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olmo coppia

友達が始めたオーガニックレストラン。サイトを作らせてもらった。素人なのであまりぱっとしないデザインだけど、ここ何年間かの廃人インターネット中毒生活が何かの役に立ったんじゃないかという気がしている。

お店は非常にインテリアやエクステリアがかっちょよくて、かなり居心地がよい(料理はイタリアンなんだけど、内外装はどっちかというと北欧っぽい)。もちろんコーヒーや料理もおいしい。エスプレッソマシンはかなり本格的なやつが入っている(サンレモというイタリアメーカーのもの)。それなのにエスプレッソシングルショットの値段はわずか210円! この辺、オーナーの友人はかなり本場を意識したようで、フラッと立ち寄ってエスプレッソを引っかけるイタリア人みたいな午後はいかがですか?

阿蘇にお立ち寄りの際は是非。

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 はてなブックーマークでiPhoneと格差社会と秋葉原連続殺人 - モチベーションは楽しさ創造からという記事をブックマークしたら、ブックマークコメント欄で浮いてしまった。

はてなブックマーク - iPhoneと格差社会と秋葉原連続殺人 - モチベーションは楽しさ創造から

 このように僕だけ浮いた感じになってますけど、元記事に書いてあることはまっとうなことだと思うんだけどなぁ。なんで「トンデモ」とか「これはひどい」とかいうタグが付くか分からない。

WinterMute 秋葉原通り魔事件, トンデモ おかしなこと、というか、何ひとつ意味のあることを言っていない、というところ。これが何かまともで意味のある言説に見える人は詐欺やマルチ商法にお気を付けて

 僕のあとにブックマークした人にこういうコメントをいただいたんだけど、僕にはまともで意味のある言説に思える。「トンデモ」だとか「これはひどい」だとかいうタグを付けてる人達は、どの辺を指しているのだろうか。ちょっと考えてみよう。

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女の子とかに多いんだけど、個別具体的なことを延々話す人がいる。もちろん、個別具体的なことでもテーマが普遍的であったり適度な説明を挟んでくれれば、友達の洋子ちゃんの話でも大介の話でも聞いてあげなくはない。しかし何のオチもなく、自分が好きな人の話などを延々と続けられても、こちらはちっとも楽しくない。

Twitterなどをやっていて思うのだが、コミュニケーションというのは相手を楽しませなければ成立しない。あなたにとってかけがえのない親友である洋子ちゃんや世界で一番大好きな大介であっても、わたしにとっては足の指の数も知らない赤の他人なのです。もし自分の友達や恋人の話を聞かせたいのだったら、一般性のある何か、普遍的な何かを導き出さなければならないと思うが、いかがか。

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わたしは回り道が好きだ。道路が少しでも込んでいると裏道や旧道を走りたくなる。せっかちだから渋滞が嫌いだということもあるが、トリッキーな道を小気味よく走るのが好きなのだ。それに旧道には歴史がある。熊本大学の前の道なんかは狭くて渋滞するし、クネクネしていてあまり運転しやすい道だとは言えないが、「この辺を夏目漱石も散歩していたんだな」と想像しながら運転すると、何だか特別な時間を過ごしているような気がして運転がとても楽しくなる。

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週に2, 3度しかエンジンに火を入れないときは、車というのはまったくのおもちゃだった。しかし毎日乗るようになると、車への思い入れが弱まった。もちろんいまも車は好きだが、汚れたとかキズが付いたとかをあまり気にしなくなった。そんなことを気にしていたら日常生活の足として使えないからだ。

都会に高級車がいっぱい走っているのは、田舎に比べ富裕層が多いからということももちろんあると思うが、車を日常生活の足として使う人が少ないからだと思う。だから愛玩動物のように車を愛でることが出来るのだと思うが、いかがだろうか。

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 今日、大学病院のベーカリーで、とても美人な医学生の女の子を見かけた。僕は美人で医者や弁護士をやっている人を目にすると、「さぞ誘惑が多かっただろうに、よくぞそれらを断ち切ったな」と思って感動する。美人というのは黙っていても男がやってきて彼女をデートに誘うわけで、目先に楽しいことがごろごろ転がっている。ブスな女の子の場合、誰もデートに誘ってくれないから仕方なく勉強して将来男たちを見返してやる、みたいな選択肢を取り得るのだが、美人な女の人の場合、青春時代に犠牲にするものがとても大きい。

 だから、美人でありながら医者や弁護士になっている人がいたら、容姿はその人の能力を示す指標の一つとなりうるのではないかと思う。こんなに美人でありながら若いときに遊びまくるのを我慢して勉強しお医者(あるいは弁護士)になったのだ、きっとこの人はすばらしい仕事をしてくれるに違いない、と。そんなことをパンを食べながら考えた。

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 余命宣告されたのが去年の11月末で、ちょうど一年前の今頃から京都の病院に移って抗がん剤を開始しました。去年の今頃はもう自分は死ぬんだろうなと思っていて、友達から届いた励ましのメールを読みながら病院のベッドで泣いたりしてましたが、いまはこうして無事に生きております。

 最近更新してなかったので全国のファンの皆さんから問い合わせが殺到していますが、大丈夫。生きてますのでご安心ください。