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夕刻の今津湾

2 年前にソフトウェアエンジニアからプロダクトマネージャーにロールチェンジした。ソフトウェアエンジニア時代は割と頑張れてたし成果を出せてた気がするのだけど、プロダクトマネージャーになってからは正直かなり苦戦した。プロダクトマネージャー 3 年目を迎えてようやく仕事に自信が持てるようになってきた気がするので、振り返りを兼ねて、これから同じようにプロダクトマネージャーにコンバートしたいと思っている人の役に立てばと思って書きます。


プロダクトマネージャーになった理由

夕影

ソフトウェアエンジニアだったとき、プロダクトマネージャーが不在のプロジェクトにアサインされたことがあった。機能コンセプトと画面デザインはあったが明確な仕様ドキュメントはなく、未確定の仕様をつまびらかにしつつ、関係者の合意を得ながらコードを書いていく必要があった。エンジニアだった頃の自分は機能的な仕様は誰か他の人に決めてもらって、自分は技術的な仕様を考えてコードを書くことに集中したかった。

このときは正直とてもつらくて、結局機能をリリースすることもできずプロジェクトはぽしゃってしまった。このような経験を自分はもうしたくないし、他の人にもさせてはいけないと思った。ビジネス的に成功するためだけでなく、エンジニアやデザイナーが不幸にならないためにも、きちんと作るものを定義してくれるプロダクトマネージャーが極めて重要だと思った。

その後しばらく時間が経ち、転職した職場でエンジニア・デザイナーが増えるにつれて専任のプロダクトマネージャーが存在しないことによる課題が露呈するようになった。プラットフォーム間での仕様の食い違いや、勘や憶測に基づく機能開発など。このままではプロダクトが間違った方向に進みかねないし、かつての自分のようにデザイナーやエンジニアが苦労をすることになると思った。誰か一人が専任のプロダクトマネージャーとなって交通整理をする必要があるだろうと考え手を挙げた。

プロダクトマネージャーの役割

プロダクトマネージャーの役割や定義については様々あるが、自分は「ユーザーに必要とされる製品を定義し、ビジネス的な成功を達成すること」だと考えている。プロダクトマネジメントについての本を何冊か本を読んだが、その中で最も感銘を受けた『 Making It Right 』という本にはこのように書いてある。

The product manager’s mission is to achieve business success by meeting user needs through the continuous planning and execution of digital product solutions.

— Merwe, Rian van der. Making It Right: Product Management For A Startup World (p.17). Smashing Magazine. Kindle 版.

この本を読んだ後に書いた記事ではこの部分を以下のように訳している。

ソフトウェアを継続的に企画・製造してユーザーのニーズを満たし、ビジネス上の成功を実現する

プロダクトマネージャーの Job Description - portal shit!

この記事の内容はいささか抽象的ではあったが、いま見てもそんなに違和感はない。記事内で引用した Dan Olsen の図から特に重要な部分を抜き出すと以下だろう。

プロダクトマネージャーの仕事

上図の赤枠で囲われた部分、ユーザーのニーズとプロダクトをマッチングさせ、売れる製品を作ってユーザーの問題を解決すること( Product/Market Fit )がプロダクトマネージャーの役割だ。ユーザーの課題を解決する画期的な製品を作ることが出来たとしても、収益性が悪ければプロダクトマーケットフィットしたとは言えず( Solution/Problem Fit に過ぎない)、プロダクトマネージャーの役割を果たしているとは言えない。

I-shaped people

プロダクトマネージャーにふさわしい人物像として、プロダクトマネージャーは I 型人間であるべきと述べられている。再び同書から引用する。

First, they need to have their heads in the clouds. PMs need to be leaders who can look into the future and think strategically.

日本語訳: プロダクトマネージャーは雲の上に頭を置いておく必要がある。未来を見越すリーダーであり、戦略的な思考が求められる。

— Merwe, Rian van der. Making It Right: Product Management For A Startup World (pp.22-23). Smashing Magazine. Kindle 版.

But good PMs also have their feet on the ground. They pay attention to detail, and they know their products inside out. They are the product’s biggest users — and its biggest fans and critics.

日本語訳: しかし同時に、良いプロダクトマネージャーは地に足を付けていなければならない。良いプロダクトマネージャーは細かいところまで注意を払い、プロダクトの表と裏を知っている。良いプロダクトマネージャーはプロダクトの最大のユーザーである。最大のファンであり、批評家でもある。

— Merwe, Rian van der. Making It Right: Product Management For A Startup World (pp.23-24). Smashing Magazine. Kindle 版.

Most importantly, PMs know how to ship. They know how to execute and rally a team to get products and improvements out in the world where the target market can use them and provide feedback.

日本語訳: 最も大事なこととして、プロダクトマネージャーは製品のリリース方法を知っている。開発チームをとりまとめて開発プロジェクトを遂行し、製品を求めフィードバックを与えてくれる外の世界(=対象とする市場)に届ける方法を知っている。

— Merwe, Rian van der. Making It Right: Product Management For A Startup World (p.24). Smashing Magazine. Kindle 版.

雲の上から俯瞰して戦略的にものごとを考えることも出来るし、地に足を付けていてプロダクトの細かいところも把握している。ユーザーの課題を発見するところから始まり、課題を解決する方法をとりまとめて世に送り出し、フィードバックを得るところまでできるのがプロダクトマネージャーにふさわしい人物像ということだろう。

具体的な仕事内容を挙げると以下のような感じではないだろうか。

1. 何がユーザーの問題かを特定する

  • ユーザーインタビューやユーザーアンケートを実施する
  • アクセス解析や利用ログに基づく定量的な分析を行う
  • 競合製品と自社製品の機能比較を行う

2. その問題を解決する製品を定義する

  • 要件定義・仕様書の作成
  • ユーザーストーリーの作成
  • カスタマージャーニーマップの作成

3. 製品がリリースされるまで開発チームに帯同し、リリースを成し遂げる

  • プロダクトロードマップ(リリース計画)の作成
  • プロジェクトの推進(プロジェクトマネジメント)
  • 他部署(セールス、マーケティング、サポート)との調整

4. 製品が「正解」であったかの評価を行う

  • 利用状況の調査やユーザーアンケートを実施し、プロダクトがユーザーの問題を解決したか評価する
  • 1 に戻り、製品を継続的に改善する

実際になってみてのギャップ

本から得た知識をもとに、意を決してプロダクトマネージャーになってみたものの、想定と現実の間には大きなギャップがあり苦しんだ。具体的には、作るべき製品を定義するのがプロダクトマネージャーの仕事だと思っていたがそうではなかった。

エンジニアは作りたいものを作りたいし、プロダクトマネージャーが作るべきものを定義するまでもなく機能は開発されていく状態だった。開発すべきものがわからないのではなく、開発したい機能が多すぎて困っているという状態だった。

自分が思い描いていたのは以下のような役割分担だった。プロダクトマネージャーが必要な機能と要件・機能仕様をまとめ、デザイナーがデザインに落とし込み、エンジニアが機能を実装する。

プロダクトマネージャーが開発プロセスに関与する

しかし実際は以下のような感じで、機能のアイディアを出す企画段階からエンジニアが担当し、プロダクトマネージャーは他のプロジェクトチームや営業、マーケティングチームとの調整が主な役どころだった。製品の仕様に関われるのは既存機能の不具合対応のときくらいで、後は開発チームによって作られたソフトウェアを受け入れるだけの存在だった。

プロダクトマネージャーが開発プロセスに関与しない

エンジニアが機能の企画・要件定義も行う体制では人手が足りず実装に十分な時間を割けないので、企画・要件定義を担当するエンジニアとは別に実装者のエンジニアがアサインされるようになった。企画・要件定義を担当するエンジニアがプロジェクトリーダーとなって実質的なプロダクトの責任者となる。プロダクトマネージャーは外部や経営陣との橋渡しをするだけの調整役になってしまった。

プロジェクトリーダーが実質的なプロダクトマネージャー

上図のプロジェクトリーダーと呼ばれるロールこそが自分の中ではプロダクトマネージャーだという認識だったが、このロールはプロダクトマネージャーのものではなかった。

プロダクトマネジメントの認知度が原因?

なぜ期待と現実のずれが生じたのか。当時の自分は、プロダクトマネジメントというものへの認知が不足しているからだと思っていた。

プロダクトマネージャーという職能が日本で一般的に認識されるようになったのは伊藤直也さんや Higepon さんが Rebuild ポッドキャストで話していた 6 年くらい前からでないかと思う。その後 antipop さん達がプロダクトマネージャーの Slack コミュニティなどを作り、一時期プロダクトマネージャー界隈が盛り上がっていた。

しかし、一般的な日本のソフトウェア企業でその存在が認知されるようになってからはまだ日が浅い。プロダクトマネージャーという役割に対する理解は圧倒的に足りていない。それが自分の役割に苦しんだ最大の原因だと考えた。

本に書かれているプロダクトマネージャーのロールを押し通そうとして軋轢を生んだこともあった。『 Making It Right 』にも以下のように書いてある。

Common objections to the role include:

  • “We have different people in the organization who fulfill each of these functions as part of their roles.”
  • “I don’t see how the role will make us more money.”
  • “Product managers will just slow us down.”
  • “I don’t want to relinquish control of the product to someone else.” (OK, that one is usually thought without being said out loud.)

プロダクトマネージャーという役割に対する反対意見の例:

  • 「うちの会社にはプロダクトマネージャーの役割を部分的に果たす人々がすでに存在してるんだ」
  • 「プロダクトマネージャーとやらが会社を儲からせてくれとは思えないな」
  • 「プロダクトマネージャーって連中は開発チームのスピードを下げるだけの存在だよね」
  • 「プロダクトについての決定権を手放したくないんだよ」(通常、声を大にして言われることはない)

— Merwe, Rian van der. Making It Right: Product Management For A Startup World (pp.19-20). Smashing Magazine. Kindle 版.

プロダクトマネージャーが存在しない組織では、プロダクトマネジメントのロールをデザイナー、エンジニア、カスタマーサポートなど様々なロールの人々が少しずつ分担しながら製品が作られていく。そこに突然プロダクトマネージャーが現れて「それ僕の仕事なんで僕がやりますよ」と言うと反感を買ってしまう。

プロダクトマネージャーの存在が認知される以前から、ソフトウェアの仕様を固めたり、ステークホルダーと調整したりする仕事自体は存在していて、大体はエンジニアの中のリーダーがその役割を受け持っていたのではないだろうか。少なくとも自分がこれまで勤めてきたプロダクトマネージャーのいない職場ではそうだった。ビジネスサイドから提示された大まかなビジネス要件を元にエンジニア(もしくはデザイナー)のリーダーが機能要件をまとめていた。

同じような話が伊藤直也さんのプロダクトマネジメントについてのブログにも書かれてある。

一体型のソフトウェア開発と分業型のソフトウェア開発

なぜこのような慣習が出来たのかを考えると、日本のソフトウェア産業の構造が響いているような気がする。受託開発が中心だった日本のソフトウェア産業1では、ソフトウェア開発はひとまとまりに開発者(ソフトウェアを作る側)の仕事ということになっている。受託開発であったとしても受託者側で作るシステムの要件定義を行うケースがほとんどではないだろうか2

日米受託開発の割合

総務省|平成30年版 情報通信白書|日米のICT投資額の推移

このため作るべきものの定義と作る作業の境界が曖昧なのだと思う(一体型のソフトウェア開発)。一方でシリコンバレーではジョブデスクリプションが明確で役割分けに敏感なので、作るべきものの定義とその結果に責任を持つ人(プロダクトマネージャー)と、作ること自体に責任を持つ人(エンジニア・デザイナー)が明確に区別されているのだろう(分業型のソフトウェア開発)と推察する。

エンジニアとプロダクトマネージャーの職能の分離

したがって、プロダクトマネージャーの役割の認知が広がらない限りはこの問題は解決できないと思うようになっていた。半ば諦めというか、自分では解決できない問題に立ち向かわなければならないようで、とても苦しく悶々とした日々を過ごした。

しかし一方で、プロダクトマネージャーの役割は会社によって異なると良く言われる。『逆説のスタートアップ思考』の馬田さんが書かれている記事には以下のように書いてある。

組織のリソースが豊富な場合はプロダクトの仕様を策定するだけの PM なのかもしれません。スタートアップのようにまったくリソースのない組織の場合は、全部の機能を一人がやらなければいけないのかもしれません。人を採用して少しリソースが増えたら、また PM に求められるバランス感が変わってきます。

組織の今の状況に応じて PM はその役割を変えますし、同じ組織においても時間が過ぎれば役割が変わっていくと認識しておくほうがよいのでしょう。

プロダクトマネジメントトライアングルと各社の PM の職責と JD | by Taka Umada | Medium

当時の自分はこの観点が抜け落ちていた。もっと柔軟に振る舞って、どうすれば良いプロダクトをユーザーに届けられるかという視点に立ち、所与の環境でどういう働きをすべきかが考えられていなかった。

プロダクトマネジメントのない組織にプロダクトマネジメントを浸透させる方法

自分の失敗経験を踏まえ、一人目のプロダクトマネージャーとしてどう動けば良かったのかを振り返ってみる。

まず、プロダクトマネージャーが存在しない初期状態が以下だ。経営陣が戦略を、開発チームが戦術を担当する。

役割の戦略性 - 初期状態

そこにプロダクトマネジメントの仕組みが導入されるとこうなる。プロダクトマネージャーは戦略と戦術の両方を股にかける動きをする。 What の領域に主眼を置きつつも、 Why や How にも関わる。

役割の戦略性 - プロダクトマネジメント導入

自分がプロダクトマネージャーになったとき、会社はプロダクトマネージャーに戦略性の高い領域を守備範囲とすることを期待していた。

役割の戦略性 - 戦略寄りのプロダクトマネジメント

しかしそれに反して自分自身は機能仕様の策定など、戦術的な領域を守備するつもりでいた。

役割の戦略性 - 戦術寄りのプロダクトマネジメント

この認識の違いのせいで会社、開発チームとの軋轢が生じ、仕事のやりづらさや違和感につながったと考える。

本で読んで得ていたプロダクトマネージャー像はどれも中規模以上の、プロダクトマネージャーが何人かいる組織でのものだった。なので一人目のプロダクトマネージャーとしてどう動くべきかという観点での参考資料にはなり得なかったのだろう。その点は自分の反省点だと思う。

一方で、組織が大きくなってプロダクトマネージャーの数が増えると、以下のように役割を分担できるようになる。

役割の戦略性 - プロダクトマネージャーの役割分担

戦略性の強い仕事を上級のプロダクトマネージャーが担当し、戦術領域に関してはジュニアなプロダクトマネージャーが担当すればよい。

少し前に読んだ『プロダクトマネジメント』という本では、以下のような説明がなされていて納得感があった。

 プロダクトマネージャーの戦術的な仕事では、機能を作って世に出すという短期的な行動に焦点を当てます。次にすべきことを決めるのに使うデータを処理したり、日々、開発者やデザイナーと一緒に作業を分解してスコープを決めたりすることも含まれます。

 戦略的な仕事では、マーケットで勝利して目標を達成するためにプロダクトや会社のポジショニングを考えます。プロダクトや会社の将来像や、そこに至るために必要なことに着目します。

 運営の仕事では、戦略を戦術的な仕事に結び付けます。プロダクトマネージャーは、プロダクトの現状と将来像をつなぐロードマップを作り、チームはそれに沿うように仕事を進めます。

— Melissa Perri 『プロダクトマネジメント』オライリー・ジャパン

以下の図もわかりやすい。

プロダクト関連の役割における戦略、運営、戦術の仕事の割合(10人以上のチームの場合)

自分がプロダクトマネージャーの役割だと思っていたのは図中で言う「アソシエイトプロダクトマネージャー」か「プロダクトマネージャー」だったのだと思う。しかし会社は「プロダクト担当ディレクター」か「プロダクト担当 VP 」相当の存在を求めていた。戦術の領域はエンジニア・デザイナーに任せ、プロダクトマネージャーは戦略と運営にフォーカスするような働きが期待されていた。一方で自分は戦術にフォーカスしたプロダクトマネージャー像を持っていたため、組織のニーズにマッチできていなかった。

スタートアップのような小さな組織では常に人手が足りていないので、いくつかのロールを兼任することが求められる。小さな組織でプロダクトマネージャーが一人しかいないときには、戦術はある程度手放してエンジニアとデザイナーに丸投げし(エンジニア・デザイナーにプロダクトマネジメントのロールを兼任してもらう)、プロパーのプロダクトマネージャーは運営と戦略にフォーカスすべきだったのかも知れない。自分はそれができなくて、戦術に拘泥して失敗してしまったのだろう。

ただし、『プロダクトマネジメント』では、経営陣が期待するアウトカムではなく特定の機能( HOW )の実装を開発チームに要求し、一貫した戦略が存在しないためビルドトラップに陥る、ということも書かれている。プロダクトマネジメントの仕組みを整えるには、 CEO をはじめとした経営陣も一定程度戦術(どんな機能を作るか)からは手を引き、プロダクトマネージャーに権限を委譲していく必要がある。もちろん、なかなか簡単には HOW の領域から手を引いてもらえない(「プロダクトについての決定権を手放したくないんだよ」)ので、プロダクトマネージャーはうまい具合に立ち回って経営陣には戦略策定に特化してもらい、プロダクトについてのイニシアチブを自分で獲得していく必要があるだろう。

まとめ

  • プロダクトマネージャーの役割を明確に
    • 会社はあなたに何を期待しているのかを明確にする
      • 戦略なのか? 戦術なのか? 運営なのか?
    • 本に書いてあること = 会社が求めているプロダクトマネージャー像ではない
      • 会社のステージによってプロダクトマネージャーに求められることは変わる
  • プロダクト開発のイニシアチブをとる
    • 経営陣から特定の機能の開発( HOW )を要求されたきたとき、それは何を目的としているのか( WHY )、どんな結果をもたらすのか(アウトカム)を問う
    • 経営陣には期待するアウトカムと戦略の策定にフォーカスするよう促す
      • 機能開発を一任してもらえるように信頼を獲得する
  • 開発チームからの信頼を得る
    • 自分が関与する必要がないところからは手を引き、信頼してお願いする
      • 「船を作りたいのであれば、木を集めさせたり船の作り方を指示するのではなく、果てることがない広大な海への熱情を説く」

今年の前半に取り組んだプロジェクトで、プロダクトマネージャーになったときに自分のミッションだと思っていた Product Market/Fit を達成することが出来た。ユーザーがお金を払っても欲しいと思うものを考え、健全なマネタイズ手法を提案してリリースするところまで成し遂げた。これまで苦しんだ 2 年間だったけれども、ようやく自信を持って「プロダクトマネージャーやってます」と言えるようになった気がする。

長垂海岸の夕焼け


  1. アメリカは受託の割合が半分強なのに対して、日本は 9 割弱が受託開発。アメリカはシステムを内製する傾向にあるので、内製システム開発も含めると受託の割合はさらに下がりそう。 

  2. 大規模なプロジェクトではどうか知らない。自分が以前勤めていた Web デザインに毛が生えたようなシステム会社では受託者側が要件定義書を作って顧客の承認をもらっていた。 

| @WWW

Basecamp で従業員の大量離職騒動が起きていた。原因は社内で社会問題についての議論を禁止するという制度変更への反発。

この制度変更の背景にはさらにややこしい問題があったようだ。

この騒動を経て、以前 HEY を使ったときの感想として書いた以下の記事のことを思い出した。

ソフトウェアに必要なのは理念ではなく機能だ。そのことは Jason Fried も書いている。

6. No forgetting what we do here. We make project management, team communication, and email software. We are not a social impact company. Our impact is contained to what we do and how we do it.

ただ、 Jason Fried も DHH も本、 Twitter 、ブログで業務の一環かのように他社のソフトウェアやビジネスモデルに難癖を付けたりと舌鋒鋭い。その一方で従業員に社内で社会問題を議論をさせないのは矛盾しているような気がする。

以前書いた記事では、 Flickr は理念のみで機能が不足しているということを指摘した。 Basecamp の HEY については理念だけでなく、それを裏付ける機能があると支持した。しかし今回の騒動を見るに、理念の部分がだいぶ強すぎたと感じる。理念に引き寄せられて opinionated な人たちが集まったが、理念を表明して良いのは経営者だけで従業員は仕事だけして下さいと言われると反感を買うのは当然だろう。

理念や社会に対する意見があることは結構なことだと思う。しかしそれを声高に表明して回ることはソフトウェア会社の仕事ではないと思う。ソフトウェア会社の仕事はただ一つで、その理念に基づいたソフトウェアを作ることなはずだ。

そもそもソフトウェアで社会を変えられるのだろうか。自分はそうは思わない。世の中がソフトウェアをきっかけにして変わるだけだ。ソフトウェアは人々の内側にあった曖昧模糊とした欲求を具現化して解消しただけに過ぎない。 Uber で車と時間を持て余している人がお金を得られるようになったし、全然タクシーがつかまらなくて困っていた人はふっかけられることなく車で移動できるようになった。これは元々潜在的に存在していた需要と供給を顕在化させて結び付けただけだに過ぎない。どんなに画期的なソフトウェアやサービスも、人々に必要だと思われなければ意味がない。

崇高な理念や信念があったとして、それをいかにソフトウェアに吹き込むかがソフトウェア企業のやるべきことだ。自分は Rails エンジニアとしてソフトウェア業界に橋頭堡を築いたので DHH のことは尊敬しているけど、 Basecamp には人々に求められる良いソフトウェアを作ることにフォーカスして欲しいし、自分もそういう姿勢でソフトウェア開発に携わっていきたい。

| @技術/プログラミング

シダの新緑

最近、ブログに Amazon アソシエイトの広告が表示されなくなっていた。記事の新規公開時だけでなく、最新の価格情報を取得するため 24 時間のみキャッシュして都度新しいデータをとるようにしていたが、商品が 30 日間売れなかったため API へのアクセス権を剥奪されてしまったようだ。アフィリエイト報酬がもらえないのもさみしいが、それよりも記事に商品の画像を表示出来ないのが悲しい。結構頑張って仕組みを作ったのに。

ドキュメントには以下のように書いてあった。

Note that your account will lose access to Product Advertising API 5.0 if it has not generated referring sales for a consecutive 30-day period.

API Rates · Product Advertising API 5.0

これはかなりきびしい。 30 日間でものが売れないことなんてザラにある。 ものが売れない -> API のアクセス権剥奪 -> 商品情報取得できない -> ものが売れない の負のスパイラルに陥ってしまうので基本的には抜け出すことはできない。

Google Adsense といい、個人の泡沫ブログで小銭を稼ぐのがどんどん難しくなっていく。

| @ブログ

Composing HEY World

メールを送るだけでブログを書ける HEY World はとても体験が良い。入力しなければならないのはタイトルと本文だけ。カテゴリーやタグを選んだり、公開時の URL を選んだり、日付を設定したりできない。しかしそのせいで内容に集中できる。

ブログは万年筆のように書き味が大事だと思う。 HEY のメール作成画面は飛び抜けて良いわけではないが、ほどほどに良い。残念ながらこのブログの投稿欄よりも良いのは確実。別のエディターで下書きして貼り付ける手間がなく、いきなり書いて Send ボタンを押すだけでブログを公開できるのはとにかく便利。下書きはメールの下書きとして保存すればよく、出来上がったら world@hey.com に対してメールを送信する。ブログを書きたいけど管理画面にログインするのが面倒くさいとか、小さなフォーム入力欄で文章を書くのがかったるいというような、ブログを書くための障害をあらかた取り除いている。

メールはスパムによって程度の低い通信手段にされてしまったが、メールによって情報発信をする手法は見直されて良いと思う。昔はモブログという概念があって、ガラケーからメールでブログ投稿できる機能を備えてるブログサービスがあった。このブログにもメール投稿の機能を付けてみたいと思った。

| @ブログ

※いまブログに広告を表示されてる方たちを攻撃する意図はないです

高尚なことが書かれてるブログに、手のしみとりとか豊胸とかエログロ漫画の低俗広告が表示されてると、どんなに立派なことが書いてあっても説得力を感じなくなってしまう。

自分も一年前まではブログに広告を出していた。

広告の表示はやめて本当によかったと感じる。いまからもう一度広告を表示する気にはなれない。

広告を表示していた頃は、低俗広告がいかにコンテンツ内容を毀損していたかということに気が付けていなかった。何か大事なことをシリアスに書いていても、そのすぐ脇に発毛剤とか精力剤とかエロゲームの広告が表示されていたらそれはギャグでしかない。

そもそも自分のブログの一番の読者は自分であり、広告を表示することで自分自身が見ても一円の得にもならない低俗な広告を延々見せられ続け、無料で広告を表示できて広告主が得をするだけだ。

半年に一度数千円もらうために記事内容を毀損するような低俗広告を表示するのはトータルで考えるとむしろ損だ。モチベーションを維持するために金銭的な報償が必要なのであれば、アドセンス広告よりも GitHub Sponsors とか、懐に余裕がある人からの支援を募った方が良いと思う。 Hail2u.net のながしまきょうさんがこの手法をとっていてなるほどと思った。コードを書かない人であれば Gumroad とか Patreon とかにすればいいし、 Amazon のウィッシュリストを掲載するのでも良いと思う。

広告によって無料でいろんなものを提供するのは、少額決済の仕組みがなかった時代に苦肉の策で生み出された手法だ。いまは 100 円、 200 円でもインターネット越しにお金を集めることができる。コンテンツを提供する側はたとえ個人のブログであったとしても安易に広告で収益を得ようとするのをやめて、お金が必要なのであれば真剣にマネタイズと向き合う必要があるだろう。

| @WWW

朝の月

Twitter のスレッド機能で、投稿前の下書き段階からスレッド状態で長い文章を推敲しながら書くことができることを最近知った。推敲して長い文章を書けるのならブログを書く必要がないのではないか。これを知って自分は、 Twitter はブログの息の根を止めようとしているのだなと感じた。

スレッドで長めの文章を下書き状態で書きためている様子

スレッドの誕生

スレッドは 2017 年にリリースされていた。

確かにこの頃から長文を連投で投稿する IT 社長みたいなのをよく目にするようになった気がする。「フロハ」とか「ガバリ」とか「making coffee」とか書いてた頃の Twitter とは異世界になってしまった。

リリースノートによると、ユーザーが自分のツイートにリプライを書いて長い文章を書いている使い方に着目し、それをしやすくする機能としてスレッドを開発したようだ。長い文章を書けるようになったことで、それまで誰とも競合せず独自の市場( Jaiku など同種の競合はいたがプラットフォームが持つ強力なネットワーク効果で蹴散らしてしまった)にいた Twitter がブログの世界に進出してきたのだ。

ブログの衰退

トラックバック

ブログでのコミュニケーションはとても衰退してしまった。いまでは信じられないかも知れないが、昔はブログにコメント欄やトラックバック欄があった。コメントはともかくトラックバックって何だと思う人はいるかもしれない。むかしのブログでは、誰か他の人の記事を参照して記事を書いたときにトラックバックする、という文化が存在した。

トラックバックのない世界

例えば A さんがうどんについての記事を書いていたとする。その記事を参照しながら B さんがそばについての記事を書いた。このとき、 B さんの記事から A さんの記事に対してリンクを張ることは可能だが、先に作成された A さんの記事から B さんの記事にリンクを作成することはできない。 A さんは自分の記事が B さんから言及されていることに気づくこともできない。関連した話題や言及されていることに A さんおよび A さんのブログの読者が気づくことができないのだ。

トラックバックの正しい使い方

この問題を解決するのがトラックバックという仕組みで、 B さんのそばの記事から A さんのうどんの記事に対してトラックバックを送ることで、 A さんの記事内に B さんの記事へのリンクが表示される。 A さんは自分のブログに言及されていることを知ることができるし、 A さんのブログの読者は関連記事として B さんが書いたそばについての記事があることを知ることができる。

トラックバックボム

迷惑トラックバック

この仕組みは節度のある人だけがブログをやっていた時期には良かったのだが、徐々に相手の記事に言及することなく、自分のサイトへの誘導のためにトラックバックを送信する不届き者が出てくるようになった。 A さんのうどんの記事に B さんのそばの記事がトラックバックを送るのはまだわかるとして、 C さんが書いたバイクについての記事からトラックバックが届くとなると、全く話題に関連性はないし、バイクの記事から A さんのブログにリンクすることもないだろう。

こういうネチケット違反をする人だけではなく、最終的にはアフィリエイト目的で相手のブログと全く関係ない記事なのにトラックバックを送信するスパマーによって悪用されるようになり、トラックバックという文化は廃れてしまった。

議論の場となる Twitter

トラックバックが死ぬことで、ブログ上で議論するということがしづらくなった。 A さんのうどん記事に対して B さんがそばこそ至高という記事を書き、トラックバックを送った上で議論を挑むことができたのが、トラックバックがないのでネットの端っこでかみつくだけか、 A さんのブログのコメント欄に登場して議論をふっかけるしかない。しかしコメント欄もトラックバックと同じように衰退した。スパムのせいだ。静的サイトジェネレーターで生成されるブログではトラックバックはもちろんのことコメント欄も存在しない。ブログは議論の場として機能しなくなってしまった。

Twitter が流行ったからブログが廃れたという意見はかつてよく目にした。しかし Twitter が流行ったからというより、コメントやトラックバックという文化がスパマーによって破壊されてしまい、 Twitter の手を借りるまでもなくブログは勝手に死んでいったのだ。 A さんのうどん記事について「そばこそ至高」と言いたい人は、 Twitter で言及するしかなくなってしまった。この流れを加速させて、そもそも A さんも Twitter でうどんの話をするようにしたくて、 Twitter はスレッドを機能化することにしたのだろう。

コンテンツとの出会いの場としての Twitter

多くの人にとって、コンテンツとの出会いの場がポータルサイトやまとめサイトから、個々人のタイムラインに変わりつつある。みんなで同じ記事を見るのではなく、それぞれの小さなサークルの中でコンテンツを共有し合う感じだ。

いま、記事がバズったときのナンバーワンの流入元は Twitter だ。以前だったらはてブだったけど、はてブでホッテントリに入るよりも SNS でバズることの方がアクセスが集まりやすい。

はてブは一人にブックマークされただけではあまりアクセスが来ることはなく、矢継ぎ早に数人からブックマークされてホッテントリに入らないとバズれない。しかもホッテントリに入ったところではてブからのアクセスは精々 1 日で途絶えてしまう。みんなで一つのホッテントリを見てるので次々に新しい話題が出てきて、一つの記事がはてブのネットワーク内にとどまれる時間が短い。

一方で Twitter は、一人がシェアしてくれただけで割とアクセスがあり、フォロワーが沢山いるインフルエンサーによってシェアされるとあっという間に大量の流入をもたらしてくれる。しかもユーザーはそれぞれバラバラのタイムラインを見ているので、バズったときにネットワーク上にコンテンツが滞留する時間が長い。 Twitter 自体がタイムラインを単純な時系列順にせず複雑化させているし、一つの記事を別々の人がシェアすることや、リツイートの仕組みによって何度も人の目に触れさせることが可能になっている。おかげで一度バズると一週間くらいは流入を提供してくれる。

スレッドの最大の狙いは外部への離脱の抑制のはずで、これまでブログ記事や動画など、外部のコンテンツを参照する側だった Twitter が、スレッドによって長くまとまった分量のコンテンツをプラットフォーム内に持てるようになり、外に対してトラフィックを流すのではなく、プラットフォーム内にユーザーのアテンションをとどめておけるようになった。コンテンツとの出会いも消費も Twitter 内部で完結させたい、というのが Twitter の意図なはずだ。

コンテンツの発見も消費もタイムラインで

タイムラインの滞在時間を最大化し、一つでも多くの広告を見てもらうことが Twitter のビジネスモデルにとって重要なはずだから、スレッドによるブログ殺しでバズの矛先を外部のブログではなく Twitter の内部とし、一人たりとも Twitter の外に逃したくないのだろう。

かつて日常について呟く場所だった Twitter が、日常についての短い文章に加え、長めの論説調の文章も有するメディアに変容しようとしているのだろう。プレースホルダーが "What are you doing?" から "What's happening?" に変わったのと同じ事情がそこにはある。

日常の出来事をブログに書く意義

こんにち、日記のような軽いブログ記事を見かける頻度がとんと落ちている。昔はもっとみんなライトにブログを書いていた。しかしそういうライトなブログは Twitter や Instagram などの SNS に飲み込まれてしまった。いまブログといえば、ある程度の分量のある熱のこもった記事か(暇な素人による社会時評とか)、芸能人のアメブロか、アフィリエイトか、プロが書いた商業的な記事しかない。普通の個人が書いた軽い記事を公開しづらい雰囲気が醸成されつつある。

ヒトデさんが年末にこういう記事を書いていた。

#100DaysToOffload もこの考え方に通じるところがある。難しく考えずに、気軽にアウトプットすればよい。

この感覚はとても重要で、いま我々は努めて軽いブログ記事を書くようにしないと、商業メディアや Twitter に飲み込まれて個人の簡便な意思表明がしづらい流れが固定化されてしまう。その日食べたもののことでも、その日見たテレビのことでも、その日読んだ本のことでも、その日遊んだゲームのことでも、何でもいいから SNS 以外の場所にも書くことが大事なのだ。 #100DaysToOffload のハッシュタグを付けて Twitter に何かを投稿するのは一見矛盾しているようで、 Twitter に過集中しつつあるインターネットのアテンションを再び個人ブログに取り戻そうという取り組みでもある。

なので皆さん、スレッドのご利用はほどほどにして、ブログを書きましょう

| @WWW

YouTube 、すでに公式に公開されてる情報を読み上げるだけの動画あげてる人が多い。オリジナル情報を読めば 1 、 2 分で摂取できる情報を 10 分以上の動画にする意味があるのかは疑問だけど、長い文章読めなくて動画に飛びつく人が一定数いるんだろう。

同様に、既に公式サイトに記載されている事柄を自分のブログや Twitter にスクリーンショット付きで転載してる人もいる。ソースが英語のときに日本語で説明するなら理解できるけど(自分はよくやる)、ソースが日本語の情報をさらに日本語で転載する意味がわからない。

公式情報はわかりにくい、誰かが解説している二次的な情報の方が信頼できる、と感じる人がいるのかも知れない。[サービス名] 料金 などのキーワードで検索すると大量に二次解説サイトがヒットする。

この手のコピー情報はオリジナル情報を水増しして動画化したり何度も同じ表現を繰り返したりしてるだけで全然わかりやすくない。むしろインターネットのノイズになっている。悪質なケースでは Google 検索結果の強調スニペットによってオリジナル情報より目立っていることもある。

極力一次情報を調べ、二次情報にはなるべく近寄らない暮らし方をしていきたいが、普通の人々がそういう情報摂取をできるだろうか。