| @雑談

一つ前の記事で書いたように、最近よく走っている。

毎回最低 4km は走っていて、走ると着ている服が汗でびっしょりになるので毎回洗濯しないといけない。頻繁に走ると換えの服がなくなるので新しく短パンを買った。

これまでは NIKE の球技用短パン(サッカーやラグビー用)をはいて走っていた。球技用短パンのせいかちょっと丈が長く、またポケットがないため(ラグビー用の短パンはポケットがあるとそこを掴まれて引き倒されたりするのでポケットがない)走るときは実用性がいまいちだった。今度はポケット付きにしようと思って、金をケチって NIKE や ASICS などのスポーツメーカー製のものではなく、ノーブランドのとにかく安いポケット付きの短パンを買った(送料込み 2200 円)。

届いてはいてみたところ何か具合が悪い。サイズが小さいわけではないのに足の動きを邪魔されるような感じでまとわりつく。どうも股上が深いようだった。腰骨のあたりにゴムがくるようにするとまるで腰ばきしているみたいになって、大腿部に引っかかりを感じる。おへそが隠れるくらいまで引き上げると引っかかり感はなくなるが、はいてる姿が大きめの服を着せられてる小学生みたいだし、走ると裾がめくれあがってきて意図せずセクシーな感じになってしまう。正直失敗だった。やっぱり短パンはケチらずお金を出さないといけないのかも知れない。

はき心地が最高なのは山と道の Light 5 Pocket Shorts で、足の動きを一切妨げず、はいている感覚がない。通常版の 5 Pocket Shorts は生地の頑丈さは申し分ないが、盛夏にはいて山に登るとめっちゃ暑くて少々不快感が残る。 Light 5 Pocket Shorts で一度走ってみたところめっちゃ快適だったが、税込みで 13200 円もするので日々のジョギングでボロボロにしてしまうのは忍びない。 5000 円しないくらいで快適に走れる短パンが欲しい。

| @雑談

家、若くして建てるとローンの返済が楽だが、購入する前に自分の人生観的なやつを確立しておく必要があると思う。

人生観的なやつとは働き方とか趣味とか何を面白いと思うかなど。借金して都会に 30 坪の土地と家を買ったあとに実は自分はウィンドサーフィン愛好家だったことに気がついて海の近くに住む必要があったとか、家にボードとかマストとかの置き場が必要だったとか、いろんな道具を積み込める巨大な車を停められる駐車場が必要だったと気づくのでは遅い。

〇〇風の建築が良い、的なやつも国内外を旅行してホテル泊や民泊などしてみて知識を蓄えておかないと、フツーの家を買ってしまったあとに実は地中海風の家が良かったことに気がついても覆水盆に返らず状態になってしまう。家を買う直前に付け焼き刃的に建築雑誌などを読んでもなかなか納得のできる家にはならないと思う。

とはいえいろいろ旅行したり、趣味を始めたり出来るような経済的な余裕が出て価値観が定まるのを待つと 40 歳くらいになっていて、そこからローンを組むのは定年後もローンを払い続けるリスクがあってきびしい。

自分の場合は 33 歳で家を買ったが、病気や浪人・留年で社会に出るのが遅かったので家を買ったタイミングでは到底人生観を確立したとは言えない状態だった。家を建てたあとにリモートワークするようになったものの家には仕事部屋がなく、寝室の一角で家族が寝てる横で仕事したりしてるし、キャンプや登山をするようになるとは思っていなかったので家に収納が少なく、キャンプ道具が廊下にあふれていて非常に家が暮らしづらい。家人も最近になってドライフラワーに開眼し、家はドライフラワーだらけで体の置き場がない。家を建てる前にこの辺のことを予見できていたら趣味の部屋や仕事部屋を作ったり収納を多めに作ったり出来たが、家を建てる前はインターネットして休みの日は街歩きして写真でも撮ってればそれで楽しいと思っていたのでこんなことになるとは思っていなかった。

40 歳を過ぎて家を建てても楽々ローンを返せるような高給取りではない人(自分含む)は、人生観の確立と住宅ローンの支払い期間を加味したタイムリミットを天秤にかけてギリギリのところで決断するしかない。その意味で自分は家を建てるのが少し早すぎたと思う。いま若い人にアドバイスするなら、 20 代のうちに旅行したり自分の趣味が何なのか(アウトドアなのか、インドアなのかなど)をよく探求した方がよいと思う。

関連

| @雑談

多良岳のマンサク

毎週土曜に行ってた子どもの習い事を辞めさせた。子ども自身にやる気がなかったし親のエゴで習わせてたようなものだったので辞めて正しかったと思う。どこかに出かけたり家でゆっくりしたり出来る時間ができて歓迎すべきことなんだけど、何となく罪悪感を覚える。部活や習い事を辞めたときの居心地の悪さは何なんだろう。

中学生の頃、あまり意味ないなと思いつつ田舎の塾に通ってた。中学三年の受験の年になって遠くの塾の夏期講習に行ったらめっちゃ良くて、それで目が覚めて田舎の塾を辞めた。中学一年の時点で辞めるのが正解だったのに、正しい決断をするまで二年半かかった。無駄の切り捨てを早く出来ないので自分はアホなのだと思う。

習い事や部活、塾、仕事などこれまで何度も辞めてきた。その時々の辞めるという選択はそこそこ正しかったのだと思うけど、環境を変えることの後ろめたさみたいなものを常に感じてしまう。みんなどうやってこの感情を処理しているのだろう

| @雑談

※初出は HEY World の https://world.hey.com/hitoshi.nakashima/post-7e01e658 です

Flickr が値上げしたときはとても愚かだと思った。

彼らの言い分は「潰れそうだから支援してくれ、自分たちは高潔なポリシーで運営していてユーザーのプライバシーを他人に売り渡したりしないし、写真好きな人のためのコミュニティを作ろうとしている、我々にとってユーザーは製品ではなくプライオリティなのだ」というものだった。

立派な理屈だが、残念ながら値段が高すぎるし(年間 6000 円近い)、 Pro プランのメリットをほとんど感じることが出来ないし、そもそもユーザーが少なくなってきててガチの写真家しかおらず居心地もあまり良くなかった。友達はみんな Instagram を使っているのになぜ自分だけ一人で Flickr を使い続けないといけないんだ? 写真のストレージなら Google Photos が無料で使えるのに( Flickr が値上げを発表した当時はまだ Google Photos は無料だった)。

Basecamp も常々、ユーザーのプライバシーを大事にしているということを声高に叫んでいる。 HEY ではメール配信サービスのトラッカー( Spy Pixels )がブロックされるようになっている。 Flickr (と Flickr を買収した SmugMug )と似たような哲学だが、 Basecamp の方が理念と行動が一致している。 Flickr は「ユーザーはプロダクトではない」と言いながら結局無料ユーザーには広告(リターゲティング広告)を見せている。

機能面でも HEY はよく出来ていて、お金を払うのに十分な価値があると感じる。一方で Flickr には機能面での価値提示がない。これがあるから Flickr を使いたい、と思えるものがないのだ。

理念に共感して金を払えと言ってもユーザーにはなかなか理解してもらえない。少なくとも自分は理念に金を払えるほど裕福じゃない。高潔な理念を打ち出すならそれに見合う価値提示が製品に求められると思う。

その理念は機能に裏打ちされたものだろうか?

| @雑談

※初出は HEY World の https://world.hey.com/hitoshi.nakashima/post-8214d314 です

ソフトウェアで万人に響く機能はない。なのでサブスクリプションのソフトウェアサービスでフルセットのプランだけを作ってそれを売るとユーザーから値引き要求がくる。フルセットのプランのうち、機能 A だけ必要であとはいらないので負けろと言われる。

ソフトウェアは限界費用が限りなくゼロに近いので、使える機能の多寡で価格を変えるのは売り手からすると合理的ではないし、複雑な商品メニューの維持管理、サプスクリプションのプラン変更によるアップグレードやダウングレード、決済プラットフォームの移行などを考えると極力支払いプランはシンプルにしておきたい。この辺りを複雑にすることで肝心なソフトウェアの機能開発スピードが落ちてしまったら本末転倒だ。

多分有償のソフトウェアは、コアとなる売りの機能があって、そいつを支えるサブ機能を追加していく戦略が正しいのだと思う。コア機能への従量課金だけを行い、あとはコア機能をもっと使いたくなるサブ機能を開発してそれらは無料にしてしまう。フリーミアム戦略を取るなら、フリーユーザーはフリーで使える分量を使っていると、コア機能をもっと使いたくなるサブ機能の魔力によってコア機能をついつい使い過ぎてしまい、お金を支払わざるを得なくなってしまう。こういう構造が美しいし、ユーザーからも納得してお金を払ってもらえる。

| @雑談

仕事をしていると問題点と解決策の分離の大切さを強く感じる。しかし人間は愚かな生き物なので、問題点と解決策を分離することができず、解決策ベースで話を進めてしまう。ある問題点に対して、最初に思いついた解決策が正しいとは限らないのに、その解決策を実行することが目的化してしまう。本当にやらなければならないのは解決策の正しさの検証なのに、解決策を実行したところで満足してしまう。蓋を開けてみると解決策を用意したのに問題点は解決していなかったということになりがち。

実行プロセスの前の、半期目標設定のような状況でも解決策に目が行きがちだ。ここで重要なのは解決すべき問題点は何かということなのに、「(問題点はさておいて)どの解決策がクールか」という議論になりがち。期初のマネージャーミーティングで解決策の細かい部分について議論するのは不毛で、解決すべき問題は何か、その問題を解決することでどれだけのインパクトが出せるかだけにフォーカスし、どうやって問題を解決するかは別の会議やチームで対応した方が良い。

多くの人はこれらのことを説明するとその場ではわかってくれる。しかしやはり人間という生き物は愚かなので、解決策なしには問題点を議論できず、解決策ファーストで行動してしまう。どうしたら問題点と解決策を分離して話ができるようになるのだろう。

| @雑談

仙酔峡から見る鷲ヶ峰

2020 年の途中( 7 月)から #100DaysToOffload に挑戦し始めた。

本当は挑戦し始めてから一年間で 100 記事かければ良いのだけど、自分の場合はコロナ禍の自粛期間中に結構ブログたくさん書いてたこともあり、 2020 年内に 100 記事書くことを目標にした。 10 月まではいいペースで推移していたが、 11 月に Apple のプライバシー問題の件の翻訳記事を書くので燃え尽きてしまってペースが鈍り、 12 月も調子が上がらず結局 79 記事で止まってしまった。

2020 年の前半は Lokka の ActiveRecord 化も頑張っていて、あと一歩で master ブランチに merge できるところまでこぎ着けたのだが、こちらも途中で燃え尽きてしまった。

自分の手元では ActiveRecord 化が完了していて満足してしまったし、そもそもいまは Lokka を使っている人がほとんどいなくて、誰も望んでいないことに精一杯時間を割くのが虚しく感じられるようになってやる気が萎えてしまった。

燃え尽きは突然やってくる。目標が達成できていないのにほどほどのところで自分自身が満足してしまうとか、自分がやっていることを誰も望んでいないということに気がついたときに、突然やる気が萎えてしまって燃え尽きてしまう。仕事でも 2017 年から 2018 年にかけては結構頑張っていたのだけど、頑張りが成果に結びつかなくて正直燃え尽きてしまった感がある。その後は惰性で何とか今日までやってきているけど、あまり良い状態ではない。

若い頃はモチベーションなんてものは無限に涌いて出てくるものだと思っていたけど、年をとってくると金を積まれても乗り気になれなくてやれないということが出てくることを知った。自分の時間やモチベーションの希少性・有限性を理解し、下手なことに使ってしまって燃え尽きてしまうのは避けなければならない。

新年早々どんよりした記事になってしまった