超久々にゴルフのこと。
ゴルフ2のシートはこういう風に横に付いてるレバーを動かして前傾させるんですが、助手席側のワイヤーが切れてしまって使い物にならなくなりました。がちょーん。
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ゴルフ2のシートはこういう風に横に付いてるレバーを動かして前傾させるんですが、助手席側のワイヤーが切れてしまって使い物にならなくなりました。がちょーん。
Continue reading...スターバックスよりも、ドトールでブレンドコーヒーとレタスドッグを頼んでたばこの煙に咳き込みながら時間をつぶす方がわたしには向いている。ふかふかしたソファー(たいてい先客がいる)とか、落ち着いたインテリア(暗すぎて読書していると目が悪くなる)とか、洒落た音楽(音楽くらい自分が好きなものを聞きたい)とか、そういうもののために数百円のプレミアムを支払うなんて馬鹿げている。
ドトールコーヒーでは、シャキシャキのレタスとぴりっとしたマスタード、そして茹でたてのソーセージが織りなす奇跡があなたを待っている。レタスドッグを食べたことがないなら、早くドトールコーヒーに足を運んだ方が良い。
わたしはまえまえから糸井重里氏の何が凄いのか分からない。
MOTHERというゲームを作ったとか、スタジオジブリの映画のキャッチコピーを書いたとか、そういう話は伝え聞く。あと徳川埋蔵金。社会的地位、経済的基盤を確立しておられる、非常に立派な方なんだとは思う。
しかし具体的に何が凄いのかが分からない。ほぼ日刊イトイ新聞は改行の連続とパーマリンクがないために読みづらい。ほぼ日手帳の各日の下のスペースに印刷されている「日々の言葉」はちっとも面白くない。ほぼ日刊イトイ新聞は意味のない改行をやめ、各記事にパーマリンクを設定してサイトの作りをもっと整理して欲しい。ほぼ日手帳は「日々の言葉」を廃してもっと値下げして欲しい。
わたしが糸井重里氏のすごさが分からないのは、きっと中二病に罹患しているからであろう。中二病を卒業したら、きっと氏のすごさが分かるに違いない。早く卒業したいものである、中二病。
カレーにジャガイモを入れるような奴とは友達になれそうにない。
ごろごろしたジャガイモを食べていると息が詰まりそうになる。肉じゃがにもジャガイモが入ってない方が好きだ。
そもそもジャガイモの芽には毒があると小学校の家庭科の授業で習った。そんなもの食べられるはずないじゃないか。
なぜ世の中の人はかくもジャガイモを愛しているのだろう? あんなものは北ヨーロッパの痩せた土地に住んでる連中が飢えをしのぐために仕方なしに食べるものだというのに。
ある人が言った。なぜみんなカレーにジャガイモを入れるのか。「それは君、北海道が破綻しないためだよ」。
なるほど、北海道が破綻しないためにみんなカレーにジャガイモのを入れるのか。カレーはある意味公共事業なわけだ。
ところで、小さな政府を実現し、財政改革を達成するためには公共事業を削減しなければならない。
人々がカレーにジャガイモを入れる行為はメタファーとしての公共事業である。
すなわち、カレーにジャガイモを入れるという愚かしい行為を止めれば、小さな政府が実現し国の借金は減るのだ。
だから皆さん、カレーにジャガイモを入れることだけは止めましょう。日本の将来のために。
わたしはときどき思うのだ。
最寄りのコンビニがセブンイレブンだったら人生どれだけ幸せだろうか、と。
近所の某コンビニがセブンイレブンに変わってくれたら、私はもうそれだけで幸せである。セブンイレブンでバイトして毎日廃棄弁当食う生活。きっと女性にもモテるに違いない。
セブンイレブンのバイトの給料と廃棄弁当で浮いた食費を使って渡欧し、ブダペストでハンガリアングヤーシュを食べるのである。
もちろんパプリカチキンも食べる。そして夜は毛唐がたむろする怪しげなナイトスポットで、ルイ14世も絶賛したというハンガリー産の白ワインを飲むのだ。
しかし現実には我が家の最寄りのコンビニはセブンイレブンではないので、私は渡欧することもないしハンガリアングヤーシュを食べることもない。
ああ、セブンイレブンのおでんが食べたい。
最近Twitterでどういう人がアツいのか分かってきて、そういう人たちをFollowするようになったんですけど、なんか輪に入れない。もちろん、片思いな人も多いのでそういう人に@コメントしても恥ずかしいだけだからそういう人には話しかけないのですが、両思いの人であっても、すでに仲良しネットワークみたいのが出来ててなんか@コメントしづらいのです。僕はこういうアツい人たちを“Twitter充”と命名したい。いやさせてくれ。
もちろんTwitter充の輪に入れないのにはこちらにも原因があって、「おはよ〜う」とかやってる人に「@hogehoge おはよ〜う」ってやらない己の自己中さが関係しているんですよね。あと「北区」した人に「@hogehoge おかえり〜」とかもやらない。要するに自分のつぶやきたいことばっかTweetしてるんですね。サーセン。
そんな自己中の僕に@コメントしてくれる皆さん、本当にありがとうございました。
どれもずいぶん前に見た映画だから内容はうろ覚えなんだけど、感想を書き留めておきます。
親父と仲の悪かった息子が、がんを患って死期を待つばかりの親父のために尽くすという内容。死ぬ前の和解がテーマ。酒好き女好きの父親は放蕩無頼の人生を送ってきた。妻には逃げられ、息子は父親を反面教師に育ち、いまやロンドンの金融街で名を馳せるエリートサラリーマン。長らくカナダの実家に寄りつきもしなかった息子であるが、父がもはや長くないということを母から知らされ、父の友人やかつての愛人たちを集め、最期が少しでも安楽なものとなるよう尽力する。
がんの父親は最期までまるまると肥えているし、共感できる部分は少なかった。死に至る瞬間も微妙。最後まで死が美しいものとしてしかとらえられていなかった。安易なセンチメンタリズムに走っているように思えた。アカデミー賞最優秀外国語賞とったってほんとですか。
好きなフランソワ・オゾン監督の作品。主人公は人気絶頂のカメラマン。しかしある日撮影中に倒れてしまい、手を付けられない状態まで進行したがんであることが判明する。百に一つの可能性にかけて抗がん剤治療をやってみないかと医師に勧められるが、主人公は断る。残された時間は3ヶ月。
抗がん剤やんないのに主人公が最後坊主頭にするあたりが意味不明。フランソワ・オゾンほどの人物であってもこういう理解に乏しい演出をするのかと少しがっかりした。ただ安易なセンチメンタリズムで話をまとめていないところはさすが。主人公を演じたメルヴィル・プポーは最期のシーンを演じるために死ぬ気のダイエットに挑んだらしく、役者魂を感じた。ラストシーンには鬼気迫るものがある。
ただ、死を目前にしたがん患者がこの映画を見ても得られるものは少ないだろう。
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