日曜の夜、一週間に一度鳴るか鳴らないかの携帯電話が鳴った。大学時代の友人からで、GREEをやっていないのかという内容だった。
GREEが何のことだか分からなかったので調べてみたら、いま流行りのソーシャルネットワークサービス(以下SNSと表記)なのだという。そういや弟がmixiをやっていた。なんでもmixiとGREEが双璧らしい。
友人は俺に招待して欲しかったようだが、もちろん俺がSNSなんてやってるわけがないので招待できなかった。Continue reading...
日曜の夜、一週間に一度鳴るか鳴らないかの携帯電話が鳴った。大学時代の友人からで、GREEをやっていないのかという内容だった。
GREEが何のことだか分からなかったので調べてみたら、いま流行りのソーシャルネットワークサービス(以下SNSと表記)なのだという。そういや弟がmixiをやっていた。なんでもmixiとGREEが双璧らしい。
友人は俺に招待して欲しかったようだが、もちろん俺がSNSなんてやってるわけがないので招待できなかった。Continue reading...
WIndows Media Playerから音が出なくなった。WMPだけでなく、Real PlayerもMacromedia Flashもダメだ。映像は表示されるのだけど、音が出ない。でもQuickTimeはきちんと音を出す。
しょうがないのでTIgerを再インストールしてみた。が、やはり音は出ない。AppleのDiscussion Boardsに似たような症状の人はいるのだが、解決法が示されていない。正直、めちゃくちゃ困ってます。エロ動画が見られない
もう一回ATOK入れ直すのメンドクセー。Continue reading...
昨日の日経を読んでいたら、中国が知財戦略に力を入れているという記事があった。
中国は現状、テレビやDVDプレーヤーで世界一の生産量を誇りながら、特許を持たないために大きな利益を得ることが出来ず、薄利多売の状況が続いているそうだ。中国のDVDメーカーは、一台あたり約20ドルの特許料を日米欧の企業に支払っているとか。
中国が取り組んでいるのは独自規格の開発。DVDに変わってEVDというものを開発し、この技術を採用した映画館の開館を中国全土で進めているそうだ。二万館のシェアがあればハリウッドもEVD対応を考えざるを得ない、という目算があるらしい。ブルーレイやHD DVDと競争しようというのだ。Continue reading...
P_BLOGの作者のkazさんのブログJAM LOGを読んでいてこういうものに出くわした。
- No Author Biographies 著者のバイオグラフィーがない
- No Author Photo 著者の写真がない
- Nondescript Posting Titles 記事のタイトルが説明的でない
- Links Don't Say Where They Go リンクが行き先について語っていない
- Classic Hits are Buried 「クラシック・ヒット」(昔のいい記事)が埋もれている
- The Calendar is the Only Navigation カレンダーが唯一のナビゲーションになっている
- Irregular Publishing Frequency 記事公開の頻度がまちまち
- Mixing Topics トピックを混ぜている
- Forgetting That You Write for Your Future Boss 未来の上司が読むことを忘れている
- Having a Domain Name Owned by a Weblog Service ブログサービスが提供するドメイン名を使っている
ヤコブ・ニールセンというオッサンによると、↑の10箇条に当てはまるとダメなブログなのだそうだ。ヤコブ・ニールセンとはその筋ではカリスマ的な存在らしい。どれどれ、自分のブログでも検証してみよう。
Continue reading...昨日の日経「医の再設計」という連載記事によると、厚労省が発表した医療制度改革試案では医療費抑制の中長期策の目玉に、生活習慣病対策と入院日数短縮が掲げられていたそうだ。しかし実効性には不透明な部分も大きいとか。
まず、生活習慣病対策として健診の強化が挙げられていた。それで平成25年度の医療費を2兆円規模で減額できる見込みとか。しかし健診を強化するには費用がかかる。その費用を捻出するのは健保などだから、結局は保険加入者の負担、要するに国民の負担が増えるわけである。これは自己負担率増と同じで需要サイドへの調整である。
しかし医療費抑制に成功したフランスなどの例を参照する限りでは、患者の窓口負担を引き上げても医療費抑制には大した効果はなかったそうだ。
それで議論の対象になるのが、供給サイドへの調整。日経の記事によれば、日本の人口1000人あたりのベッド数は先進国のなかでも突出したものなのだそうだ。さらには平均入院日数も主要国の2倍以上の40日間と非常に長い。医療費高騰を招くはずである。Continue reading...
今日の日経の経済教室に、相続税と機会の平等について書いてあった。少子化を迎えるに辺り、これからはますます貧富の差が拡大するのだという(親の財産を一人の子どもが相続するため)。活力のある社会にするためには、機会の平等が確保されなければならず、その為には相続税制度の効率的な運用が必要なそうだ。
遺産には四つの種類があるらしい。一つは老後の生活資金だったお金が、不慮の事故による死亡などで使われずに発生する遺産。二つ目は子どもに残すことを目的に蓄えられた遺産。三つ目に遺産を残すこと自体に喜びを見いだす人が残した遺産。最後に、子どもから介護をしてもらうために戦略的に残された遺産。相続税を課す場合、それぞれを場合分けして個々の事情に応じた課税を行うことが最適なんだという(例えば三つ目のタイプの遺産は消費行動とも考えられるので消費税に近い税を課すなど)。Continue reading...
久しぶりに映画を見た。『愛についてのキンゼイレポート』というもの。実在したぶっとんだ人物の物語である。率直な感想を述べると、とても面白かった。
生物学者のキンゼイは、自分自身の結婚を機にセックスについて興味を持つようになる。キンゼイのペニスがあまりにも大きすぎて、うまく妻の性器に挿入できなかったのだが、医師に相談してうまいセックスのやり方を知る。それ以来、セックスについて悩みを持っている学生の相談に乗るようになり、次第に他人のセックスがどのようなものなのか興味を持つ。昆虫の採集と同じように人々の性体験を収集するようになり、本を出版。全米で物議を醸す。
キンゼイは言う。人間は社会的な制約で性欲を押さえ込みすぎている。セックスは隠すべきものではない。また、ほ乳類では同性愛は珍しいことではなく、他のほ乳類は同性とセックスをすることがしばしばある。だから人間が同性とセックスとしてはいけないということはない。下らない道徳観はかなぐり捨てるべきだ。みんなもっとセックスについて知らなければならない。
有言実行と言うべきか、キンゼイはついには同性とのセックス経験のある助手(もちろん♂)と関係を持ってしまう。それを包み隠さず妻に打ち明けると、妻は激しく悲しむ。しかし悲しむ妻に対して「君も浮気をしてみるべきだ」などと素っ頓狂なことを述べる。それを察知したのか、キンゼイと関係を持った助手が妻とセックスさせて欲しいとキンゼイに申し出る。自分自身浮気をしたことがある手前、断ることが出来ないキンゼイは己の了承のもと妻を助手に寝取られてしまう。このあたり結構えぐい。後半では研究グループのメンバーが増えるのだが、各々自分の妻と他人の妻を交換して乱交する始末。もはや意味不明。
その後もキンゼイは鬼畜路線をひた走る。絶頂に到達する瞬間、女性器はどうなっているのかを映像に記録するため、”ハメ撮り”にまで手を出すのだが、あるとき性犯罪者とのインタビューで己の性犯罪暦を誇らしげに語る彼に違和感を覚える。そんななか、研究グループのメンバーが他人の妻とのセックスを単なる”摩擦運動”として割り切れなくなり、肉体以上の関係になってしまう。この辺りから、キンジーはそれまで考慮してこなかった愛について考えるようになる。
俺はやはりセックスはただの摩擦運動ではないと思う。人間と人間があんなに近距離で目と目を合わせて共同の行為をするのだから、セックスをするためにはお互いが相手に対して好印象を持っていなければならないし、仮に相手に対して好ましい印象を持たないまま性交渉が始まったとしても、行為を重ねていくうちに愛情が目覚めていくのではないかと思う。だから愛情のないセックスなんてのは存在しないのではないだろうか?(もちろんレイプは別物である)
それにしても妻役のローラ・リニーは綺麗だった。俺だったらあんな綺麗な奥さんがいたら、絶対浮気なんてしないし、ましてや同性愛にはまったりなんてしないけどな。綺麗な奥さんがいて彼女と素晴らしいセックスが出来るのなら、他人の性生活なんてどうでもよい。しかしキンゼイは違った。自分の興味が趣くままに、全米を巻き込みトンデモナイ方向へと向かっていった。
しかし一方で、キンゼイが行ったような活動は必要だったとも思う。映画の冒頭で、あるカップルがセックスの仕方が分からないとキンゼイのところに相談に来る。聞けば前儀もせずにいきなり挿入しようとしている。結婚したばかりのキンゼイがうまくセックスできなかったのも、前儀をせずにいきなり挿入を試みたからだった。挿入する前には指や舌を使って女性器を刺激するということを、20世紀前半のアメリカ人は知らなかったのだ。この頃のアメリカでは、自慰は寿命が縮まりアホになるのでやってはいけないといわれていたし、オーラルセックスはその後妊娠できなくなるから御法度であるとされていた。
キンゼイが唱えたように、セックスの仕方というのは、ある程度は誰かが教えるべきなのではないかと思う。明治以前の日本の農村では、夜になると若い未婚の男女が集まる小屋があって、そこで未経験者は経験者から性の手ほどきを受けたのだという。しかし明治維新後、西欧から持ち込まれた近代社会のシステムは、性に関わるもの一切を禁忌としたから、生殖活動可能な年齢になってもセックスの仕方が分からないというケースは沢山あっただろう。明治時代の小説でもそういうものをテーマにしたものがあったそうな(この辺は小谷野敦の『もてない男』に詳しい)。今でこそエロビデオが氾濫し、中学生くらいからみんな一応のセックスの仕方を知っているだろうが(AV男優のやってることをまんま真似したら即効で彼女に振られるだろうけどw)、各家庭にVHSが普及する前はセックスの仕方が分からず困っていたカップルは沢山いたのではないだろうか。
でも不思議なことに、ビデオやネットでいくらでも猥褻物が氾濫しているというのに、出生率は下がっていくんだよなぁ。逆にビデオやネットが普及してない半世紀前の日本や、発展途上国の方が出生率が高かったりする。まぁ猥褻文化と出生率なんてなんの相関もないんでしょうけど、皮肉なものではあると思う。