベントカレンダー、ネットで何が面白かったかとかそういうのを書かないといけないんだろうけど、おっさんになってくるにつれ、自分の現実的な生活が自分の人生に占める割合が大きくなってきて、ネットのできことを喜んだり笑ったりできなくなった。自分は大学受験浪人してる 1999 年からインターネット好きだったので、かれこれ 16 年くらいインターネット使ってることになる。大学生の頃も娯楽と言えばインターネットとレコード聞くことくらいしかなくてずっとインターネットしてたし、大学出たあとしばらく病気の治療してた頃もインターネットが生活の全てだった。退院して自宅で療養生活を送っていた無職の頃はその傾向に拍車がかかり、朝から晩までずーっとインターネット見てた。インターネット好きすぎて、公務員になれという親の忠言を無視してインターネットの仕事しようと思って、 2009 年からそれっぽい仕事始めた。 2010 年に実家を出て福岡のブラックウェブ制作会社に就職してから長時間労働過ぎてほとんどインターネット見られなくなって、インターネット大好き度が減った。この年が今にして思えばターニングポイントだったと思う。この福岡のブラックウェブ制作会社は、元々紙のデザインをしていた会社だからだとは思うけど、インターネットを金のために仕方なく関わるもの、くらいにしか考えてなかった。ソニーとかシャープとかでかい会社のホームページ作ってたけど、ホームページ作るので何億円という対価を得ても従業員には還元せずサービス残業に従事させ、利益は社長とその舎弟の副社長が独占してた。インターネット = 面白いもの、楽しいものから、インターネット = 搾取されるもの、きついもの、つらいもの、みたいな感じになっていった。 2011 年にウェブサービス企業に転職してまたインターネットを面白いと考えられるようにはなったけど、作ってる本人が面白いだけじゃサービス当たらないし、ウェブサービスを作るのは思いつきではダメで、真剣に世の中のことを考えてないとダメだとわかった。その他にも結婚したり、子どもが生まれたり、住宅ローンを組んだりすると、児童扶養手当の申請とか確定申告とか生命保険とか火災保険とか固定資産税とか自動車税とか親族の病気とかインターネット以外にも考えたり金を工面したりしないといけないことがわらわら出てきて、無限にインターネットばかり見続けるということができなくなった。人間は年を取るにつれ、あの面白かったインターネットから引き離されていくものなのかもしれないとも思う。ということで以上全部言い訳なんですけど、本当は 2015 年 12 月 3 日に書かないといけなかったアドベントカレンダー書く余裕がなくて 2015 年12 月 4 日になって書いてます。すみません。これでおしまいです。

| @技術/プログラミング

このブログの Archive ページ自分で作った Lokka Plugin でできているのだけど、ここを React を使って作ってみた。 React チュートリアルの写経の題材を自分のブログにした感じ。 CoffeeScript オワコンと言われて久しいけど Coffee で書いた。 JSX を CoffeeScript で書くときはバッククオートで囲むとよいという知見が得られた。

Entry = React.createClass
  render: ->
    `(
      <li className="entry">
        <a href={this.props.link}>{this.props.title}</a>
        <div className="detail-information">
          <span className="created_at">{this.props.created_at}</span>
          <Category category={this.props.category} />
        </div>
      </li>
    )`

| @旅行/散歩

パルテノン神殿

2015年6月22日

振り替え便は 8:10 と聞いていたので 6 時に起きて飛行機に乗る準備をした。 7 時前にチェックアウトして空港に向かうと、昨日見た顔の人たちが何人かいた。タクシー代の精算を済ませ、搭乗手続きをして飛行機に乗ると、エーゲ航空のスッチーたちは何事もなかったかのようなにこやかな表情を浮かべていた。

アテネには一時間足らずで着いた。なんとこの日は天気が悪く、アテネ到着時は雨が降っていた。

アテネ到着

前日にアテネの宿を手配できなかったため空港に着いてから空港の無料 WiFi を使って予約しようとしたが、アテネ空港の WiFi は 60 分間しか無料で使えず、結局空港のパソコンを使って予約した。

アテネ空港はギリシャ到着時に食事したときにめちゃくちゃ高くてどうしたもんかと思っていたが、空港の外に出て空港職員等で混雑するサンドイッチスタンドに入ると、 €2.5 で食べ物が買えた。ここでコーヒーを飲みながらほっと一息つくことができた。

その後メトロでアテネの街中へと向かう。アテネ空港は成田と同じで、名前こそアテネだけど全然アテネじゃない場所にある。電車で 40 分くらいかかった気がする。

Athens city view from Acropoli

アテネの市街についてまずびっくりしたのが、街並みのヨーロッパっぽくなさだった。道が広くて路上駐車の車がたくさんあるのはヨーロッパっぽいんだけど、道路の舗装は適当でゴミや動物の糞が散乱しており、マンションのすべての側面には汚らしいバルコニーがくっついていて植物やらなんやらをみんな好き放題外に出しており、非常に猥雑だった。ヨーロッパというより東南アジアにでも来たような景観だった。

Athens

またアテネはサントリーニ島やミコノス島に比べて圧倒的に緑が多く、湿度も幾分か高いようだった。普段は 6 月に雨が降ることはなく異常気象だと泊まった宿の主人は話していたが、モンスーン気候に慣れた身からすると、乾燥の激しいサントリーニ島やミコノス島は過ごしにくく、雨降りのアテネはとても過ごしやすく感じられた。

Athens

アテネの宿はアクロポリスなどといった主な観光地にも歩いて行ける場所にあるものを選んだ。 €107 だったが安くても一泊 €200 オーバーだったサントリーニ島からすると別天地という感じだった。部屋は広く風呂は豪華で、たっぷりと暖かいお湯のシャワーを浴びることができた。

宿にはチェックイン時刻よりも早く着いたので、荷物を置いて観光へ出かけた。レストランに入ってメニューを見るとサントリーニやミコノスの観光地レストランの値段に比べるとずいぶん安い。しかもハンバーガーを頼んだらパンが一枚でハンバーグが二枚のやつが出てきた。ギリシャ人、こんな経済観念だから経済崩壊するのでは、と思いつつ、アテネサイコーと叫びながら子牛のハンバーグを食べた。

パン一枚に肉二枚

食事のあとは街をうろつき、最初携帯の SIM を買った ΓΕΡΜΑΝΟΣ を見つけたのでプリペイド SIM のチャージができるかどうか聞いてみた。サントリーニ島のショップでは、追加チャージはできるが翌月にならないとできない、という説明を受けていた。しかしキャリアの COSMOTE のウェブサイトを見てもどこにもそのような記述はなく、おかしいなぁと思っていたのだった。 €6 で 500MB のチャージを頼み、携帯を出すように言われたので Pocket WiFi を出すと、「その端末ではこの SIM カードを使うことができない」と言われて一瞬雲行きが怪しくなったが、自分たちが持っている iPhone は SIM ロックがかかっていて Pocket WiFi 経由でないとインターネットに接続することができないことを説明すると「OK」と言って追加作業をやってくれ、再びインターネットにアクセスできるようになった。

その後街を散策し、子どもが喜びそうな蒸気機関車型の観光バスを見かけたので乗ってみることにした。大人一人 €5 で、アクロポリス周辺の主立った観光地を周遊でき便利だった。乗り降り自由らしいので乗り降りしてプラカ地区やシンタグマ広場に行ったりすることもできる。我々はその勝手を知らずに漫然と一周してしまってもったいなかった。

アクロポリス バスから見たアゴラ

バスに乗ったあとにパルテノン神殿に上ってみたが、正直なところ圧巻だった。今回の旅行ではアテネはスルーする予定だったがエーゲ航空がキャンセルになったせいでアクロポリスを訪れることができたのはある意味幸運だったかも知れない。

パルテノン神殿

パルテノン神殿を観光していて初めて知ったのだが、パルテノン神殿は風化であのように朽ちているのではなく、 17 世紀にヴェネツィアによる砲撃を受けてあのようになった、とのことだった。当時でもすでに 2000 年以上の歴史を経ていたパルテノン神殿を破壊するなんて罰当たりなことだと思ったが、 Wikipedia によると、当時ギリシャを支配していたオスマントルコは、ヴェネツィアもパルテノン神殿の歴史的価値に敬意を表して砲撃すまいと高をくくって女子どもを避難させ、アクロポリス内に弾薬庫を作って弾薬を貯蔵していたのだそう。しかしヴェネツィアは一切斟酌せずパルテノン神殿に砲撃を浴びせたらしい。

修復中のパルテノン神殿

そのような状況になったパルテノン神殿を修復しようという動きはギリシャ独立後の 19 世紀中頃からあって様々手を加えられているが、 1800 年代後半から戦前にかけての修復は、古代の手法を忠実に再現するのではなく、鉄を使って無理矢理修復するという手法で、そのせいでかえって他の部分に負荷がかかり、現在は 19 世紀から 20 世紀前半にかけて行われた誤った手法の修復で傷んだ箇所を正しい手法で直しているところなのだそう。

修復されたパルテノン神殿

そういえば順調に行けば今頃訪れていたはずのドゥブロヴニクも、一時はヴェネツィアによって支配され、イタリア文化を受容しているのであった。ヴェネツィアとは地中海沿岸でやりたい放題やってたんだなぁ。

パルテノン神殿をゆっくり時間をかけて観光したあとは、一旦宿に戻ってシャワーを浴びて休憩した。三人とも何を食べてもトマトとオリーブオイルとハーブの入っている地中海風の料理に飽きていて、汁付きの麺類が食べたいと、アジア料理の店を探してアテネ一番の繁華街のシンタグマ広場へと向かった。

遅い時間にわざわざやってきたのに嫁さんが目をつけていたアジア料理屋は看板を掲げておらず、あるはずの場所には別の中華屋があって営業していた。店の前でひとしきり夫婦げんかをしたあと、あきらめてこの店に入って中華料理を食べることにした。

この中華屋が正解で、酢豚もチャーハンも中華麺もどれもうまかった。変な香辛料は入っていないし唐辛子辛くもなく、日本人にとって非常に食べやすい味付けだった。青島ビールを三本飲んでも会計は €30 程度で、一食で €70 ほどかかっていたサントリーニ島と大違いだった。しかも店の女将の中国人が非常に親切で店も清潔で、まるで日本に帰ってきたかのようだった。

中華屋の麺

食事を追えて最終一つ前の地下鉄で宿に戻り、倒れ込むように眠りについた。

2015年6月23日

翌朝は宿を出る際に領収書の宛名書きの件で嫁さんが宿のレセプションともめて、そのせいで夫婦げんかをしてしまった。一旦別行動をとることにしたのだけど、一人でアクロポリスのベンチに腰掛けているとなんかいろいろどうでも良くなってしまって、嫁さんから届いていたメールを読んで昨晩食事をした中華屋のあるシンタグマ広場で合流することにした。

昨晩 0 時近くまでいた中華屋には同じ面々がいて店を営業していた。この人たちはよく働くなぁと感心しながら店に入って食事を注文した。ギリシャ人は働かないと日本のマスコミでは言われるけど、アテネのこの中華屋の人たちも、サントリーニ島のホテルの人たちも、朝早くから夜遅くまでとてもよく働いていた。実は EU の中でギリシャ人の労働時間は結構長い方だという記事もある。新聞やテレビで見るのと実際に訪れてみるのではずいぶん事情が異なるなぁという思いを強くした。

昨夜の店内には現地のギリシャ人の客しかいなかったが、この日の店内には中国人だらけだった。

中国人の観光客はギリシャにいっぱいいたが、不思議なことに彼らは昼間はそこかしこにいるのに、夜になると潮が引いたかのようにさっと姿を消す。それは見事なものだった。夜の街を出歩いて中国人の姿を見かけることはないし、盛り場に行っても夜に中国人の姿を認めることはできない。

ミコノス島で二日連続通ったレストランの面白ウェイター氏によると、中国人はあまり良い旅行をしていないそうで、一泊ずつ街を転々とするのだそう。ひょっとしたら毎朝早い時間に宿を出て次の街に向かわなければならないから彼らは夜の街に姿を見せないのかも知れない。

プラカ地区

食事のあとはシンタグマからプラカ地区の土産物屋を冷やかしたりしながら宿のある方向に向かって歩いた。途中土産物を買うため嫁さんとアクロポリスのあたりで別れ、自分は一人で宿まで預かってもらっていた荷物を受け取りに行った。

プラカ地区

地下鉄駅で嫁さんと合流して、再びアテネ空港に戻り、自分が行ってみたかったクロアチアのドゥブロヴニクに向かった。待ちに待ったときが来た、という感じだった。