2025 年 5 月の出来事
- ASO VOLCANO TRAIL 前の最後の山練で激しく転倒し首を痛める
- ASO VOLCANO TRAIL 出場して完走(個別に記事を書いた)
- 東京へ出張し、恵比寿から洗足池公園までランニングしてラーメン二郎目黒店に
- PayPay ドームリレーマラソンに出場
- 5 月の月間走行距離は 219km 、獲得標高は 6,444m
2018 年末に NIKON Z6 を買った。その前は NIKON D90 を 10 年近く使ってた。 NIKON D90 で撮れる写真にあまり不満はなかったが、フルサイズへの憧れと動画性能のしょぼさ(静止画は D90 の方がよいものが撮れるが、動画は明らかに iPhone の方がよいものが撮れた)に困っていて買い換えを決意した。人生で初めて新発売のカメラを発売前から予約して購入した。 48 回分割払い。
NIKON Z6 の良さは色々ある。通し F4 で撮れる 24-70m レンズ(レンズキットを買った)、 ISO 感度の高さ、チルト液晶、奥行きにも対応したデジタル水準器、 SnapBridge 対応(スマートフォンの GPS を利用した位置情報埋め込み、撮った写真をすぐに Bluetooth でスマートフォンに送れる)などなど。スマートフォン時代に対応するための正統進化という趣がある。 NIKON は真っ当ないい製品を作ったなと思う。
というわけでまずは NIKON Z6 で撮った写真からご覧下さい。そのあとに iPhone 7 で撮った写真で今年を振り返ります。
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朝定食です。 pic.twitter.com/oK4Pr0WpoM
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 3, 2014
自宅で密造した朝定食です pic.twitter.com/J8zvQ2SVk5
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 4, 2014
いわゆる一つの花金です。 pic.twitter.com/eGSYU0GjTO
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 12, 2014
人類の叡智を結集 pic.twitter.com/CslCb3N5Uh
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 13, 2014
Ultimate Break & Fast です。 pic.twitter.com/GVJyWFOgK9
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 18, 2014
小さな花金の様子です。 #様子ですJP pic.twitter.com/LcOXPJQYsD
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 19, 2014
嫁さんが女子高生の頃にミスドからパクってきたコップでコーヒー飲むと興奮する。 pic.twitter.com/kAYir8iKXx
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 23, 2014
祝日なので家二郎しました。 pic.twitter.com/lsMCYLpgH6
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 23, 2014
自宅で密造したそぼろ丼がうますぎて泣いてる。 pic.twitter.com/A0hJRrxcMu
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) September 28, 2014
今年の三月、持病の経過観察で京都に行きました。病院の合間に下鴨神社と上賀茂神社にお参りしたり、六波羅の平家ゆかりの寺、六波羅蜜寺に行って平清盛像を鑑賞したりしました。帰る日の夕方にはヒトデ909さんのありがたい法話を聞きながら銅製のタンブラーでビールを飲みました。しかしこのとき僕はすでに肛門近辺の痛みのためまっすぐ座ることが出来ず、お尻の左半分で椅子に腰掛け、右半分は空中に浮かせていました。ヒトデ909さんのありがたい法談も半分くらいしか耳に入っていませんでした。
僕が痔ろうを発症したのは恐らく京都に行った前の週に参加した故郷での同窓会です。同窓会は阿蘇いこいの村という宿泊施設でとり行われました。阿蘇いこいの村はテニスコートがありますので、学生時代にテニスサークルで痴情をもつれさせていた紳士淑女のみなさんは泊まってみるといいと思います。
僕は当初二次会には参加せずに帰ろうと思っていたのですが、参加者が少ないので協力して欲しいということで二次会に参加してしまいました。しかしこれが間違いでした。僕はインターネットの人と会ったときは饒舌なのですが、中学や高校の同級生と会ったときは寡黙になってしまいます。二次会では会場の隅っこに立って一人で延々キャラメルのリキュールを牛乳で割った液体を飲んでいました。これが全然酔わない。酔わないし手持ちぶさたなのでどんどんキャラメル牛乳酒を飲んでしまいます。これがまずかった。翌朝、下痢をしてしまったのです。
若い頃は飲み過ぎると吐いていました。しかし30歳になったあたりから酒を飲み過ぎると下痢をするようになりました。アルコールが体から抜けるまで下痢は治まりません。まぁ吐くよりかは楽なのですが、下痢は恐ろしいことに痔ろうの原因になるのです。
痔ろうはいきなり痔ろうにはなりません。まず最初、肛門周囲膿瘍というやつになります。お尻の穴の近くにおできが出来るのです。しかしこれは単なるおできではなく、肛門と直腸の間にある肛門陰窩というくぼみに下痢ピー状態のうんこが入り込んでしまい、そこが化膿してお尻の穴の近くまで膿を内包した袋が延び、肛門近辺におできを作ります。こいつがすこぶる痛い。38度程度の熱が出ます。このおできのことを肛門周囲膿瘍といい、おできから直腸のあたりまで繋がっている状態を痔ろうと言います。
関西から夜の飛行機で帰ってきて眠りにつきますが、翌朝目が覚めたときには体がだるく、ただならぬ状態であることを悟りました。会社には遅れる旨連絡を入れ、天神近辺にある肛門科を探しました。
肛門科では見るなり肛門周囲膿瘍である旨告げられました。切開をして膿を出さない限り心の平安は訪れないそうです。僕は承知をして切開してもらいました。熱は下がりましたが、これからが地獄でした。
排膿したので熱は引きますが、傷口は相変わらず痛みます。傷口のろう管にガーゼを詰め込まれました。そしてさらに上からガーゼで傷口を圧迫される。僕は会社用と自宅用に円座クッションを二つ購入しました。会社では岡村製作所のバロンという上等な椅子に座らせてもらっているのに、この上に円座クッションを載せて座っていてなんだか残念な感じになっていました。
傷口はお尻の穴の近くなので当然お尻の穴の上もガーゼに覆われています。最悪なことに大便でトイレに行くたびにガーゼの張り替えをしなくてはなりません。お尻の穴なんて自分では見えませんから、ガーゼの張り替えは困難を極めます。当然シャワーを浴びた後もガーゼを張り替えなければなりません。僕は毎日月経中の女性のように小さなポーチを持って個室トイレに入り、ガーゼを交換していました。
切開から一ヶ月が経つ頃には傷口は落ち着き、ろう管に詰め込まれたガーゼも取り出してもらえます。通常の生活ができるようになった! しかしこれはつかの間の喜びなのです。切開後一ヶ月ないし二ヶ月を目安に、痔ろうを根治するための手術をしなければなりません。痔ろうとは放っておいても直らない病気なのです。
痔ろうは昔から多くの人を苦しめました。夏目漱石も痔ろうだったと言います(日本人編 近現代|じなび - 痔の総合情報サイト -)。昔は痔ろうの手術のために肛門を切り開いてろう管をそぎ取ったりしていたそうですが、最近はシートン法というものがあり、手術のために入院する必要はなくなりました。しかしこれもすこぶる痛かった。
シートン法とは肛門と痔ろうの管を輪ゴムのようなもので縛り、ゆっくりゆっくりと肛門周辺の組織を切り取っていく治療方法です。手術自体は局所麻酔と内視鏡で終わりますが、術後に地獄のような日々が待っています。せっかく傷口から膿が出なくなっていたのに、ゴム紐で肉をゆっくりと切っていくため出血したり膿が出たりします。異物が体に入り込んでいるので椅子に腰掛けるのは不可能になります。自宅では無印良品の体にフィットするソファに覆い被さるような姿勢で過ごさざるを得ませんでした。
しかも最悪なことにシートン法のゴム紐は一週間に一度締めなければなりません。ゴム紐は肉を切っていくので、だんだん締め付けが緩くなっていきます。定期的に締め付けを強くしないと治療が進まないのです。この締めるときがまた痛い。ある日昼休みに病院に行って締めてもらったら、あまりの痛さに耐えられなくなってしまって午後から会社を早退してしまいました。
結局、3月初旬に排膿のための切開をしてから6月まで地下鉄で椅子に座ったことがありませんでした。外出するときも歩き疲れたからと喫茶店に入って休むということが出来ず(お尻が痛いので椅子に座って休憩することができない)、かなりのスリルをあじわいながら生活していました。梅雨入り前の暑い日、出来心で海まで歩いて行ったのですが、炎天下に歩き続けて疲れて歩けなくなったらどうしようと気が気ではありませんでした。疲れ果ててもう歩けないと思っても、ケツが痛いためタクシーに乗ることが出来ないのです。まさかこんなことでは救急車なんて呼んでもらえないだろうしのたれ死ぬしかありません。
シートン法のゴム紐がとれたときには涙が出るほどうれしかったです。そのときのツイートです。
【速報】ケツのゴム紐がいつの間にか落下しケツが復活【号外】
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) June 10, 2012
ゴム紐がとれたことがうれしくて、ワイフと二人で大ライスを食べて祝いました。
大ライシング twitter.com/morygonzalez/s…
— ゴニーモンザレス (@morygonzalez) June 12, 2012
僕はラーメン二郎のことは愛していますが、痔ろうのことは大嫌いです。
この記事は拡散お願いしますアドベントカレンダー2012の13日目の記事でした。
明日は @fuba さんです
もう一つSRさんに対するレスポンス。僕とSRさんのやりとりを見て、ラーメン二郎は初めてのお客を無下に扱う最低最悪の酷いラーメン屋と思った人がいたとしたら、それは残念極まりない。是非、ラーメン二郎三田本店店主、山田さんへのインタビューを読んで欲しい。おじさんの二郎に対する真摯な気持ちが伝わってきます。麺へのこだわりとか。利益優先に走るならいくらでも儲けられそうなのに、自家製麺にこだわり、価格は安く抑える。
- 山田
- しかし混むのはうれしいけどさ、女はあんまり来ないで欲しいなあ。麺を三分の一から二分の一ぐらいにするんだけど残すんだよな。俺も、もう節操ないからさ金だけ置いてってくれりゃいいんだけどさ。昔は文句も言ったけど、今は何も言わねえよ。節操ないからさ。女どおしだと結構食うんだけど、男がいると残すんだよな。
- じく
- 僕も、女はあまり来て欲しくないですね。食べるの遅いですから、並んでてこっちがイライラします。あと漫画見ながらゆっくり食ってる奴がたまにいるんですよね。
こんなことも書いてありますけど、女の子だって食える子だったら無下にはされないし(僕が学生時代には一人で食べに来てる女の子もいた!)、男でもマンガ読みながらやお喋りしながら食べるやつは白い目で見られる。後ろに1時間2時間待っても食べたいと思ってる人がいっぱい並んでるんだから速く食べて席を譲るのは当然だと思うんだけどな。
唐突ですが今日はラーメン二郎への愛を語ってみたいと思います。
僕はラーメン二郎が好きです。ラーメン二郎はなぜ素晴らしいのか。いろいろ理由はあると思います。まず味、独特です。ボリューム、異常です。アブラ、マシマシです。でも僕がいちばんラーメン二郎で好きなのは、二郎の雰囲気なんじゃないかという仮説にたどり着きました。
僕は2000年から2005年まで東京に住んでいてしばしば二郎を訪れていましたが、ホームページで二郎巡り遍歴を公開している人達みたいにたくさんの店を食べ歩きしていたわけではありません。主に目黒二郎、ときどき三田本店、ごく希に高田馬場、あとは赤羽の○二郎と上野毛二郎に一度ずつ行ったことがあるだけです。
京都では上洛する度にラーメン荘夢を語れに行っていましたが、最後に訪れたのは去年の2月でそれ以来行っていません。先日、熊本でも二郎風のラーメンが食べられると知って大仙というラーメン店を訪れました。熊本で二郎っぽいラーメンが食べられてとてもうれしかったです。本場の味を再現しようという意気込みも感じられました。しかし何かが違う。
結局、雰囲気なんです。僕は二郎の雰囲気が好きで二郎に通っていたんです。
二郎にはいろいろなルールがあります。客は客として偉そうにしていることが許される店ではありません。静かに整然と列に並ぶ、席に着く前に食券を買っておく、並んでいるときに店主から食券の色を聞かれたら素早く掲げて見せる、席が空いても勝手に座ってよいわけではない(一人客優先、女性客への配慮など)、水はセルフサービス、雑談しながら長々と食べることは許されない、食べたらどんぶりとコップをカウンターに上げ、テーブルを拭いてから出る等々。これらは多くのお客がやってくる二郎ならではのルールで、一人でも多くの人に二郎を食べてもらうためのものです。二郎で食事をするためには客もある程度の協力を求められるわけです。僕はその共同作業的な雰囲気が好きなんだと思います。
二郎にあってはポルシェで乗り付けるような金持ちも電車と徒歩でやってくる貧乏人も同列に扱われます。三田本店などでは体育会の学生が鍋二郎といって特別待遇を受けますが、金持ちがたくさん金を出したからといって並ばず食事が出来るということはありません。少なくとも目黒二郎ではそうでした。二郎の前にあっては人は平等なのです。
外食をしていると、ときどき飲食店で客だからとすごく偉そうに振る舞っている連中に出くわします。ああいうのは見ていて気分が悪くなります。もちろん二郎にもアホな客はいますが、アホな客は冷たい視線を浴びせられ、店主からもぞんざいな扱いしか受けません。
客は常に紳士であることが求められる。そこがラーメン二郎の素晴らしさなんだと思います。