| @音楽

音楽が無料になる日は近い、という意見をしばしばネットで目にする。録音された楽曲はほぼただで配られ、アーティストやレコード会社は広告やライブで儲けるというものだ。音楽もウェブサービスみたいに消費される時代が来るのだという。

でも、ライブパフォーマンスでコストを回収するという方法は、ドームに何万人と観客を集められる世界規模のアーティストしか使えない気がするな。数百人しか入らないような小中規模のライブハウスを拠点に活動しているアーティストは、かなりしんどい思いをすることになるだろう。全国のライブハウスを巡業してまわる時間が長くなり、ろくに新曲を出せなくなるかも知れない。結果、大衆受けするコテコテの音楽しか聞けなくなったりしたら嫌だな。

| @写真

一眼レフを買ってすぐの頃は明るいレンズなどが欲しかったが、やはり外でカメラのレンズを交換するのはローパスフィルターやペンタミラーにキズをつけるおそれがあるため避けた方が良いと思うようになった。また、誰かと一緒に出かけているときに、「ちょっとレンズ換えるからタンマ」と言うのも寒い。やはり最強なのはAF-S DX VR Nikkor ED18-200mmである。これ一本あればレンズ交換なしで大抵のものは撮れる。確かに単焦点の明るいレンズなども魅惑的なのだが、そういうものは美しい女性と懇ろな関係になってから買えばよろしい。わたしはいまのところ無職なので買えないが、これからNikonの一眼レフを買おうと思っている方は是非ともこいつを一緒に買った方がよい。

| @旅行/散歩

2年前ヨーロッパを旅行していてびっくりしたのは、彼の地の石畳の隙間は舗装してなく、石と石の間に土が詰め込まれているだけだということだ。最初はなぜ舗装しないのだろうと疑問だったが、彼の地では電線などは全部地中に埋めてあって頻繁に掘り返すため、あえて舗装せずにいるのだろう。

日本の石畳は基本的にどれもコンクリートで塗り固められているが、あれはおそらく降水量のせいだろう。日本は随分雨が降る。ヨーロッパの比ではない。こんな雨降りの国で石畳を舗装せずにいたら、梅雨が明ける頃には雨で土が流れてしまい、道路は霜柱の立った地面のようにギザギザになっていることだろう。

| @雑談

女の子とかに多いんだけど、個別具体的なことを延々話す人がいる。もちろん、個別具体的なことでもテーマが普遍的であったり適度な説明を挟んでくれれば、友達の洋子ちゃんの話でも大介の話でも聞いてあげなくはない。しかし何のオチもなく、自分が好きな人の話などを延々と続けられても、こちらはちっとも楽しくない。

Twitterなどをやっていて思うのだが、コミュニケーションというのは相手を楽しませなければ成立しない。あなたにとってかけがえのない親友である洋子ちゃんや世界で一番大好きな大介であっても、わたしにとっては足の指の数も知らない赤の他人なのです。もし自分の友達や恋人の話を聞かせたいのだったら、一般性のある何か、普遍的な何かを導き出さなければならないと思うが、いかがか。

| @WWW

「TwitterでTwitterの話をするのは、コミュニケーションするときコミュニケーションについて語るようなものだ」という趣旨のポストをTwitterで拝見した。確かに、TwitterでTwitterについて語るのは本末転倒のような気もする。Twitterはコミュニケーションツールなのだ。

しかし、人とコミュニケーションをするにあたっては共通の話題というものが必要だ。わたしはダンス音楽が好きだが、わたしのFollowerはヘヴィ・メタルが好きかも知れない。そんなFollowerに対してダンス音楽を語っても、相手はちっとも楽しくないだろう。しかしTwitterについての話題ならば、相手も多少は食いついてくるにちがいない。なぜならTwitterを利用している以上、Twitterにはある程度の興味があるはずだからだ。

そういうわけで、今宵もTwitter上でTwitterについての会話が交わされるわけである。

| @雑談

わたしは回り道が好きだ。道路が少しでも込んでいると裏道や旧道を走りたくなる。せっかちだから渋滞が嫌いだということもあるが、トリッキーな道を小気味よく走るのが好きなのだ。それに旧道には歴史がある。熊本大学の前の道なんかは狭くて渋滞するし、クネクネしていてあまり運転しやすい道だとは言えないが、「この辺を夏目漱石も散歩していたんだな」と想像しながら運転すると、何だか特別な時間を過ごしているような気がして運転がとても楽しくなる。

| @雑談

週に2, 3度しかエンジンに火を入れないときは、車というのはまったくのおもちゃだった。しかし毎日乗るようになると、車への思い入れが弱まった。もちろんいまも車は好きだが、汚れたとかキズが付いたとかをあまり気にしなくなった。そんなことを気にしていたら日常生活の足として使えないからだ。

都会に高級車がいっぱい走っているのは、田舎に比べ富裕層が多いからということももちろんあると思うが、車を日常生活の足として使う人が少ないからだと思う。だから愛玩動物のように車を愛でることが出来るのだと思うが、いかがだろうか。