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500 yen breakfast

この記事は Coffee Advent Calendar 2018 15 日目の記事ですが、間に合わなかったので 16 日に書いてます。すみません。


コーヒー好きなんだけど元同僚のウルトラ富裕層 @t32k さんのようにサ〜ドウェ〜ヴなコーヒー豆屋に行って 100g で 1200 円もする豆を節分の炒り豆感覚で買えるような財力はないので長崎で行ったコーヒー屋について書きます。

長崎、いろんなコーヒー屋がある。ただサ〜ドウェ〜ヴの店なんかではなくて昭和レトロな喫茶店、いわゆる純喫茶が多い。

前も書いたことあるけど長崎では囁き坂が一番好きなコーヒー屋で、長崎に帰省するたびに必ず寄ってる。

囁き坂のマスターはコーヒーのことも長崎のこともどんだけでも話題の引き出しがあってとても楽しい(もちろんコーヒーもおいしい)。義母が亡くなって長崎には帰るべきところがなくなってしまったが、いまでは囁き坂が帰省先のようになってる。

囁き坂

豆は囁き坂で買うのだけど、最近は囁き坂以外の店にも行くようになって 2018 年はいろんな店でコーヒー飲んだ。

新大工町 喫茶ミレー

まずはミレー。店のロゴはミレーの作品『種まく人』から作られており(岩波書店のシンボルマークも同じ)、文化の香りがする。

内装は本郷の喫茶店にありそうなアカデミックな雰囲気を漂わせる昭和レトロ内装で、ここで岩波文庫を読みながらコーヒーを飲めば昭和のインテリゲンチャを気取ることができる。

とはいえお店は気難しい親父がやっているわけではなく、人柄の良さそうなおばあさん数人でやっていて非常に落ち着く。店内はとても広く、奥には貸し会議室もあって近所の主婦の皆さんが集まって井戸端会議をやってたりする。

ミレーではモーニングを食べるのがよい。サイフォンでいれたコーヒーにトースト、ハム、サラダが付いてくる。それで 500 円。コーヒーも美味しい。 11 時まで注文することができる。

Breakfast at ミレー

ミレーのサイフォン

鍛冶屋町 富士男

富士男は戦後間もない時期からあって文化人もコーヒーを飲みに来てる。遠藤周作はキリスト教関係の本を書くためにしばしは長崎に滞在していたようで、そのとき富士男に来ていたらしい。いまでは油屋町のツル茶ん(トルコライスが有名)と双璧を成すインスタグラムスポットとなっている。ベレー帽をかぶったインスタグラム女子と長崎の地元のおっさんが背合わせに座っててかなり面白スポットとなっている。

珈琲富士男

なお富士男と隣り合って営業していた銀嶺はいまは立体駐車場となっているが、長崎歴史文化博物館内にレプリカ店舗ができている。そこではトルコライスが食べられる。

銀嶺のトルコライス

新大工町 喫茶富士

上述の富士男は一時期かなり業績を伸ばし、長崎市内に複数店舗構えていたようである。ただチェーンというよりは暖簾分けだったのかもしれない。現在では富士男から「男」を取った『富士』という名前の店が新大工町にある(純喫茶コレクション 長崎・大工町・純喫茶 冨士)。

喫茶富士

他にもまだまだ長崎には趣深い純喫茶があるのでまた帰省したときに行ってみたい。カフェチェーンやサ〜ドウェ〜ヴ勢に喫茶市場を蹂躙された東京や福岡ではもう姿を見かけることがなくなったレトロな喫茶店がまだまだ生き残ってる。味のある写真が撮れる。平成生まれのインスタグラマーや韓国人旅行者なんかには負けてられない。何がインスタグラムだこっちは 10 年 Flickr Pro ユーザーやってんだ舐めんな。

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アルプス遠征で白馬に行ったとき、福岡からは松本経由で行った。前の記事に書いている通り台風の影響で縦走の予定がピストンとなったため、松本を一日観光する時間ができた。

松本には去年の秋に友達の結婚式で行っていて、そのとき市内を少し観光してすごくいいところだなと思った。前回は帰りの飛行機の時間の都合でできなかったことがいくつかあり非常に悔やまれたので、今回は前回できなかったことをやってきた。

宿泊

泊まったのは花月というホテルで、結構よいホテルのなはずなのにハイシーズンにもかかわらず低価格で泊まることができたが、部屋に入って窓を開けるとこの景色でなるほどという感じだった(これはこれで面白くてテンション上がった)。

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昼食 1

松本には昼過ぎに着いたのでホテルに荷物を置きに行き、 The Source Diner に行った。ここには前回も来ていて、カウンターの席に座るとお店の人が料理している様子を眺めながら食事することができる。自分も料理するの好きなので目の前で料理してくれるタイプの店はプロの慣れた手さばきが見られてとても楽しい。

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物色

あたりをうろつく。ナワテ通り外れの角にあるポーランド食器のセラミカがよくて、以前来たとき器を買うか迷ったが荷物になることや結構高いこと( 21cm の皿でも 3000 円から 5000 円くらいする)、帰りの飛行機まで時間が限られていたことで決心しきれず、買わずに帰ってきてしまった。あとあとこのことが非常に悔やまれて、もしまた松本に行く機会があればセラミカを訪ねて皿を買いたいと思っていた。

買いたい器に目星をつけたが今日は荷物になるので買わないでおく。

コーヒー 1

その後、セラミカの器でコーヒーが飲める喫茶店「カフェあげつち」でコーヒーを飲んだ。この喫茶店は 300 円でコーヒーが飲めてレトロな家具や調度品が飾ってあり休憩にちょうどよい。観光客向けというより地元の人が談笑しに来ている感じ。年季の入った建物を修復して公営の会議スペースとして利用しているようである。

松本城

そこから松本城に行った。前回も今回もお城の中には入らなかった。入り口に「ここから 30 分待ち」というような看板があったが、ああいうのがあると入るのをためらってしまう。

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お土産 2

夜は会社の仲良しおじさん連中と飲みに行くことにしていたので、ムラマサに行ってお土産を物色した。ここも前回来たときに気にはなったけど時間がなくて素通りしてしまった店(まつもと空港で売ってるだろうと思ってスルーしたら売ってなかった)で、寄らずに帰ったことを猛烈に後悔したので滞在中何度も訪ねて入念に物色した。シュークリームが名物のようだったが旅行者で冷蔵庫に保存することができないのでお店の人にお勧めを聞いて天守石垣サブレを買った。この手のクッキークリームサンド的なお菓子にはあまりテンションが上がらないのだが、帰ってきて食べてみたら確かにおいしかった。

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飲酒 1

花時計公園の横にある信州ゴールデン酒場に行った。山賊焼を食べたが焼きという名前なのに揚げてあるのにはびっくりした。あと付け合わせキャベツについてくる味噌が完全にう◯こに見えてやばかった。キンミヤハイボールがよいと foursquare の Tip にあったので頼んだらもろに甲類焼酎のアルコールにやられて悪酔いした。

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飲酒 2

二軒目はナワテ横丁にある彗星倶楽部という名前の店に行った。両腕にタトゥーを入れたお姉さんがやっててかっこよかった。つまみも全部うまかった。

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さらにもう一軒行ってそばを食べたけど泥酔し過ぎていてあまり思い出したくない…。

朝食

12:50 にバスセンター集合だったので早めにチェックアウトして朝食を食べに行ったが、目当てにしていたおきな堂はモーニング営業を取りやめており路頭に迷ってしまった。二日酔いで勘が鈍っており、ふらふらしながらナワテ通りの適当なパン屋に入ったところいまいちだった…。せっかくよいホテルに泊まってたのだから大人しくホテルの食堂のモーニングを食うべきだった。同僚によると「まるも」という喫茶店が良かったとのこと。

お土産 3

萬年屋というところで味噌を買った。信州味噌はなかなか九州では買う機会がないので面白い。二年熟成の味噌を買った。

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コーヒー 2

この日のメインイベントはセラミカでの器購入だったがオープンが11時なので開店まで暇をつぶす必要があった。朝食のコーヒーがいまいちだったので年季の入った外観だが今風の若い人が載ってそうなチャリンコが停めてある喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。

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セラミカで散財

11 時になり満を持してセラミカに行った。山小屋泊ですっかり朝が早くなったので 11 時はもう夕方みたいに感じる…。皿を三枚とマグカップを買った。グラタン皿も良さそうだったが流石に高すぎた(一万円オーバー)。カード払いしたが二回分割したかったのに何も聞かれず一括で決済されてしまった…。ただ買った皿はとてもよい。何でもおいしく感じる。

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昼食 2

ホテルの近くに有名なそば屋があるようだったのでセラミカで買い物をしたあと行ってみたが、 11:30 オープンで 11:35 に着いたにもかかわらずすでに満席で店の外まで列ができていた。今から並んではバスセンターの集合時刻に間に合わなくなるので仕方なく別のそば屋に入った。この日は暑かったが鴨南蛮が食べたくてだらだら汗をかきながら熱いそばを食べた。

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散策

そばを食べたあと、ホテルに預かってもらっていた荷物を受け取り、ホテル横の湧水場で湧き水をナルゲンボトルに汲んだ。松本は市内各所でこのように水が湧き出ているようである。重いザックを背負いバスセンターまで 10 分ほど歩いた。松本は標高 600m あるとはいえ 8 月の日中は暑く、大量に汗をかいた。

インスタグラムスポット

途中、ふとん屋のたたずまいが良すぎて写真を撮った。ここは去年来たときも見かけて写真を撮ったが、去年は一眼レフを持ってきておらず iPhone でしか写真を撮れなかったことをとても悔やんでいた。

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感想

松本は岳都や学都、楽都と言われるが、確かにそうだなと思った。北アルプス登山の足がかりとなる街で市内から北アルプスの山々の姿を見ることができる。また信州大学の本部があり旧制高校の松本高等学校もあって学問の雰囲気も感じる。ナンバースクールがあった熊本(第五高等学校)よりも貫禄がある。加えて音楽が盛んなようで、街中に小澤征爾の音楽祭のポスターが貼ってあった。どうやら市をあげて音楽振興に取り組んでいるようである。

生まれ故郷の阿蘇もかつては阿蘇登山の拠点として駅前に旅館がいくつもあり栄えていたが、自動車が普及し日帰りで訪れることができるようになって 90 年代にはそれらの旅館は全て廃業してしまった。松本はきっとその時代から変わらず岳都として栄え続けているのだろう。山の高さや数が阿蘇とは全然違うとはいえ、山岳観光都市として参考にできる点は大いにあると思った。

アルプス登山がてらまた行きたい。

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子どもがてっちゃんなので春の山口に引き続き SL を見る&撮るという目的で人吉に行った。自分が子どもの頃に阿蘇を走っていた SLあそBOY が老朽化のため立野の急勾配を上れなくなり、熊本と人吉の間を走る人吉号として余生を過ごしているのだった。

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朝早起きして福岡の家を出て 9 時半頃に熊本駅に到着し、駐車場に車を止めて熊本駅から SL に乗った。熊本駅では写真撮影コーナーがあって、乗務員の人にシャッターを押してもらって家族写真を撮ったりできる。カツアゲに怯えながら熊本駅近くの塾に通っていた中学生の頃が懐かしかった。

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SL 人吉号は SL やまぐち号よりも内装がしゃれてて綺麗だった。やまぐち号の車内は何となくすすけていて、乗車後に鼻をかむと黒い鼻くそが出てきたりしたけど、人吉号の車内は清潔かつモダンで冷房も効いており快適そのものだった。鼻くそが黒くなることもなかった。しかし人吉号は車内販売が充実しておらず、ちょっと何か食べたいと思っても飲み物と甘い物くらいしかなくてその点は不満だった。やまぐち号は乗務員の人が回ってきてスナック菓子や酒のつまみっぽいやつなど割と豊富に食べ物があった。

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熊本県出身ながら熊本駅以南に列車で出かけたことはほとんどなかったので、宇城や八代の平野部を走る列車の車窓は新鮮だった。緑の絨毯を SL で進む感じだった。

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人吉に着くまではよかったけど、人吉駅に着いて駅前の定食屋で適当に昼飯を食べ、予約しておいたレンタカー屋に駅まで迎えに来てもらってから雲行きが怪しくなってきた。レンタカー屋が宿から遠い、借りたレンタカーに USB ポートが付いていない、シガーソケットに付ける USB 充電器を忘れてきた、 Anker のモバイルバッテリーがすっからかん状態だったため iPhone の順電ができないことを嫁さんにとがめられ大げんかになり、撮影に行く途中で車を降りて別行動をとった。

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結局自分の iPhone も充電切れになりそうだったので、猛暑の中荷物とカメラを抱えて 2km くらい歩いてたどり着いたナフコで 2000 円もする怪しい USB 充電器を買って充電できそうなスポットを探し、近くのマクドナルドに入店してコンセントを確保し狂ったように充電しまくった。ゴミみたいな 3 時間だった。会社から課題図書として指定されていた『顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説』を読んでいた。わお。

SL 撮影から戻ってきた家族と合流し、レンタカーを返して宿に向かった。三連休でどこも混んでいるなか、三人で 1 万円ちょいで泊まれる格安の宿だった。いつか自分も元同僚の taketin さんのように一泊 2000 円の宿なのに 34000 円使うような豪遊をしてみたい。

この宿は場所はよいけど温泉は付いておらず、かわりに近隣の温泉の入浴券がもらえた。近くの球磨川沿いのあゆの里というホテルの温泉に入らせてもらうことにした。ここがすごく眺めがよくて、しかも 19 時までに入れば脱衣所で生ビールが無料で飲めるという謎のサービスも付いていた。最高すぎてここに泊まりたいと値段を調べてみたら一泊 30000 円くらいして到底庶民が泊まれるような宿ではなかった。

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人吉温泉 清流山水花 あゆの里

風呂から上がってから夕食をとる店を探したがなかなかよい店が見つからず、思い切って入った店は味はよかったが少々お高い店でげんなりした気持ちで宿に帰った。

翌朝、朝食付きプランにしていたので食堂に朝食を食べに行ったが食堂は狭くまたテーブルもセッティングされておらず少々待った。うまいのかまずいのかよく分からないまま食事を終えてデザートにスイカを食べたようとしたところ異臭がする。悪くなっていたようだった。つらい。

海の日の三連休で異常に暑かったが人吉まで来て観光しないわけにはいかないので街を歩いて回った。とても寂れた感じがしたが、なかなか味わいのある街並みだった。少し前までストリップ劇場があったらしいスカイビルというビルが何とも言えない雰囲気を放っていた。

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城下町の鍛冶屋町というところを歩いているとファイナルファンタジーとかに出てきそうな包丁屋があり嫁さんが包丁を買った。恐ろしくよく切れる包丁で「あぁ俺は多分この包丁で刺されて死ぬんだろうな」と思った。その先にはみそ・しょうゆ蔵があり、味噌と醤油も買った。中の方まで自由に見学できる蔵で真夏なのに中は涼しく不思議な感じがした。お茶と漬け物を出してもらって小休止した。

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その後タクシーで駅前まで移動して青井阿蘇神社にお参りし、 SL がターンテーブルで回転するところを見物しようとしたが時間をミスってそのシーンを見逃してしまう。これでまたアホみたいに怒られた。

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慌ただしくお土産を買い、弁当を買って再び熊本に戻る SL 人吉に乗ろうとするが、なんと時間が中途半端過ぎて駅弁が売り切れ状態であり、いなり寿司を二パックしか買えなかった。往路同様、人吉号の車内販売はしょぼしょぼなので結局家族全員ひもじい状態で熊本駅まで二時間堪えなければならなかった。途中の停車駅でサバ寿司の駅売りがありこれを買って食べたが 800 円もするのにちょびっとの量でひもじさに拍車がかかった。

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帰りも記念写真を撮ったり景色を眺めているうちに熊本駅に到着し、車に乗り換えて熊本ラーメン(黒亭)を食べてから福岡へ帰った。初めて金峰山の西側、有明海沿いを運転したが夕日がものすごく綺麗だった。道は狭いところがあるものの、迫力のある景色が見られてなかなかよいドライブコースだと思う。

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KPT

Keep

  • 出身県でも地元から遠い地方にはなかなか行かないので足を伸ばすことができてよかった。
  • 熊本は阿蘇以外にもいっぱいいい温泉地ある。

Problem

  • 予定がぐだぐだ
    前回の山口旅行のときは家庭内 Kibela を活用して綿密にスケジュールを組でいたが、前回とは違って転職したばかりで慣れないこともあり事前に十分な計画を練ることができなかった。若かったり子どもがいなかったりなら場当たり的な旅行でも面白いかもしれないけど、子連れだとそれなりに事前調査してから行かないとばたばたになってしまう。

  • 酒が飲めない
    途中まで車で行って列車に乗るタイプの旅行は運転をしないといけないので列車の中で酒が飲めないのがつらい。山口のときも今回も、嫁さんだけ列車の中でうまそうにビールを飲んでいて気が狂いそうになった。

Try

  • 旅行前はきちんと計画を練る。
  • Anker のモバイルバッテリーは前日寝る前に確実に充電しておく。
  • レンタカーに乗るときはシガーソケットから充電するやつを忘れない。

このどうしようもないチラシの裏のような日記は旅行 Advent Calendar 2017 - Adventar 8 日目の記事( 1 日遅れで書いています、すみません)でした。 9 日目は nayo74 さんです。

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角島大橋

GW 前半の 4/29, 4/30 で山口県に行った。子どもが SL やまぐち号に乗りたがっていたのと、自分が下関の唐戸市場と角島に行ってみたかったから。旅行計画はこんな感じ。

予定表

家庭内 Kibela にエントリーを書いて嫁さんと共有しながら計画を練った。ただ嫁さんはめんどくさがって前日まで見てなかった。自分は電話が嫌いなので SL やまぐち号のチケット予約の電話を嫁さんにしてもらった。

予定では朝 7 時に家を出ることになっていたけどうだうだしてしまって結局は 9 時半頃家を出た。昼前に関門海峡に差し掛かり、関門橋を見渡すことができる PA で写真撮影して本線に戻り下関 IC で降りたところで嫁さんがシートベルトをしておらず後席シートベルト不装着で長州の官憲につかまえられた。関門橋のところの PA まではシートベルト着けていたとのことなのであれはトラップだと思う。ゴールド免許復帰の夢は潰えた。

関門橋

門司港

下関市役所の駐車場に 11 時半頃到着し、歩いて唐戸市場へと向かった。下関の印象は門司と似ていた。昭和の雰囲気を色濃く残す寂れた商店街の感じは、あぁ、門司と下関は双子の都市なんだなぁという思いを抱かせた。

下関の商店

下関の商店

下関の商店

唐戸市場は昼時ですさまじい混み具合だった。ようやく食べ物を調達しても座って食べられる場所を探すのが大変。人混みの中で押し合いへし合い状態で買った海鮮丼は大したことなくて、唐戸市場はアクティビティとして来てみるのはよいけどわざわざ食事を目当てに来るほどではないなと思った。

唐戸市場

唐戸市場

テラスから関門海峡を通るタンカーや船を眺められるのはよかった。タンカー、普段は港に停泊してるやつか沖合を航行してるやつしか見ないと思うけど、間近で見るタンカーは結構速いスピードで動いてるという知見が得られた。

関門海峡を横切る船

関門海峡を横切るタンカー

関門海峡を横切るタンカー

関門海峡を横切るタンカー

唐戸市場を出たあとは商店街にある自家焙煎のコーヒー屋でサイフォンでいれたコーヒーを飲んだ。

サイフォンコーヒー

サイフォンコーヒー

その後角島を目指して日本海側を移動した。海沿いの景色は福岡の糸島と同じような風景だったけど、とてつもなく長いビーチがあって気持ちよかった。角島には 4 時頃着いた。運良く空いたところに停められたけどすごく人が多くて車を停める場所を見つけるのが大変だと思った。この日は曇り気味の天気でガスも多く、角島大橋の景色ははっきりは見えなかった。橋を渡って角島の方まで行ってみたけど観光名所となっている灯台のあたり(映画の舞台になったらしい)は駐車場代が福岡の天神よりも高くバカらしくて車を停めはせずぐるっと回って戻ってきた。角島大橋近くの店でコーヒーを飲んで休憩したあと、併設の萩焼の店で嫁さんがいくつか器を買った。

角島大橋

砂浜

砂浜

BB HOUSE

6 時頃から今度は宿泊先の山口湯田温泉に向かった。途中、秋吉台を見ていきたいと思っていたけど道に迷った&日が暮れてしまい、結局秋吉台を見ることはできなかった。 8 時頃ホテルに到着し、繁華街に出かけて食事をした。結構迷ってふらっと入った店は悪くはなかったけど会計がすこぶる高く卒倒した。宿に戻ると 11 時半を過ぎており、併設の温泉の利用を断られた。予約していた部屋がツインではなくダブルの部屋だったことを嫁さんにとがめられ床で寝た。

翌朝、朝食が無料で付いていたので食べに行ったところ、無料なのに地元のおばちゃんたちが作る煮物などがどれもおいしくびっくりした。チェーンのビジネスホテルで家庭の朝食みたいなやつが食べられて良かった。

食事を終えてチェックアウトし、コインパーキングを探して車を停め、メインの目的の SL やまぐち号に搭乗すべく湯田温泉駅へとタクシーで移動した。湯田温泉駅はつつじが満開だった。

つつじ

SL やまぐち号は非常に混雑していた。また車両は古くてすすけていた。 SL は子ども時代に家の近所を走っていた ASO ボーイの試乗運転にしか乗ったことがなく、長距離を乗るのは初めてだった。 SL 特有の動き始めたときに車輪が滑ってずるっとなる感じが印象的だった。

SL やまぐち号

SL やまぐち号

SL やまぐち号

SL やまぐち号

SL やまぐち号

やまぐち号の目的地は島根県の津和野で、車窓からの風景は山また山、時々田園地帯という感じだった。石州瓦の赤い屋根瓦の家々が印象に残った。日本海側で降雪量が多いことも関係あるのか、切り妻屋根の家が多いなと思った。

石州瓦の屋根

石州瓦の屋根

田園風景

津和野は昔ながらの雰囲気を残す街だった。小京都と言われているようだが、中山道の宿場町の馬籠宿に似ていると思った。小さな街なことと帰りの SL までの時間が限られているのでレンタカーを借りるほどでもなかったので駅前でレンタサイクルをかりて街を回った。昼飯を食べなければならなかったが着いた時刻が 14 時前でどこの飲食店も軒並みラストオーダーを過ぎており、昼食を食べる店を探すのに難儀した。森鴎外の出身地とのことなので鴎外の生家に行ってみたかったが、三時間弱の滞在時間では時間が足りず、菓子屋で名物の源氏巻を食べ、閉店しようとしていたところを何とか滑り込んで割子そばとうずめ飯を食べ、酒蔵を二軒回って日本酒を買った(2本買ったうち1本は列車から降りるときに嫁さんが落として割った)ところでタイムオーバーとなった。

津和野

津和野

津和野

津和野

津和野

源氏巻き

割子そば

うずめ飯

山口の湯田温泉駅に戻るとどっと疲れが出て、これから福岡まで運転して帰るのかと思うと暗澹たる気持ちになったので帰る前に足湯に浸かって帰った。街中に綺麗な足湯スポットがあって 200 円で入れて、足湯に浸かりながらコーヒーなどを飲むこともできる。

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いろいろ盛りすぎて一泊二日で行くには時間が足りなかった。特に津和野にはもう一度行ってみたいと思った。

SL Yamaguchi Tour

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Hikiyama at Karatsu kunchi

こんにちは。僕は福岡県の博多市に住んでおりまして、最近九州の中小規模の都市に行って面白いなと思うことが度々ありました。今回、大分県の別府について書こうかと思っていたのですが、よくよく記録を見直してみると別府に行ってたのは去年の年末で今年ではありませんでした。とにかく別府最高で、別府最高という記事を書く気満々だったのでちょっと困っていますが、かわりに先日行って良かった唐津について書きます。

唐津は佐賀県ですが、呼子という漁業の街が近く、イカを食べることができます。

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活け作りを食べて残ったげそをこのようにイカ天にしてもらうことも可能です。これがすこぶるうまい。

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先日行ったときにはイカは食べませんでした。唐津くんちというお祭りを見に行きました。こういうの。

Karatsu kunchi

Hikiyama at Karatsu kunchi

なんかユネスコの文化遺産になったっぽいです。僕は配偶者が長崎出身でくんちと言えば長崎という感じなのですが、長崎のくんちとは違った趣があって大変よいと思いました。小さな街が年に一度フィーバーする感じがあるのです。長崎の場合は県庁所在地ですし九州を代表する観光地ですので年柄年中お祭りをやっているような感じがあるのですが、唐津の場合はハレとケと言いますか、くんちに非日常感があるのです。一年間取っておいたパワーがこのときに発散されるような感覚を味わえます。

Drinking on the street

唐津の街は城下町で、街並みもなかなかよいです。うらぶれた地方都市のような感じは確かにあるのですが、商店街を歩いてまわると洒落た喫茶店や食べ物屋さんがありますし、唐津なので焼き物の店もあったりして散策しても非常に楽しいところです。

An alley at Karatsu

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唐津の焼き物でカレーを食べたりピタパンを食べたりコーヒーを飲んだりすることができるカフェもあります。

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お酒を出すお店もありますから、車で行くのも良いのですが、福岡から電車に乗って行って飲んで帰ってくるってのもなかなかよいです。電車に乗ってこういう景色を見てたら着いてしまいます。

糸島の海

城下町から少し離れますが、唐津には虹の松原というキラーコンテンツもあります(画像は Wikipedia から)。

鏡山からの景色

Nijinomatsubara in Karatsu

どうですか、唐津に行ってみたくなったでしょう? 福岡に旅行に来て一日予定が空いたときに行ってみる価値が十分にあります(福岡は住むにはよいところですが観光するところは意外とない)。福岡市中心部の天神駅から一時間ちょいです。

皆様のお越しをお待ちしております。


この記事は今年行った場所 Advent Calendar 2016 - Adventarの一日目の記事ですが間に合わずちょっと遅れて書いています。次は train_sanda さんです。

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Dubrovnik

2015年6月23日

クロアチア航空のチェックインカウンターでチェックインを済ませ、パスポートコントロールを経て飛行機に乗った。 EU 内の移動は通関的なものがないので非常に移動がスムーズ。まるで国内線に乗り込むかのような感覚だった。

Croatia Airlines

飛行機は小型のもので、乗客はまばらであった。クロアチア航空は機内で配られる紙ナプキンが深紅でしゃれており、スッチーたちも感じが良く、エーゲ航空に比べて最高という感じしかなかった。飲み物はビールをもらったけど、 PAN というクロアチアのビールでとてもうまかった。

Dubrovnik Airport

一時間半ほどでドゥブロヴニク空港に到着した。ドゥブロヴニク空港には迎えのハイヤーをお願いしてあった。空港はきれいで、迎えに来てくれていたドライバー氏は長身できちんとネクタイを締めていた。すべてがテキトーなギリシャとは全然違う。非常にかちっとしていた。ハイヤーはきちんと洗車されているベンツで、一世代前のものではあるが E クラスだった。ギリシャで現行 E クラスのタクシーに乗ったけど、おっさんの運転は雑だったし、車内は自家用車のように雑然としていて、クロアチアで乗ったハイヤーの方が断然快適だった。

クロアチアはあちこちに花が咲き乱れ、道路はきちんと舗装されており、街並みも整然としており、すべてがごちゃごちゃでゴミが散乱しているギリシャとは大違いだった。やっとヨーロッパの国にやって来た、という感覚があった。古代ギリシャ文明はギリシャでは継承されておらず、ギリシャ以外のヨーロッパ各国で継承されているのかなという感じがした。

Dubrovnik view

ただドゥブロヴニクも森といえるような森林は存在せず、山は少し地肌が見えていていわゆるはげ山状態だった。降水量が少ないんだろうなぁ、と思った。

宿は旧市街から 1.5km ほど離れたヨットハーバー沿いにあるアパートメントだった。かつてチェコを旅行したとき、アパートメントに泊まって最高だったのでアパートメントにしてみたのだが、この選択は正解だった。非常に広くて景色が良く、シャワーのお湯の量に限りがあることを除けば快適そのものだった。

Adriatic Deluxe Apartments

Adriatic Deluxe Apartments

宿にチェックインしたのが 20 時過ぎだったので、旧市街に行くのはあきらめて宿の近くで日用品の買い物を済ませたあと食事をすることにした。この時点でクロアチアの通貨のクーナを持っていなかったが、スーパーでもレストランでもカードで支払いができたので問題がなかった。10 年前に訪れたチェコでもそうだったが、 EU に加入しているものの通貨をユーロに移行していなくてもユーロで支払えるところが多い。クロアチアもそんな感じで、 7HRK = €1 というレートで買い物することができる。

Supermarket

VW Golf 2, Golf 1, Golf 3 (Left to right)

一日目に訪れたのは宿の近くにあった taverna Otto というレストランだったが、あとから調べるに tripadvisor でドゥブロヴニクのレストランで 6 位の店だった。クロアチアはマグロをよく食べる国だそうで、ツナとポーチドエッグのサラダを注文したら、表面を軽く火で炙った状態のマグロのタタキを使ったサラダが出てきた。シーチキンのようなものを想像していたので期待と違ったが、久々に口にする生のマグロが非常においしく感じられた。

ツナのサラダの写真は取り忘れてて、これは嫁さんが食べてた子牛のステーキだけど、ドゥブロヴニクあたりの料理は何でも炭火焼きして BBQ するのが一般的らしい。野菜も炭火焼きしてあって香ばしい香りがしておいしかった。

Taverna Otto

食事を終えて宿の前のヨットハーバーの公園を散歩すると、ユーゴスラヴィアからの独立戦争時に活躍したと思われる戦車や、迷彩塗装を施された軍用ボートが飾ってあった。ドゥブロヴニクは世界遺産であるにもかかわらず、独立戦争時にはユーゴスラヴィア連邦軍から砲撃を受け旧市街や城壁が破壊されてしまった。その戦争に勝利しての独立だったので、街の人々はこの独立に誇りを持っているんだろうなぁと感じた。

宿に戻って美しい港の夜景を眺めがら眠りについた。

2015年6月24日

Harbor View

ミコノス島で買ったパンなどで食事を済ませた。この日は嫁さんの体調が優れず、出かけるのが昼頃になってしまった。

まずは両替しないとバスに乗ることができないので、宿近くの銀行に入って両替を頼んだ。昨夜のハイヤーのドライバーによると、両替は銀行で行うのが一番レートが良く、手数料が必要ないとのことだった。銀行の窓口で両替を頼むと、確かにネットで出てくるのに近いレート( 1HRK = ¥18 )で両替できた。本当は両替にはパスポートが必要らしいが、宿のセキュリティボックスに忘れてしまっていた。しかし窓口の女性は融通の利く人で、次は忘れないでくれと言って両替してくれた。またクロアチア最高だと思った。

両替してからバスに乗って旧市街へ出かけた。旧市街へはバスで 5 分ほどで、アドリア海の景色を眺めながら向かうことができた。

Pile Gate

旧市街のピレ門に着くと観光客でごった返しており、街は賑わっていた。とりあえず門の中に入り街を軽く見て回り、 Kindle で買った Dubrovnik ガイドの本で著者のお気に入りの店であるというところに行ってみた。すると日本人の先客があり、メニューに日本語もある。なんと地球の歩き方にのっていた。旅先で日本人と出会うと微妙な気分になるのでなるべく普通の日本人客がいないような場所で食事するのが好きなのだが(だから Kindle で英語のガイド本を買って読んだりしてた)、同じ店が地球の歩き方で紹介されているとは盲点だった。

ドゥブロヴニクは滞在時間が短かったので昼もいいのを食べようという方針で嫁さんと二人でお互い好きなものを頼んだので、会計は 530HRK ほどになり、昼なのに 1 万円近くになってしまった。ただこの店で食べた三種のチーズと生ハムは最高にうまくて、良い思い出になった。

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この店で食事している間に、本当にここはヨーロッパかと思えるような激しい雨が降り始めた。日本のゲリラ豪雨のような雨だった。しかもドゥブロヴニクは断崖の縁にある街で、山の方に降った雨が一気に流れ込んでくる。レストランの外席は建物と建物の間の通路にある席で、雨が降るとこの通路を雨水が川のように流れていく。雨が上がるまで身動きすることができず、 1 時間半くらいこの店にいて雨が止むのを待った。

雨が上がってからは城壁に上がろうと入り口を探して旧市街をさまよったがどこにも入り口がない。同じように他の観光客の人々も入り口を探しているようだった。地図を見ているところを地元の人に声をかけられ、城壁に上るには入場料が必要なこと、入り口は二箇所と限られていることを教えてもらった。確かに地球の歩き方にもそのように書いてあった。大人一人 100HRK ほど払って城壁に入ることにした。一人 1800 円は高いとは感じたが、これに上らなかったらドゥブロヴニクに来た意味皆無なので金のことは考えずに上った。

城壁からの眺めは確かに最高で、アドリア海の真っ青な海と、ドゥブロヴニクのオレンジ屋根の街並みをこれでもかというほど堪能した。ドゥブロヴニクも暑いには暑かったが、ギリシャに比べれば湿度も適度にあり十分に過ごしやすかった。

城壁を一周するときにベビーカーを持って回ったのがつらかった。可能なら入り口で預かってもらいたかった。海外旅行にベビーカーを持って行くべきかどうかはかなり悩んだが、息子殿は抱っこひもで抱えるには大きすぎるほどに生育しており、ベビーカーで運搬するより他なかった。ただサントリーニなど足場の悪いところではかなり足かせになった。

城壁を一周するとへとへとに疲れ果てていたので、一旦宿に戻って休憩することにした。

宿のアパートメントには大きなテラスがあり、ジャクジーがあったのでジャクジーに浸かることにした。しかし日暮れ時のドゥブロヴニクにはすでに肌寒く、ジャクジーの温度がなかなか上がらずあまり楽しむことができなかった。

ジャクジーから出たあとはまた taverna Otto に行った。 tripadvisor ランキング一位の店に行けないかと予約を試みたが、今日と明日は満席でいっぱいと断られてしまった。つくづく滞在時間が短かったことが悔やまれる。

taverna Otto ではメニューにないのに息子殿用にポーチドエッグのみを出してくれと頼んだりして常連ぶるなどした。会計のときになって店主がやって来て、二日連続来てくれてありがとうと話をした。我々が日本人であることを告げると店主は興奮し始め、 3 月に日本を旅行したがサイコーだった、また行きたい、神戸牛食いたい、牛丼うまかった、築地サイコーだった、築地で買った魚介類をタイのホテルの冷蔵庫に忘れてきたことが悔やまれる、あdsふぁdsふぁdfjかlsdflぴおいれ、という話を延々聞かされた。母国ではない英語で良くもこうぺらぺら喋れるものだなぁと感心した。

我々と話すときはクロアチア人同士でも英語で話したりするし、クロアチアはかなり英語教育に熱心なのかも知れない。そういえばチェコのプラハの人々も英語が流ちょうだったことを思い出した。今回泊まったアパートメントのレセプションの女性たちもネイティブのように英語を流ちょうに話し、ギリシャ人よりも格段に英語でコミュニケーションをとりやすかった。

レストランを出てホテルに戻り、ヨットハーバーから最後の夜景を眺めて眠りに就いた。ドゥブロヴニクの Gruž の港は長崎の港に景色が似ていて親近感がわいた。

2015年6月25日

前日夕方に買ったロシア風のパンとコーヒーで朝食をとった。ドゥブロヴニクにはヴェネツィアの領地であった歴史があるのでイタリアの影響が強いのか、コーヒーはエスプレッソが主力のようだった。宿に備えてあるコーヒーを入れる器具は直火式のエスプレッソマシンしかなく、これでコーヒーを入れて飲んだ。クロアチアのスーパーで買ったミルクと割ってカフェラテにして飲んだけど、ミルクがすごく甘くておいしかった。ヨーロッパはどこも乳製品のクオリティが高い。適当な店で飲み食いしてもチーズやバターだけはまずいものにあたることがない。

チェックアウトして荷物を預かってもらい、再度旧市街へ向かった。土産物を買ったあとは、前日には乗ることができなかったケーブルカーに乗って Srđ 山に上り、街を見下ろした。ここには戦争博物館もあって余裕があれば見に行きたかったが、飛行機の時間が迫っていたので適当に写真だけ撮って降りることにした。山頂でニコンの一眼レフを持っていたアメリカ人のおっさんに写真を撮ってくれるよう頼んだら、水平もとれておらず残念な写真になってしまった。とほほ。

飛行機の時間が迫っていたため、山から下ったあとは急いで食事をした。なかなか店が決まらず、イタリア風の食事を出すピザ屋に入って食事をした。ヨーロッパはカプレーゼが安くて巨大なモッツァレラチーズが出てくるのが良い。

食事を済ませて急いで宿に戻り、荷物を受け取ってバス停に向かった。宿の最寄りバス停は旧市街行きのバスも空港行きのバスも止まるという非常に便利なバス停だったが、空港行きのバスがなかなかやってこずかなり不安になった。あと 5 分待って来なかったらタクシーに乗ろう、と思ったところでバスがやって来て何とか飛行機に間に合う時間で空港にたどり着くことができそうだった。運転手は親切で、ユーロしか持っていないが大丈夫か、と聞いても「 No problem 」と言ってくれてクロアチア最高だった。

ただこのバスの中で安堵のあまり眠ってしまったのが良くなかった。バスを降りるときに iPhone を車内に忘れてしまった。気がついたときにはもうバスは発車しており、しかもアテネに戻る飛行機の時間が迫っていたためバス会社に問い合わせることもできず、後ろ髪をひかれながらドゥブロヴニクを去ることになった。幸い iPhone にはパスコードロックをかけていたので悪用されることはないと思われるが、その後辞書代わりにも使っていた iPhone がなくなることは不便きわまりなかった。 foursquare でチェックインすることもできず、旅行の楽しみの半分くらいが吹っ飛んでしまった。

| @旅行/散歩

パルテノン神殿

2015年6月22日

振り替え便は 8:10 と聞いていたので 6 時に起きて飛行機に乗る準備をした。 7 時前にチェックアウトして空港に向かうと、昨日見た顔の人たちが何人かいた。タクシー代の精算を済ませ、搭乗手続きをして飛行機に乗ると、エーゲ航空のスッチーたちは何事もなかったかのようなにこやかな表情を浮かべていた。

アテネには一時間足らずで着いた。なんとこの日は天気が悪く、アテネ到着時は雨が降っていた。

アテネ到着

前日にアテネの宿を手配できなかったため空港に着いてから空港の無料 WiFi を使って予約しようとしたが、アテネ空港の WiFi は 60 分間しか無料で使えず、結局空港のパソコンを使って予約した。

アテネ空港はギリシャ到着時に食事したときにめちゃくちゃ高くてどうしたもんかと思っていたが、空港の外に出て空港職員等で混雑するサンドイッチスタンドに入ると、 €2.5 で食べ物が買えた。ここでコーヒーを飲みながらほっと一息つくことができた。

その後メトロでアテネの街中へと向かう。アテネ空港は成田と同じで、名前こそアテネだけど全然アテネじゃない場所にある。電車で 40 分くらいかかった気がする。

Athens city view from Acropoli

アテネの市街についてまずびっくりしたのが、街並みのヨーロッパっぽくなさだった。道が広くて路上駐車の車がたくさんあるのはヨーロッパっぽいんだけど、道路の舗装は適当でゴミや動物の糞が散乱しており、マンションのすべての側面には汚らしいバルコニーがくっついていて植物やらなんやらをみんな好き放題外に出しており、非常に猥雑だった。ヨーロッパというより東南アジアにでも来たような景観だった。

Athens

またアテネはサントリーニ島やミコノス島に比べて圧倒的に緑が多く、湿度も幾分か高いようだった。普段は 6 月に雨が降ることはなく異常気象だと泊まった宿の主人は話していたが、モンスーン気候に慣れた身からすると、乾燥の激しいサントリーニ島やミコノス島は過ごしにくく、雨降りのアテネはとても過ごしやすく感じられた。

Athens

アテネの宿はアクロポリスなどといった主な観光地にも歩いて行ける場所にあるものを選んだ。 €107 だったが安くても一泊 €200 オーバーだったサントリーニ島からすると別天地という感じだった。部屋は広く風呂は豪華で、たっぷりと暖かいお湯のシャワーを浴びることができた。

宿にはチェックイン時刻よりも早く着いたので、荷物を置いて観光へ出かけた。レストランに入ってメニューを見るとサントリーニやミコノスの観光地レストランの値段に比べるとずいぶん安い。しかもハンバーガーを頼んだらパンが一枚でハンバーグが二枚のやつが出てきた。ギリシャ人、こんな経済観念だから経済崩壊するのでは、と思いつつ、アテネサイコーと叫びながら子牛のハンバーグを食べた。

パン一枚に肉二枚

食事のあとは街をうろつき、最初携帯の SIM を買った ΓΕΡΜΑΝΟΣ を見つけたのでプリペイド SIM のチャージができるかどうか聞いてみた。サントリーニ島のショップでは、追加チャージはできるが翌月にならないとできない、という説明を受けていた。しかしキャリアの COSMOTE のウェブサイトを見てもどこにもそのような記述はなく、おかしいなぁと思っていたのだった。 €6 で 500MB のチャージを頼み、携帯を出すように言われたので Pocket WiFi を出すと、「その端末ではこの SIM カードを使うことができない」と言われて一瞬雲行きが怪しくなったが、自分たちが持っている iPhone は SIM ロックがかかっていて Pocket WiFi 経由でないとインターネットに接続することができないことを説明すると「OK」と言って追加作業をやってくれ、再びインターネットにアクセスできるようになった。

その後街を散策し、子どもが喜びそうな蒸気機関車型の観光バスを見かけたので乗ってみることにした。大人一人 €5 で、アクロポリス周辺の主立った観光地を周遊でき便利だった。乗り降り自由らしいので乗り降りしてプラカ地区やシンタグマ広場に行ったりすることもできる。我々はその勝手を知らずに漫然と一周してしまってもったいなかった。

アクロポリス バスから見たアゴラ

バスに乗ったあとにパルテノン神殿に上ってみたが、正直なところ圧巻だった。今回の旅行ではアテネはスルーする予定だったがエーゲ航空がキャンセルになったせいでアクロポリスを訪れることができたのはある意味幸運だったかも知れない。

パルテノン神殿

パルテノン神殿を観光していて初めて知ったのだが、パルテノン神殿は風化であのように朽ちているのではなく、 17 世紀にヴェネツィアによる砲撃を受けてあのようになった、とのことだった。当時でもすでに 2000 年以上の歴史を経ていたパルテノン神殿を破壊するなんて罰当たりなことだと思ったが、 Wikipedia によると、当時ギリシャを支配していたオスマントルコは、ヴェネツィアもパルテノン神殿の歴史的価値に敬意を表して砲撃すまいと高をくくって女子どもを避難させ、アクロポリス内に弾薬庫を作って弾薬を貯蔵していたのだそう。しかしヴェネツィアは一切斟酌せずパルテノン神殿に砲撃を浴びせたらしい。

修復中のパルテノン神殿

そのような状況になったパルテノン神殿を修復しようという動きはギリシャ独立後の 19 世紀中頃からあって様々手を加えられているが、 1800 年代後半から戦前にかけての修復は、古代の手法を忠実に再現するのではなく、鉄を使って無理矢理修復するという手法で、そのせいでかえって他の部分に負荷がかかり、現在は 19 世紀から 20 世紀前半にかけて行われた誤った手法の修復で傷んだ箇所を正しい手法で直しているところなのだそう。

修復されたパルテノン神殿

そういえば順調に行けば今頃訪れていたはずのドゥブロヴニクも、一時はヴェネツィアによって支配され、イタリア文化を受容しているのであった。ヴェネツィアとは地中海沿岸でやりたい放題やってたんだなぁ。

パルテノン神殿をゆっくり時間をかけて観光したあとは、一旦宿に戻ってシャワーを浴びて休憩した。三人とも何を食べてもトマトとオリーブオイルとハーブの入っている地中海風の料理に飽きていて、汁付きの麺類が食べたいと、アジア料理の店を探してアテネ一番の繁華街のシンタグマ広場へと向かった。

遅い時間にわざわざやってきたのに嫁さんが目をつけていたアジア料理屋は看板を掲げておらず、あるはずの場所には別の中華屋があって営業していた。店の前でひとしきり夫婦げんかをしたあと、あきらめてこの店に入って中華料理を食べることにした。

この中華屋が正解で、酢豚もチャーハンも中華麺もどれもうまかった。変な香辛料は入っていないし唐辛子辛くもなく、日本人にとって非常に食べやすい味付けだった。青島ビールを三本飲んでも会計は €30 程度で、一食で €70 ほどかかっていたサントリーニ島と大違いだった。しかも店の女将の中国人が非常に親切で店も清潔で、まるで日本に帰ってきたかのようだった。

中華屋の麺

食事を追えて最終一つ前の地下鉄で宿に戻り、倒れ込むように眠りについた。

2015年6月23日

翌朝は宿を出る際に領収書の宛名書きの件で嫁さんが宿のレセプションともめて、そのせいで夫婦げんかをしてしまった。一旦別行動をとることにしたのだけど、一人でアクロポリスのベンチに腰掛けているとなんかいろいろどうでも良くなってしまって、嫁さんから届いていたメールを読んで昨晩食事をした中華屋のあるシンタグマ広場で合流することにした。

昨晩 0 時近くまでいた中華屋には同じ面々がいて店を営業していた。この人たちはよく働くなぁと感心しながら店に入って食事を注文した。ギリシャ人は働かないと日本のマスコミでは言われるけど、アテネのこの中華屋の人たちも、サントリーニ島のホテルの人たちも、朝早くから夜遅くまでとてもよく働いていた。実は EU の中でギリシャ人の労働時間は結構長い方だという記事もある。新聞やテレビで見るのと実際に訪れてみるのではずいぶん事情が異なるなぁという思いを強くした。

昨夜の店内には現地のギリシャ人の客しかいなかったが、この日の店内には中国人だらけだった。

中国人の観光客はギリシャにいっぱいいたが、不思議なことに彼らは昼間はそこかしこにいるのに、夜になると潮が引いたかのようにさっと姿を消す。それは見事なものだった。夜の街を出歩いて中国人の姿を見かけることはないし、盛り場に行っても夜に中国人の姿を認めることはできない。

ミコノス島で二日連続通ったレストランの面白ウェイター氏によると、中国人はあまり良い旅行をしていないそうで、一泊ずつ街を転々とするのだそう。ひょっとしたら毎朝早い時間に宿を出て次の街に向かわなければならないから彼らは夜の街に姿を見せないのかも知れない。

プラカ地区

食事のあとはシンタグマからプラカ地区の土産物屋を冷やかしたりしながら宿のある方向に向かって歩いた。途中土産物を買うため嫁さんとアクロポリスのあたりで別れ、自分は一人で宿まで預かってもらっていた荷物を受け取りに行った。

プラカ地区

地下鉄駅で嫁さんと合流して、再びアテネ空港に戻り、自分が行ってみたかったクロアチアのドゥブロヴニクに向かった。待ちに待ったときが来た、という感じだった。