もっと映画の感想を書きたいんだけど、週末はついつい新しく公開された映画を見に行ってしまうのですでに見た映画の感想を書くことができず、すかすかな内容の映画評しかできない。映画館の近くに住みたい。都会に引っ越したい。仕事くれ。
Hello, World!
「最近のポータルシット変わった」とかいうコメントをTwitterで何度か見かけたのでportal shit!は閉鎖することにしました。おちょくられるの嫌いなのであまり好き勝手なこと言わないでください。
というのは嘘で、パソコンっぽい内容は別のブログに書くことにしました。
Linuxのブート中にキーボードをがちゃがちゃやると危ない
Linux(CentOS 5.4)がずーっと起動しっぱなしだったので、たまにはリブートするかと
sudo reboot
かけた。普段、サーバーにはモニターもキーボードもつないでいないので、このままだと「キーボードがないわよ」みたいな警告が出てブートが途中で止まる。たいていキーボードをつけてがちゃがちゃやると「キーボード発見しました」みたいな表示が出てブートが進むので、モニターはつながず、キーボードだけつないでがちゃがちゃやっていた。しかし…。
ブラウザーからサーバーにアクセスしてもつながらない。あれ? sshでMacBookからサーバーに入り、
/etc/init.d/httpd configtest
してみると
httpd: Syntax error on line 210 of /etc/httpd/conf/httpd.conf: Syntax error on line 1 of /etc/httpd/conf.d/ruby.conf: Cannot load /etc/httpd/modules/mod_ruby.so into server: /etc/httpd/modules/mod_ruby.so: cannot restore segment prot after reloc: Permission denied
とか出る。えー? mod_ruby.so が読み込めないのかー。mod_rubyを再インストールしたり httpd.conf を書き直してみたりしたんだけど効果なし。同じエラーで困ってる人いないかと、「mod_ruby centos エラー」とかでググってみたんだけど、そういう人は見つからず。キーワードを変えて「cannot restore segment prot after reloc: Permission denied」でググってたら以下のサイトにたどり着いた。
なるほどそういうことか。どうやらモニターにつながずキーボードをがちゃがちゃしていたときに /etc/selinux/config の設定を変更してしまっていたみたい。(SELinuxの小技)
結局、 /etc/selinux/config を編集して
SELINUX=disabled
として無事Apacheが起動できるようになった。
午前中の時間が無為に過ぎて行ってしまった…。
年が明けたので2009年でも振り返ってみるか
就職した
2009年はいろいろありました。まず就職した! ダサいことに上京して三日で会社辞めて帰ってきましたが。転出届を出すために役所に行ったときに会った同級生と10日後に地元のディスカウントストアで鉢合わせたときのかっちょわるさはなかなかのもんでした。まぁ僕っぽいつったら僕っぽいです。その後いろいろあっていま働いてるところにお世話になることになりました。
CakePHPをさわるようになった
いままでの趣味のプログラミングというかCMSいじりから一歩脱却して、いまはCakePHPでサイトを作っています。フレームワーク開発。開発と言ってもCakePHPはBakeやScaffoldingでものの数分でアプリケーションを作れてしまうので大して高度なことをやっているわけではないのですが、すでにあるもの(WordPressなど)をいじる段階から、フレームワークの助けは借りているものの一応自分でサイトを組み立てていくというステップに一歩前進したかなとは思います。
あとJavaScript。いまんところjQueryの面白そうなプラグインを見つけてきてそれをカスタマイズしてるだけな段階なので、せめて人の助けを借りずになんかできるようになりたいです。デザインは全然できないので誰かに頼るとして、サーバーサイドとクライアントサイド両方ある程度の技術を身につけたいかなと思っています。そんでなんか楽しいサイトを作ってみたい。
Twitterの人たちと会った
仕事以外では2009年はネットで知り合った人と良くお会いした年でした。2007年春にTwitterを初めて、2007年末から2008年前半にかけてはTwitterにのめり込んで、実際に他のユーザーに会うようになったのは地方住まいということもあって遅く、2008年の後半からでした。Twitterはもはや暇つぶしの道具ではなく生活の一部になった観があります。というかネット関係の仕事をしたいと思うようになったのはあきらかにTwitterの影響ですね。
映画をよく見るようになった
あと働き出したことで、平日はがっちり仕事に拘束されてしまうので、週末は必ず一本映画を見るようになりました。無職のときより映画への欲求が強くなったというか。これは良いことだと思います。2009年後半は毎月4〜5本ペースで見たはず。
iPhoneなどデジモノガジェットにどっぷりつかってるいまだからこそ、自宅でレンタルDVDで映画見るんじゃなくて、外に出て行って劇場でアナログ的に映画見るのが楽しいですね。知らない人と一緒に泣いたり笑ったりする場を求めているというか。映画館に足を運ぶ人が減ってるらしいけど、配給会社は工夫して劇場にもっと人が足を運ぶ仕組みを作って欲しいですね。なんたって劇場で見る映画は格別です。とりあえず映画料金を1200円くらいに値下げしてくれたら人いっぱい映画館に来ると思うんだけどな。
あまり本を読まなくなった
映画をよく見るようになった反面本を読まなくなりました。東京に住んでた頃は電車移動でしたので、電車の中で本を読むということができていたのですが、地方では車で移動するので移動時間に本を読むということがなかなかできません。実は電車の中での読書というのが非常に大切で、読書はなんかとっかかりがないとはかどらないものだと僕は思っているのですが、電車の中での読者がこのとっかかりとして最適で、電車に乗る度に本を開くので読んでいる本の続きを常に意識するようになり、帰宅してからも本をよく開いてました。しかし電車移動中の読書ができなくなると読書のひっかかりがなくなってしまって、僕のような中途半端な人間はなかなか本を開かなくなってしまうのです。加えていまはiPhoneがあるので、ついつい暇な時間はネットにアクセスしてしまう。無職のときはそれでも読書の時間があったんだけど、さすがに朝から夜遅くまで働いてると本を読む時間はとれなくなってますね。いかんなーとは思いつつ、本との距離が遠のいてます。
2009年に見た映画で良かったもの
2009年に見た映画で良かったものを三つあげてみたいと思います。一本目はなんと言ってもクリント・イーストウッドの俳優引退作『グラン・トリノ』。これは素晴らしかったです。アメリカ人になりたいって思わせる、かっちょいい映画でした。次はクエンティン・タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』。これも完成度高かったです。映画マニアも一般の人も楽しめるというすごい映画。次が是枝裕和監督の『空気人形』。人間のエゴについて考えさせられる映画でした。次点で『あの日、欲望の大地で』と『そして、私たちは愛に帰る』かな。映画の感想を別のブログに書いているので良かったらときどき覗いてあげてください。
iPhone
2008年はiPhone一色の年でしたが、2009年もiPhoneの年でした。ブログには書いてなかったですがiPhone 3GS買っちゃってるしアップルにお伏せしまくりです。
昨夜、友達に電話して年明けに遊ぶ日程を決めていたのですが、そのときナチュラルにMac見ながらiCalでスケジュールを確認して予定を入れてました。いまじゃこんなこと普通なんだけど、数年前までは手帳に書き書きしていたことを、コンピューター上で入力して携帯電話で確認する、みたいな。スゲー世の中になってきてると思います。一昔前にこんなことやろうとしたらペンタブレット付きのPDAとかパソコンと接続するためのクレードルとか大仰なアイテムが必要だったのにねー。いまはメールとカレンダーはGoogle<-
>iPhone<-
>Macでクラウドしちゃっててマジサイコーな感じです。
2010年も適当にがんばります
とりとめもなくぐだぐだ書いてしまいましたが、2010年はもちっと飛躍出来るようにがんばりたいですね。同級生はみんな所帯持って立派になってきてるので、追いつくとまでは言わないまでももう少し年齢相応の働きをしたいです。
DEE SPORT閉店
僕は車のメンテとかなんもできないくせに20年前のドイツ車に乗ってるので、オイル交換から車検まで、整備のすべてを熊本県合志市にあるDEE SPORTという欧州車専門の整備工場にお願いしてました。しかし、残念ながら今日で閉店されるそう。今後はくぬぎの森という薪屋さんになるそうです。最後にオイル交換に行こうかなーと昨日電話したのですけど、予約でいっぱいだそうでかないませんでした。
僕は長い間無職でしたし、大した整備はお願いしてなかったんですが、もうちょい売り上げに貢献できてたら良かったなーと思いました。ほんと残念です。
三菱商事も電通も知らなかった高校時代
9月の日経の『私の履歴書』は三菱商事相談役の槇原稔さんが書いてる。お父さんも三菱商事の社員で両親がイギリス駐在中に生まれたこと、お父さんは戦時中に社命でフィリピンに向かっている途中で船を潜水艦に撃沈されて亡くなったこと、少年時代は三菱の岩崎家の子どもたちと一緒に育てられたこと、高校からアメリカに留学してハーバードを卒業したこと、などなど、いちいち「すごいなー」と思いながら毎日読んでる。特にアメリカに留学したというエピソードは、戦後まだそんなに時間もたっていない頃だからアメリカ人は日本人のことを「醜いジャップ」とか「ライスイーター」とか思っていたであろう時期で、よくこんなときに留学できたなー、住んでる世界が違うなー、と感じる。
僕は大学生になるまで総合商社の存在を知らなかった。広告代理店の存在も浪人して予備校に入るまで知らなかった(予備校で元電通マンの講義を衛星放送で受講してそういう会社があることを知った)。だって田舎に住んでたら、お父さんが商社で働いてて休日は高級外車で伊豆の別荘に行き、夏と冬の長期休暇には家族で海外旅行、みたいな生活してる友達とかまわりにいないもん。
都会の富を地方に再分配するという国の政策のおかげで、田舎に住んでても衣食住のレベルで都会との格差はあまり感じないけど、メンタリティーとか暮らしの中身とか人生観とかでは大きな差があるなー、と感じる。勝手なひがみかもしれないけど、親戚や友達のお父さんに商社マンでいて、世界を股にかけて物売って回ってる、昨日南米から帰ってきたばかり、みたいな環境で育った高校生と、田舎に住んでて両親は兼業農家、無理をして塾通いをさせてもらって東京の大学に行けるようにがんばってる、みたいな高校生だったら、同じ大学に入って同じ時期に就職活動を始めたとして、前者の方が有利なんじゃないか、って思う。人生のビジョンとか、働き方に対する考え方がはっきりしてるから。
別にこれを不公平だって主張する訳じゃない。でも『教養主義の没落』で言われる「立身出世」みたいな生き方というか人生モデルはもうフィクションなのかなー、と感じる。
なんかAERAっぽい感じになってきたのでこの辺で終わりにするけど、田舎生まれ田舎育ちの自分は、いったいどんな生き方をすれば一番幸せになれるんだろうか、って9月の私の履歴書を読みながら考えた、というお話でした。
処世術について
三日で辞めた会社は最終的には僕とそりが合わなかったけど、約一ヶ月の自宅研修期間に学んだことはとても大きかった。課題図書が何冊か与えられて未だかつてない超絶スピードでそれらの読書をこなして行った。その中で強く印象に残っているのがデール・カーネギーの『人を動かす』という本。戦前のアメリカで書かれた本らしいけど、いまでも通用する内容だと思う。どうやら企業が新入社員に読ませる本としては割と定番の部類に入るらしい。
これはいわゆる処世術の本だと僕は思った。クレームをつけるとき、何かお願いをするとき、初対面の人に挨拶するとき、ほんの少し心がけるべきことが書かれている。といっても5分くらいで陳腐化するようないわゆるハウツー本的なものではなくて、かなり本質的な事柄が書いてある。
要するに「おべっかを使え」ということなんだけど、アメリカ人とかはお世辞とか言わなそうだし、本音と建前とか使い分けたりしないだろうと思ってたのに、本のメインテーマはおべっか使って相手を気分良くして自分の主張を通せ、という内容だった。何かを人にお願いするときは相手にもメリットがあるようにお願いしないといけないし、クレームを付けるにしても頭ごなしに相手に文句を言っても相手の反発を招くだけで善処を期待することは出来ない、相手の心情をおもんぱかってクレームを付けよう、というわけ。なるほどなー、と思った。
この本の内容はいわゆる性善説に立っているので、あまりにも価値観が異なる文化圏の人に対しては通じないかもしれないけど、少なくとも日本人同士では有効な内容だと感じた。というか、アメリカ人が書いた本なのに内容がきわめて日本的なんだよなー。しかも戦前なのに。不思議です。