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ヤフオクドームのリレーマラソンに参加してきた。

去年の冬、週二回ずつくらい走ってたんだけど、真冬になって寒くなってからは走るのお休みしてた。暖かくなってきたのに一向に再開する気配のない自分にハッパかけるために会社の人達と一緒にリレーマラソンに参加してきた。42.195km を10人のリレーで走るもので、1周 3km 。なので10人のうち4人は2周走らないといけない。一瞬の気のゆるみで2周走ると宣言してしまい、2周走らないといけなくなってしまった。1回目の出番を終えた後、想定外にきついことに気がつき、絶望的な気分になりながら2回目を走った。

3km くらい余裕でしょうと思われるかもしれない。自分もそう思ってた。いつも走ってる大濠公園は1周 2km でだいたいいつも2周 4km くらい走ってるので大丈夫だと思ってた。しかしヤフオクドームリレーマラソンのコースは球場のほか立体駐車場のスロープを利用しており結構きついアップダウンがある。加えて周りの人が毎日走り込んでるような人達ばかりでまじで速い。そうなるとつられてこちらも飛ばしてしまうので 1km くらい走ったところでばてばてになってた。自分はまだこういう大会に出場するほどの走力はないのだと悟った。公園で夜にのんびり走るのが気楽で良い。とはいえ打ち上げで行ったビアガーデンで飲んだビールはここしばらくで一番うまかった。みんなと走るとこういう打ち上げがあるのがいいですね。

途中5ヶ月くらいブランクがあったけど、走るようになって以下のようなメリットがあったと思う。

  • 体が丈夫になる
    毎年、冬の間に一回は風邪をひいてしまうんだけど、今年は牡蠣で食あたりはしたものの風邪はひかなかった。
  • よく眠れる
    一日中イスに座ってプログラミングしてると精神的には疲れるけど肉体的に疲れなくて心身の疲労感がアンバランスになってると思う。走ることで肉体的にも疲れるので平均がとれて良いような気がする。
  • ストレス発散
    走ってる間は肉体的につらいので余計なことを考えなくなり嫌なことを忘れられる。

梅雨が本格化したり真夏になったりしたらまた公園から足が遠ざかってしまうかも知れないけどなるべく習慣化させて継続的に走って健康診断で良い結果たたき出したい。

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思うに、若いときは一番給料低くて、お金ないから、暮らせてたら節約する必要ない、どうせ今の若い人とか30歳までに死ぬから、それまでに貯金しても仕方ない、万が一長生きしても、相応に技術が高まってれば収入も上がるはずだから、健康を維持できれば取り返せる、ので、僕は今は特に貯金しようといった考えない。今けっこう本買って勉強したり書いてるコードも悪くないと思ってるから、これで若いときに貯金してなくてお金なくなって死ぬようなら理不尽だと思う。ハードモードすぎる。変に無理して節約しようとして精神が異常になるほうが損だと思う。

健康 - hitode909の日記

ヒトデさんの言うことは正しい。能力の高い人は高価な技術書を買って自己投資して将来荒稼ぎできるので週五日タクシーで山奥まで行ったり高級Tシャツ買ったりしても大丈夫だと思う。

残念ながら普通の人はそうはいかない。普通の人は将来自分が荒稼ぎできる自信がないので若い頃からちまちまお金を貯めるしかない。普通の人は無理して節約せず浪費したときの方が不安が高まって精神に異常を来してしまう。

僕は会社の若者に蓄財を説いたことがあるけど、この若者は有能だから僕のアドバイスは間違っていたかもしれないと思った。世の中には金を貯める必要がある人と貯める必要がない人の二通りがいる。

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帰省したときに実家の近所のドラッグストアに行くと、たくさん人が来ていて盛況だ。

酒のコーナーに行くとおっさんがいて、2リットル入りの工業用アルコールのような焼酎や、1リットルの紙パック入りの白岳しろを舌なめずりしながら買い物かごに入れてる姿を見ることができる。

焼酎を買ってるおっさんたちは概して「これからわての週末始まりまんねん」という表情をしている。外に酒を飲みに行くわけでなく家で晩酌をするのだろうけど、すごく楽しみにしている感じが伝わってくる。おっさんのショッピングカートから幸せが溢れそうになっているのが見える。

自分は酒に弱いので焼酎は買わないし飲まない。酒はビールがもっぱらでたまにワインを飲む程度だ。なので舌なめずりしながら大量の焼酎を買い物かごに入れるという経験をしたことがない。

こんな風に酒を買うおっさんたちはどんな気持ちなのだろう。自宅での晩酌でこんなに幸せになるという感覚が分からない。酒に弱いと飲んでも缶ビール2本くらいで前後不覚になって寒気がし始め、布団に入りたくてしょうがなくなる。自宅での晩酌だから、友だちと飲んで猥談をするわけでもなく、家族と話すかテレビを見ながら飲むのだろう。そんなにウキウキワクワクする要素はないと思う。

自分も大酒飲みになりたいわけではないのだけど、ホクホクとした表情で焼酎を買い込むおっさんたちの姿がただただ羨ましい。

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きっかけ

下鴨神社の看板

今年の三月、持病の経過観察で京都に行きました。病院の合間に下鴨神社と上賀茂神社にお参りしたり、六波羅の平家ゆかりの寺、六波羅蜜寺に行って平清盛像を鑑賞したりしました。帰る日の夕方にはヒトデ909さんのありがたい法話を聞きながら銅製のタンブラーでビールを飲みました。しかしこのとき僕はすでに肛門近辺の痛みのためまっすぐ座ることが出来ず、お尻の左半分で椅子に腰掛け、右半分は空中に浮かせていました。ヒトデ909さんのありがたい法談も半分くらいしか耳に入っていませんでした。

僕が痔ろうを発症したのは恐らく京都に行った前の週に参加した故郷での同窓会です。同窓会は阿蘇いこいの村という宿泊施設でとり行われました。阿蘇いこいの村はテニスコートがありますので、学生時代にテニスサークルで痴情をもつれさせていた紳士淑女のみなさんは泊まってみるといいと思います。

同窓会

僕は当初二次会には参加せずに帰ろうと思っていたのですが、参加者が少ないので協力して欲しいということで二次会に参加してしまいました。しかしこれが間違いでした。僕はインターネットの人と会ったときは饒舌なのですが、中学や高校の同級生と会ったときは寡黙になってしまいます。二次会では会場の隅っこに立って一人で延々キャラメルのリキュールを牛乳で割った液体を飲んでいました。これが全然酔わない。酔わないし手持ちぶさたなのでどんどんキャラメル牛乳酒を飲んでしまいます。これがまずかった。翌朝、下痢をしてしまったのです。

若い頃は飲み過ぎると吐いていました。しかし30歳になったあたりから酒を飲み過ぎると下痢をするようになりました。アルコールが体から抜けるまで下痢は治まりません。まぁ吐くよりかは楽なのですが、下痢は恐ろしいことに痔ろうの原因になるのです。

痔ろうはいきなり痔ろうにはなりません。まず最初、肛門周囲膿瘍というやつになります。お尻の穴の近くにおできが出来るのです。しかしこれは単なるおできではなく、肛門と直腸の間にある肛門陰窩というくぼみに下痢ピー状態のうんこが入り込んでしまい、そこが化膿してお尻の穴の近くまで膿を内包した袋が延び、肛門近辺におできを作ります。こいつがすこぶる痛い。38度程度の熱が出ます。このおできのことを肛門周囲膿瘍といい、おできから直腸のあたりまで繋がっている状態を痔ろうと言います。

告知

飛行機から見る雲

関西から夜の飛行機で帰ってきて眠りにつきますが、翌朝目が覚めたときには体がだるく、ただならぬ状態であることを悟りました。会社には遅れる旨連絡を入れ、天神近辺にある肛門科を探しました。

肛門科では見るなり肛門周囲膿瘍である旨告げられました。切開をして膿を出さない限り心の平安は訪れないそうです。僕は承知をして切開してもらいました。熱は下がりましたが、これからが地獄でした。

排膿したので熱は引きますが、傷口は相変わらず痛みます。傷口のろう管にガーゼを詰め込まれました。そしてさらに上からガーゼで傷口を圧迫される。僕は会社用と自宅用に円座クッションを二つ購入しました。会社では岡村製作所のバロンという上等な椅子に座らせてもらっているのに、この上に円座クッションを載せて座っていてなんだか残念な感じになっていました。

ハンディウォシュレット

傷口はお尻の穴の近くなので当然お尻の穴の上もガーゼに覆われています。最悪なことに大便でトイレに行くたびにガーゼの張り替えをしなくてはなりません。お尻の穴なんて自分では見えませんから、ガーゼの張り替えは困難を極めます。当然シャワーを浴びた後もガーゼを張り替えなければなりません。僕は毎日月経中の女性のように小さなポーチを持って個室トイレに入り、ガーゼを交換していました。

手術

切開から一ヶ月が経つ頃には傷口は落ち着き、ろう管に詰め込まれたガーゼも取り出してもらえます。通常の生活ができるようになった! しかしこれはつかの間の喜びなのです。切開後一ヶ月ないし二ヶ月を目安に、痔ろうを根治するための手術をしなければなりません。痔ろうとは放っておいても直らない病気なのです。

痔ろうは昔から多くの人を苦しめました。夏目漱石も痔ろうだったと言います(日本人編 近現代|じなび - 痔の総合情報サイト -)。昔は痔ろうの手術のために肛門を切り開いてろう管をそぎ取ったりしていたそうですが、最近はシートン法というものがあり、手術のために入院する必要はなくなりました。しかしこれもすこぶる痛かった。

シートン法とは肛門と痔ろうの管を輪ゴムのようなもので縛り、ゆっくりゆっくりと肛門周辺の組織を切り取っていく治療方法です。手術自体は局所麻酔と内視鏡で終わりますが、術後に地獄のような日々が待っています。せっかく傷口から膿が出なくなっていたのに、ゴム紐で肉をゆっくりと切っていくため出血したり膿が出たりします。異物が体に入り込んでいるので椅子に腰掛けるのは不可能になります。自宅では無印良品の体にフィットするソファに覆い被さるような姿勢で過ごさざるを得ませんでした。

体にフィットするソファに覆い被さる著者

しかも最悪なことにシートン法のゴム紐は一週間に一度締めなければなりません。ゴム紐は肉を切っていくので、だんだん締め付けが緩くなっていきます。定期的に締め付けを強くしないと治療が進まないのです。この締めるときがまた痛い。ある日昼休みに病院に行って締めてもらったら、あまりの痛さに耐えられなくなってしまって午後から会社を早退してしまいました。

死の散歩

結局、3月初旬に排膿のための切開をしてから6月まで地下鉄で椅子に座ったことがありませんでした。外出するときも歩き疲れたからと喫茶店に入って休むということが出来ず(お尻が痛いので椅子に座って休憩することができない)、かなりのスリルをあじわいながら生活していました。梅雨入り前の暑い日、出来心で海まで歩いて行ったのですが、炎天下に歩き続けて疲れて歩けなくなったらどうしようと気が気ではありませんでした。疲れ果ててもう歩けないと思っても、ケツが痛いためタクシーに乗ることが出来ないのです。まさかこんなことでは救急車なんて呼んでもらえないだろうしのたれ死ぬしかありません。

シートン法のゴム紐がとれたときには涙が出るほどうれしかったです。そのときのツイートです。

ゴム紐がとれたことがうれしくて、ワイフと二人で大ライスを食べて祝いました。

まとめ

僕はラーメン二郎のことは愛していますが、痔ろうのことは大嫌いです。


この記事は拡散お願いしますアドベントカレンダー2012の13日目の記事でした。

明日は @fuba さんです

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11月の頭に子どもが生まれた。いまは会社に無理を言って育児休業をさせてもらっていて、朝から晩まで子どものおしめを替えたりミルクを飲ませたり家事をしたりしている。

他人の子どもとかちっともかわいいと思わなかったけど、自分の子どもはとてもかわいい。まだ子どもしか生まれてないのに脳内で大泉逸郎の『孫』がエンドレスリピートで流れるくらいかわいい。英才教育を施して、NHK 『美の壺』の草刈正雄の後釜に座れるような遊び人に育てていきたいと思う。

自分は24歳のときに患った精巣腫瘍の抗がん剤の治療のせいで精子をつくる力がなくなってしまったので、治療前に凍結保存しておいた精子を使い人工授精で子どもをさずかった。がんになったせいで仕事とか体の機能とか、もろもろ失ってしまったけど、就職はしたし、結婚はしたし、ついに人間の親にまでなってしまった。本当にありがたいことだと思う。

独身でがんになってしまい、抗がん剤治療を行うことになったら、たとえそのとき結婚の予定がなかったり恋人がいなかったとしても、精子や卵子は凍結保存しておくべきだと思う。治療をしなければ死んでしまうという状況に置かれると、自暴自棄になって精子や卵子の凍結保存は必要ないと思ってしまうかもしれない。7年半前の自分は、若すぎて自分が親になるなんてことが考えられなかった。しかし精子を保存しておいたおかげで子どもを授かることができた。

同じ病気の人がこのページを見るかわからないけど、サバイバーとして一言メッセージを書いておきたい。したり顔で「病気になったおかげでわかることがある」とか「得られるものがある」とかは決して言わない。病気のつらさは本人にしかわからないから。でも一つだけ確かに言えることがあって、生きているとささやかだけど幸せなことが必ずある。だから頑張って欲しい。

| @雑談

最近オライリーの英語の技術書の電子書籍を何冊か買った。oreilly.com は Daily Deal といって、日替わりで技術書を半額で売っていて、プリント版だと定価$28程度の本(おそらく日本語に翻訳されると3000円程度の売値になる)が、円高のおかげもあり600円くらいで買える。

僕は英語はそこそこ読める方だとは思うけど(TOIECは8割くらいとれます)、英語の本はなかなか読む気にならなくて、これまで一冊も読み終わったことがない。というかどの洋書も数ページで放り出してしまう。

しかしこのような自分でも、英語の技術書なら結構読めることがわかった。理由はおそらく、

  1. コードが載っているので英文の意味がとりにくくてもコードを読めばなんとかなる
  2. 技術書はチュートリアル方式のものが多いので、書いてある英語の内容自体は平易(政治経済や哲学について語ってない)

の2点ではないだろうか。

とはいえ技術系の本でも達人プログラマーのような観念的な本は英語では読みにくいのではないかと推測する。だから何でも英語版を買えばいいというものではないと思う。

まとめると、英語版が出てから日本語版が出るまでにすごく時間のかかる本や、英語版にはあるのに日本語版にはない小さなフレームワークの技術書などは、日本語版の登場を指をくわえて待つよりも、思い切って英語版を買ってしまった方が良いと思った。何より値段が安いし。

それにつけてもiPadの欲しさよ

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昨夜、吉野家の牛丼を食べた。狂牛病騒動があってからは怖くて吉野家とか松屋の牛丼はかたくなに食べないようにしていた。しかし昨夜は暑かったしむしゃくしゃしていたし、なにより牛丼270円キャンペーン中だったので大盛つゆ抜き玉子を頼んで食べてしまった。

アルバイト先の隣の隣に吉野家があったので、15分休憩のときに一杯、30分休憩のときにまた一杯と、学生時代は吉野家の牛丼を常食していた。常食というか、愛していた。吉野家と愛し合っていた。

俺は吉野家の牛丼はつゆ抜きが一番うまいと思っている。つゆだくはご飯がべちゃべちゃになってダメだ。何も考えずに「つゆだくで」とか言ってるやつを見かけると虫唾が走る。お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。

牛丼に生卵をつけないやつも信じられない。吉野家の牛丼は関東風の塩辛い醤油をたらした生卵を牛肉の上にかけることで始めて完成する。なのにつゆだくに七味やら紅ショウガやらを盛大にぶっかけて食べている連中を見かけると反吐が出る。ただのものを全部トッピングしてやろうという貧乏人根性が丸見えだ。

吉野家での最も甘美なコマンドはアフターだ。吉野家に通い詰めていた俺も、アフターコマンドを聞いたのはこれまで一度しかない。あるとき吉野家で並つゆ抜き玉子をかき込んでいると、長髪小太りのテレビ番組制作会社社員のような男が入ってきた。牛丼を頼む際、注文の最後に「アフター並」と男は言った。アフターってなんだよ、後からキャバ嬢でも来てアフターしちゃうのか? と俺は悩んだが、アフターとは食後に牛丼を持ち帰るということであった。なんと甘美なコマンドだろうと俺は思った。今にして思えばUNIXの哲学が反映されているような気がしないでもない。男はスーパープログラマーだったのかもしれない。

とまぁ、こんな感じで、土曜の夜に博多駅で感傷に浸りながら牛丼を食べた。こんなことができるのは嫁がいない一人の夜だけだ。今の俺はなんと不自由なんだろう。一筋の涙が頬を伝った。

というわけで6月に結婚しました。金ないのに結婚してやっていけるか心配です。ご祝儀寄越せとか言わないので福岡にお立ち寄りの際はもつ鍋でもおごってください。