P_BLOGのVer1.0がリリースされていた。新しもの好きの俺としてはいますぐにでも飛びついてアップデートしたいのだが、しばらくは様子を見ようと思う。Continue reading...

 今回の総選挙は選挙制度の特色が良く現れたようである。

2大政党の流れは不変 大勝は小選挙区の特性

 これが小選挙区制の怖さだ。自民党の候補が全国の選挙区で集めた票は民主党の1・3倍にすぎないにもかかわらず、2・7倍の議席を獲得し、歴史的な大勝を果たした。ちょっとした風が“地滑り的勝利”につながる制度の特性がくっきりと表れた格好だ。自民党は民主党の追撃を食い止めたかにみえるが、移ろいやすい無党派層が今回の衆院選で自民党を押し上げたといえる。民主党にも逆転のチャンスは常にあり、2大政党制の大きな流れはむしろ不変だろう。Continue reading...

 選挙関連のテレビ番組や新聞記事を見ていていつも違和感を覚えるのが、「ほげほげ氏は青年会の支持を取り付け票を積み増している模様」というような表現である。票を積み増しているとどうしてわかるのか? 青年会の幹部はほげほげ氏を支持すると表明しても、末端の会員は別の人に投票するかもしれないじゃないか? それとも投票所に青年会の監視員が詰めていて会員が投票に来たら拳銃でも押しつけてほげほげ氏へ投票するよう脅迫するのだろうか? 

 こういう表現がまかり通ること自体がこの国の民主主義の脆弱性、似而非具合を表していると思う。

 かつて書いた記事</a>に関連する新聞記事を発見した。

 一人のがん患者として、まったくもって濃沼教授の言う通りだと思う。硬直的な自己負担割合は非効率的である。まんべんなくあらゆる病気の患者に病院に来てもらおうという医師会の意思が反映されている。

 しかし衝撃的なのは、アンケート結果でがんを患ったことで解雇された人がいるということである。これは妊娠した女性社員を辞めさせるのと同じくらい卑劣な行いである。断固として許してはならないと思う。病気になったあげく仕事まで奪われたら、もう絶望の縁である。年間の自殺者三万人のうち約三分の一が病気を苦にした自殺だと言うが、病気をきっかけにした解雇などが患者を死に追いやっているのではないだろうか。

 病気を患った人が消費者金融でお金を借りるとは。世も末である。Continue reading...

 余丁町散人の隠居小屋というブログを読んでいたら、こういう記事に出くわした。

山中湖村と河口湖町はどうしてあんなに雰囲気が違うのか?

日本の観光地といえば、いずれも俗悪な看板が立ち並ぶ商業化された場所というイメージがあるのだが、山中湖村は観光地とはいえ落ち着いた街並みがうまく自然とマッチした例外的な存在。同じような立地条件にある近隣の河口湖町と対照的でもある。なぜか。

 引用文の詳しい内容は参照元で読んでもらうとして、なぜ河口湖と山中湖で雰囲気が異なるのかというと、それは河口湖が富士山麓にしては珍しく稲作の出来たところで、なまじ自分たちにお金があったばかりに観光地化に失敗したかららしい。一方で山中湖は農業に適さない土地であるからサービス業に望みを託すしかなく、都会の資本を誘致するなど気合いを入れて開発し、品のある観光地にすることができたのだそうである。

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 ジャマイカの絶望的な国家財政と経済状況を描いたドキュメンタリー映画。IMFはひどい連中でジャマイカ人は大変困っている様子だった。なかでもショッキングだったのが、ミルクを下水に流して廃棄処分するシーン。アメリカから粉ミルクが安い価格で輸出されるため、ジャマイカ産の牛乳には買い手が付かないのだという。粉ミルクの方が加工にコストがかかるため通常割高になるのだが、アメリカは粉ミルクに輸出補助金を与えているため不当に安い値段でジャマイカに輸出可能なのだという。ジャマイカはアメリカに骨抜きにされて、もうアメリカに依存せずにはいられない状況におかれているのである。ちょうど麻薬の売人が客を麻薬漬けにするのと同じである。金を借り、負債を返済する。すると教育や医療に予算を割けない。教育水準が下がると将来の経済成長が鈍る。ふたたび借金をするという悪循環である。

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 『ヴェラ・ドレイク』はイギリスの映画。テーマは堕胎で重苦しい内容だ。

 大変グロテスクな映画である。それは堕胎を扱っているからではなく、心優しい人物が、困っている人を助けるために良かれと思ってやっていたことが、重大な結果をもたらすことがテーマだからだ。何が善で何が悪なのか分からなくなってくる。見る者を混乱させる映画である。

 エンディングに納得がいかなかった。一般的に映画のエンディングには二種類あると思う。一つはことの顛末をつまびらかにしてくれる観客に優しい映画、もう一つはうやむやなままに終局を迎え、最後は観客の想像力に託す観客に厳しい映画。後者の場合、結末は描かれないが、劇中で与えられた情報をもとに劇中の人物たちはどういう最後をたどるのか予測可能である。

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