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12月のベルリンは雪が降ってなかった! ヨーロッパはいまとても寒いらしい。旅行した11月中旬から12月上旬にかけても結構寒かったのに、それ以上の寒さということか?

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 ドイツでユースホステルに泊まると必ず朝食が付いてきた。食生活が偏りがちなビンボーバックパッカーにとってこれは大変ありがたかった。しかし旅行当初は朝食なんて重視していなかった。そもそも旅行中でない平時でも朝食をとることは希なニートの俺様である。朝昼兼用でサンドウィッチでも買って食べればいいさ、と思っていたのである。

 実際、初めて利用したニュルンベルクのユースホステルで朝食を食べられたときに大した感動を覚えはしなかった。ドイツではオープンサンドという伝統があって、朝食と夕食は火を使わずに、パンにチーズやハム、ジャムなどをつけて質素にすませるのだそうだ。だから朝目が覚めて食堂を訪れ、ハムやチーズやシリアルは用意してあるものの、火の通ったものが何もないのには正直驚いた。というか、ドイツ人というのはなんと物臭な人たちなんだろうとあきれたくらいだ。

 しかも当初はドイツパンに対してあまり好意的な感情を持っていなかった。ポロポロと皮が崩れ、注意深く皿の上で食べないと服やテーブルがとても汚れる。パンが堅いので、しばしば口内に出血することもあった。

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 思い出したかのように旅行の話。

 ドイツのトイレはたいていのところが有料で、利用するたびに小銭を用意しなければならなかった。遊園地の入り口のように一方向にしか回らない仕切りがあって、お金を払わないと通過できないというシステムのところもあるが、トイレの管理をしている人が常駐していて、その人にチップというかたちで利用料を払うシステムのトイレも多数あった。

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 旅行中、旅先の人にいやな目に遭わされたことはなかったが、同じ旅行者にはだいぶ迷惑をかけられた。マナーとかデリカシーがなってないのは後進国の人に多そうだが、そうでもなくて、一番迷惑をかけられたのはニュージーランド人である。

 奴らは夜中にとにかく叫んで暴れる。午前一時過ぎ、宿で寝ていたら、壁をがんがん蹴りつける音と連呼されるF wordで目が覚めた。とにかく人の迷惑お構いなしである。

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 いま猛烈に後悔していることがある。旅行中、あまりチップを払わなかったことである。というのは同伴者が、「ヨーロッパにはあまりチップを払う習慣がないらしい」なんてことを言っていたから、それを信用してしまったのである。しかし帰ってきてインターネットでいろいろ見ていると、やはり気持ち程度のチップは渡した方がよかったみたいである。

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 感心なことに、ドイツ人はかなり上手に英語を話す。若者や西ドイツ育ちの50代くらいまでの人なら問題なく英語が話せる。もちろん日本人より上手だ。考えてみれば当たり前で、英語とドイツ語は1500年くらい前までは同一の言葉だったわけだし、語弊をおそれずにいえば、ドイツ語から冠詞の格変化を取り去ったものが英語なわけだから、難解なドイツ語を操れるドイツ人にとって英語は朝飯前なはずだ。

 しかしドイツ人すべてが英語を流暢に話すわけではない。当然ながら、冷戦時代に東ドイツで教育を受けた人は、英語ではなくロシア語を第一外国語として学んだはずだから、英語はてんで話せない。ベルリンオスト駅案内所の50歳くらいのドイツ鉄道職員は、胸にユニオンジャックが描かれたバッジをつけており英語が話せるということだったが、実にへたくそだった(別の若い職員に頼んで通訳をしてもらう必要があった!)。それまで接したドイツ鉄道の職員はみな英語がうまかったので、このおじさんはおそらく東ベルリン出身者なのではないかと推察する。"to"の代わりに"zum"なんて話すし、"with"の代わりに"mit"を使っていておもしろかった。

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 今回の旅行の隠れたテーマに、旧共産圏の国々を見て回る、というのがあった。訪れた旧共産圏エリアは、旧東ドイツ地域、チェコ、ハンガリーである。なぜ旧共産圏に興味があったのかといえば、大学一年の頃履修していた『近代思想』という授業で、夏休み明けの講義のときに講師がチェコに行ってきたという話をしたからだ。その話がとても興味深かった。「君たちもぜひ早いうちにチェコに行くべきだ。いまあの国はどんどん資本主義化している。僕が泊まったような趣のある宿や訪れたレストランもなくなってしまうかも知れない」と講師は言った。その言葉が耳から離れなくて、それ以来、いつかチェコを含む旧共産圏の国々を訪れたいと思っていた。

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