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 どれもずいぶん前に見た映画だから内容はうろ覚えなんだけど、感想を書き留めておきます。

みなさん、さようなら ★★☆☆☆

 親父と仲の悪かった息子が、がんを患って死期を待つばかりの親父のために尽くすという内容。死ぬ前の和解がテーマ。酒好き女好きの父親は放蕩無頼の人生を送ってきた。妻には逃げられ、息子は父親を反面教師に育ち、いまやロンドンの金融街で名を馳せるエリートサラリーマン。長らくカナダの実家に寄りつきもしなかった息子であるが、父がもはや長くないということを母から知らされ、父の友人やかつての愛人たちを集め、最期が少しでも安楽なものとなるよう尽力する。

 がんの父親は最期までまるまると肥えているし、共感できる部分は少なかった。死に至る瞬間も微妙。最後まで死が美しいものとしてしかとらえられていなかった。安易なセンチメンタリズムに走っているように思えた。アカデミー賞最優秀外国語賞とったってほんとですか。

ぼくを葬(おく)る ★★★☆☆

 好きなフランソワ・オゾン監督の作品。主人公は人気絶頂のカメラマン。しかしある日撮影中に倒れてしまい、手を付けられない状態まで進行したがんであることが判明する。百に一つの可能性にかけて抗がん剤治療をやってみないかと医師に勧められるが、主人公は断る。残された時間は3ヶ月。

 抗がん剤やんないのに主人公が最後坊主頭にするあたりが意味不明。フランソワ・オゾンほどの人物であってもこういう理解に乏しい演出をするのかと少しがっかりした。ただ安易なセンチメンタリズムで話をまとめていないところはさすが。主人公を演じたメルヴィル・プポーは最期のシーンを演じるために死ぬ気のダイエットに挑んだらしく、役者魂を感じた。ラストシーンには鬼気迫るものがある。

 ただ、死を目前にしたがん患者がこの映画を見ても得られるものは少ないだろう。

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 ドイツ映画。料理がうまそうな映画でした。以下ネタバレあり。

 主人公はエロティック・キュイジーヌで名をはせるシェフ、グレゴア。彼の料理を食べた者は官能の世界に誘われる。一度口にするや、テーブルマナーとか無視でお皿に残ってるソースまで指ですくってぺろぺろ舐めちゃう。そんな食い物あるのかってくらいに料理を上手に作ることが出来るオッサンです。でも太ってて禿げてて女っ気なし。休日はいつもカフェでお気に入りの給仕の女性の姿をじろじろ眺めるだけです。しかも給仕の女性エデンからはストーカー扱いされて全く風采の上がらないグレゴア。

 しかしエデンの娘レオニーが公園の噴水に落っこちる現場に居合わせ、レオニーを助けてあげたことであこがれのエデンと仲良くなる機会を得ます。偶然翌日がレオニーの誕生日だと知った彼は、とびきり美味くて官能的なケーキをプレゼント。そのケーキを口にしたエデンはグレゴアの料理の虜になるのです。

 エデンは悪女としては描かれませんが、僕からした悪女以外の何者でもありません。夫に黙ってグレゴアの厨房に通い詰め料理を作らせ、「あなたのおかげで私の人生はとてもうまくいくようになったわ。夫も昔好きになった頃の夫に戻ったし」だって。そんなのってないよ。グレゴアは自分のこと好きなこと分かってるくせに。エデンはグレゴアに与えてもらうばかりで何も彼に与えないのです。

 それでもグレゴアはエデンのことが好きだから、寂しい毎日に一輪の花が添えられたような生活が楽しくて、毎週毎週、エデンのために料理を作ってあげるのです。悲しいなぁ。

 ただエデンという女性は非常に魅力的に描かれており、見ていて美しいなぁと思いました。僕もドイツ語を話す女の人と懇ろな関係になりたいです。

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 マイケル・ムーアがアメリカの医療事情をあぶり出した『シッコ』。なかなか面白かったです。

 一年くらい前に見たNHKスペシャルか何かで、なまじ収入があるばかりに貧困層向けの公的医療保険に加入できない中間層がアメリカには数千万人いる、というのがありました。でも今回マイケル・ムーアが取材対象としたのは保険に加入できない彼らのことではなく、保険に加入している人々のことです。恐ろしいことにアメリカの保険会社は何かとケチを付けて保険料の支払いを渋り、医療サービスを受けるために破産する人々がアメリカにはいるというのです。

 映画では憤りを覚える事例はたくさん紹介されているのですが、とても理不尽に感じたのが、交通事故に遭って意識を失い救急車で搬送された人が「事前に保険会社の承認のない救急車利用は保険金支払いの対象にならない」と支払いを拒否された例です。意識が回復するまで事故現場で大人しくしていろと言うのでしょうか。こんな感じでアメリカの医療保険は無茶苦茶なのです。

 荒廃したアメリカの医療の対比としてイギリスやフランス、カナダ、キューバの医療事情が紹介されます。各国とも医療費の患者負担はただか殆ど無料に近いもので、国民みんなが安心して医療サービスを受けられる態勢が整えられています。イギリスのNHSはアメリカ人に共産主義的な医療制度であると誤解されているのですが、医師は高い年収を保証され、高級住宅に住み、アウディを乗り回しています。一方で医療費がほぼただであることに加え、所得の低い人には交通費が支給されさえするのです。フランスでは出産をした人に政府が国費でお手伝いさんを雇ってくれます。

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 1984年、イスラエルとアメリカはエチオピアのユダヤ人を国内に帰還させる政策をとった。作戦の名前はモーセ作戦。彼らは唯一の黒い肌を持つユダヤ人であった。しかしエチオピアは当時移民を禁止していたため、イスラエルへの移住を希望する人々はスーダンの難民キャンプまで決死の覚悟で移動しなければならなかった。途中、飢えや渇き、あるいは盗賊に襲われるなどで4,000人が命を落としたという。スーダンの難民キャンプも環境は劣悪で、モーセ作戦の現場に居合わせたキリスト教徒である主人公シュロモの母親は、我が子をユダヤ教徒であると偽らせファラシャ(エチオピア系ユダヤ人)の列に加わらせる。イスラエルへの帰還直前にたまたま我が子を亡くした女性の息子になりすまし、少年は出自を偽りイスラエルの地を踏むのである。

 物語の基本はビルドゥングスロマンです。シュロモは頭の良さをいかして女の子をうっとりさせるラブレターを書いたりユダヤ教の演説会で観衆を感嘆させたりと順調に成長していくわけですが、アフリカに残してきた実母と出自を偽っていることがいつも心の隅にあって苦悩します。本当はユダヤ人じゃないんだけど、努力して模範的なユダヤ人になろうとする。でもなかなかイスラエル社会は自分を受け入れてくれない。彼はいったいどんな人生を送ることになるのか。

 この映画には三人のお母さんが出てきます。一人目は我が子を生きながらえさせるために心を鬼にして主人公シュロモを突き放したの実の母親。二人目は帰還直前に亡くなった我が子の代わりにシュロモを連れてイスラエルに入国したユダヤ教徒の母親。最後に、イスラエルで二人目の母をも失ってしまったシュロモを引き取り献身的に愛情を注ぐフランス系ユダヤ人の母親ヤエル。みんないいお母さんなんですね。シュロモが学校でみんなからいじめられ、そのストレスのせいで肌にブツブツが出来るのですが、同級生の親たちはそれをアフリカの伝染病じゃないかといって恐れる。教師に「みんなが怖がるからシュロモを転校させたい」と言われると、ヤエルは親たちの前で演説をぶち、我が子は世界で一番美しいと言ってシュロモの顔を舐めるんですね。これには圧巻。母の愛情は海より深くて大きいわけです。

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 50歳の裁判所執行官、ジャン=クロードが主人公。妻と別れ、寂しい毎日を送る。息子を自分の事務所で雇うが、自分も執行官という仕事も尊敬されていないのをひしひしと感じる。週末には養護施設に入っている老父のもとを訪れるが、自分と父の関係もうまくいかない。孤独な毎日。そんななか職場の向かいから漏れてくるタンゴの音楽に誘われ、社交ダンス教室に通い始めるジャン=クロード。そこで自分の子どもほどに歳の離れた美しい娘と知り合い、恋に落ちる。フランスでは好評で半年間も上映されてたらしい。

 わたしはこの映画は非常に含蓄に富んでいると思った。脇役に禿が二人出てくる。若い娘フランソワーズの婚約者と、ダンス教室で執拗にフランソワーズにアプローチしてくる中年禿。どちらもキモい。婚約者は作家かなにかで、筆が進まずフランソワーズを放置プレーにしてしまう。結婚を控え、披露宴で華麗にダンスを踊りたいフランソワーズは婚約者をダンス教室に誘うのだが、本が書けてないのにそんなもんに行けるはずがないと取り合わない。結局フランソワーズの気持ちは禿作家から離れて行ってしまう。

 中年禿もキモい。フランソワーズにその気はないのに、執拗に一緒に踊りましょう、飲みに行きましょうとアプローチし続ける。フランソワーズがジャン=クロードと良い仲であることを知ると、今度は「あなた結婚するって言ってませんでした?」と嫌みを言う。本当にキモい。

 でも、とわたしは思う。実際のところ、黙っていて美しい女性が自分の方から言い寄ってくるなんてことはないのである。わたしは映画を見たあとすぐは、ジャン=クロードのように欲を出さず、女性の方から寄ってくるのを待っているのが一番楽で良いな、と思った。女性を誘って断られるとすごく傷つくから。わたしも今後の人生そうしようかな、無欲が一番だ、なんて思った。でもそんなうまい話はないのだ。日本人女性はフランス人女性みたいに情熱的ではないのである。

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 かなり良かった。好き。18編からなる、パリを素材にしたオムニバスフィルム。いろんな監督、俳優がパリについて語っている。切ない話あり、恋の始まりを予感させるような胸キュンストーリーあり。

 一番印象に残ったのが『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペインによる14区。アメリカ人の太った郵便配達の女が出てくる。彼女はパリに憧れてて、パリに旅行に行くために2年間フランス語を習い、貯金をする。本当は2週間滞在したかったが、犬を飼っているために6日しか滞在出来ない。せっかく勉強したフランス語で会話しようと、通りがかりの美容室でおいしいレストランがないかを尋ねてみる。しかしフランス語を使いたい彼女の意に反して、美容師は流暢な英語で話し返してくる。一人で食事をとったあとサルトルの墓を訪れるが、一緒に眠るボーヴォワールの名前の読み方が分からず、ボリヴァルとかなんとか読んでしまう。この辺りの描写がすごく切ない。太っていて、ファッションがださくて、恋人はおらず犬しか家族がいない、教養のない寂しい女。これって典型的なヨーロッパ人のアメリカ人観なんじゃないかと思った。ヨーロッパ人はきっとこんな風にアメリカ人をバカにして見てるんだろうなぁ、って。監督のペインはアメリカ人だけど。パリについての映画で、アメリカの田舎に数多く住んでいるであろう、無教養で太っていて寂しい人生を送っているアメリカ人について考えさせられることになるとは思わなかった。この五分間の短編はでかかった。

 最初から二つ目の、『ベッカムに恋して』の監督が撮った5区「セーヌ河岸」も良かった。イスラムの少女に恋心を抱くフランス人少年の話。『ベッカムに恋して』の主人公もそうだったけど、この監督はかわいいオリエンタル美人をつかまえてくるのがうまい。そしてとてもきれいにその子を撮る。僕の方までこのイスラムの少女に恋してしまいそうになった。パリジャンの少年とイスラム少女がその後どうなったのかがすごく気になる。

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 京都は映画館が熊本よりたくさんあるし、機会があれば映画をたくさん見てやろうと思っていたのですが、足がしびれていたり体調が優れなかったり面倒くさかったりで(ていうか殆どこれが原因)、半年いたのに劇場に足を運んだのは3回だけでした。

それでもボクはやってない ★★★★☆

 最初に見たのが周防監督の『それでもボクはやってない』。痴漢冤罪がテーマの映画です。エンターテインメント作品としても優れているし、裁判制度の問題点を社会に問いかける問題提起型の映画としてもよく出来ていると思いました。

 むかしドラマ『ひとつ屋根の下』で下半身不随の青年を演じていた山本耕史が主人公をサポートする親友役で登場します。『ひとつ屋根の下』や最近の『華麗なる一族』ではニヒルな役などを演じていましたが、このドラマでは打って変わってパチンコばっかやってるプータローだけど友達思いのナイスガイを演じてました。知的な役柄よりもこういったチンピラ風の役の方がこの人はまり役なんじゃないかと思った次第です。意外な発見でした。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 ★★★★★

 その後退院間近になって見に行ったのが『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』。これは面白かった。ダーティーなギャグ連発です。女性を性欲のはけ口としか見なかったり、障害者をバカにしたり、公衆の面前でUNKしたり、マネキンを見て手淫を始めたりと、カザフスタンの人気テレビレポーター・ボラットが、アメリカに文化学習に行ってやりたい放題やります。でもそれが強烈に皮肉が利いていて、とても面白い。例えばボラットは過剰にユダヤ人を怖がるのですが、それは絶対イスラム教徒を恐れるアメリカ人に対するあてつけだし、テーブルマナーを無視して無茶苦茶やったりだとかも、建前だらけの近代社会アメリカを皮肉ったものに他なりません。性欲のあるMr.Beanってのが一番分かりやすい例えかも知れません。

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