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レスラー

評価 : ★★★★☆

ミッキー・ローク主演。かつて隆盛を極めたプロレスラーの20年後を描いた映画。これは良かった。グラン・トリノの次くらいに良かった。五つ星あげたいけど何となく四つ星で。

主人公のランディ・ザ・ラムは若い頃は人気を誇ったプロレスラーなんだけど、名声は過去のもの。いまは年を取り、昼間はスーパーの倉庫で肉体労働をする傍らインディーズのプロレス団体に所属して巡業に臨む日々。稼いだ金は全部筋肉増強剤や痛み止めなど薬品の購入、美容院での毛髪脱色、日焼けサロン代などに消えていく。往年のライバルとの再試合を控えたある日、試合後のロッカールームでステロイド剤の副作用による心臓発作を起こし、医者にはプロレスを辞めないと命はない、という忠告を受ける。

若い頃からプロレス第一で家族を顧みなかったランディは、唯一の肉親である娘とは絶縁状態。一人寂しくトレーラーハウスで暮らす孤独な人生なんだけど、心の拠り所はストリップクラブで働く踊り子のキャシディ。辛い試合の後はストリップクラブに行ってキャシディに話を聞いてもらう。

マリサ・トメイかわいすぎる

もちろんミッキー・ロークの演技も良かったんだけど、僕が一番良いと思ったのはランディが思いを寄せるキャシディ役を演じたマリサ・トメイ。この人がとにかくかわいい。

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Marisa Tomei Pulls a Benjamin Button marisa-tomei – Socialyz.comより拝借

なんと映画撮影時は44才! ストリッパー役だから当然脱ぐんだけど、スタイル抜群やでしかし。とても44才には見えない。映画の中でストリップ・クラブの客が「おばさんはちょっと…」とか言ったりするんだけど、どう考えてもその辺の20代のギャルより色気満点だろ。演技も良い。ランディが絶縁状態にある娘との関係修復のためにアドバイスをもらおうとたびたびクラブにやって来るんだけど、そのときはかたくなに客と踊り子の関係の一線を越えないようにと、ランディとの間に壁を作ろうとする。そこがまたかわいい! なんつーのかな、ストリッパーなのに滅茶苦茶ガードの堅い女の子みたいで正直萌えた。多分キャバクラにハマる人は、なかなかプライベートな関係になれないキャバ嬢を落とすところに楽しみを見出してるんじゃないかな。ただ女の子と飲むために30分5000円払うとか意味分からんし。ちょっとキャバクラ通いの人の気持ちが分かった気がする。

プロレスの舞台裏がかいま見える

プロレスの内幕が見られるところも面白かった。試合前の控え室ではレスラー達がその日の試合の筋書きを綿密に打ち合わせてしてる。こういう流れで始めてどの技でフィニッシュとかそんな感じ。第一試合でヘッドロック使ったら二試合目ではやらないようにするとか、試合ごとにネタがかぶらないように配慮するところなんかまるでお笑いショーみたいだった。ちょっとネタバレ気味になってしまうんだけど、劇中、ランディーのところに若手のレスラーが試合前の挨拶に来る。このとき「お前は才能あるよ。今日は対戦できるのを楽しみにしてる」なんて言いながら、若手レスラーが控え室を出て行った後に手首のテーピングの下に剃刀を仕込むシーンがある。「うわ、汚ねぇ」なんて思っちゃったんだけど、これも客を楽しませるための演出。相手に対して剃刀を使うわけではなく、ダウンしたときに客にバレないように自分で額を切って流血させるのだ。「そういうことかー」と感心してしまった。

ほかにプロレスラーのサイン会のシーンとかもリアリティーあった。年老いたかつてのレスラーたちがファンが来るのを待ってるんだけど、会場はがらんとしてて、みんな杖とか車いすとか人工膀胱とか付けてたりする。プロレスは筋書きがあってやらせであることは確かなんだけど、肉体を酷使することもまた確か。好きなことを貫く人生も大変なのだ。

大人の情欲は子どもを傷つける

物語中盤でランディは娘と関係修復しようとするのだが、プロレスの観戦に行ったあとの打ち上げのバーで逆ナンされて若い子と情事に及んでしまい、娘とのディナーの約束をすっぽかしてしまう。こういう筋書きって良くあるような気がする。前『8月のメモワール』だっけかで見た覚えがある。大人が性的な欲望をこらえきれずに子どもを傷つけるっていう流れ。実は良くあるアメリカ映画と違って結局ランディは娘と関係を修復することはできず、最後もはっきりしない終わり方をする。ちょっと意外な終わり方だった。

監督が男前

ちなみにこの映画の監督ダーレン・アロノフスキーは映画会社からニコラス・ケイジを主人公に起用するよう要請されてたらしいんだけど、どうしてもミッキー・ロークがいいと譲らなかったそう。それで制作費を減らされ当初はアメリカでの公開劇場数もすごく少なかったらしいんだけど、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したし、興行成績もまずまずだった模様。受賞にはならなかったけどアカデミー賞にミッキー・ロークとマリサ・トメイがノミネートされてたみたい。

ニルヴァーナはクソ

ランディとキャシディがバーでビールを飲みながら、ヴァン・ヘイレンの曲に会わせてリズムをとるシーンがある。そこで二人とも意気投合して80年代は良かった、90年代はクソだ、80年代はなーんも考えなくて良かったのに90年代になってニルヴァーナが出てきて深刻になった、みたいな趣旨のことを話す。正直なところこの映画でのランディのファッションはホームレス手前だしレスラー風の長髪とかダサダサであんまり好きにはなれないんだけど、このニルヴァーナ評は面白かったし共感した。僕もニルヴァーナの精神世界みたいのは理解できない。その点、レッチリはニルヴァーナと同時代から活躍してるけど、90年代の陰鬱な雰囲気とカリフォルニアの明るい雰囲気をうまく止揚して2000年代っぽさを出してると思う。悲しい歌詞の曲もあるし、ジョン・フルシアンテとかスゲー悲壮感あふれる曲が多いけど、レッチリの面々はコミカルで明るくて楽しい。元ニルヴァーナのデイヴ・グロールだってFoo Fightersでは明るい曲や楽しいプロモーションビデオでニルヴァーナとは違った面を見せる。そういう意味ではこの場面はとても示唆に富んでいた。何気ないシーンなんだけどね。

総評

今年見たアメリカ映画では『グラン・トリノ』が良かったけど、こちらもアメリカ映画としてグラン・トリノとは違った独特の良さがあると思った。見るかどうか迷ってる人は見て損しないですよ。オススメです。

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劔岳 点の記

評価 : ★★★☆☆

お台場アクアシティ・シネマメディアージュで鑑賞。JCBカード提示で1500円だった。

明治時代、日本陸軍は日本地図を完成させようと、前人未踏と言われる立山の剱岳への登頂を目指していた。そこに三角点を設置して測量を行うのだ。しかし設立されたばかりの民間組織である日本山岳会も剱岳登頂を目指していた。豊富な資金力でヨーロッパ製の近代的な登山装備を誇る山岳会に対して、柴崎芳太郎(浅野忠信)の率いる陸軍測量隊は旧式の装備しか持たない。しかし地元の村で雇った宇治長治郎(香川照之)のガイドで何とか目的を達する。

ネットのレビューでは評判良かったけど、そんなに良い映画だとは思えなかった。確かに映像は素晴らしい。なんか日本を代表するカメラマンの人が監督したらしい。立山から見える富士山の映像とか、夕焼けを雲の上から見るシーンとか、NHKの山ドキュメンタリーにも勝てそうなくらいのハイクオリティ。でも浅野忠信と宮崎あおいのいちゃつきシーンとか必要ないと思うし、そもそも浅野忠信の嫁役は宮崎あおいよりも檀れいの方が良いと思うし、ストーリーの展開がどったんばったんな感じだった。

とにかく生意気な松田龍平がムカついた。浅野忠信は公務員系の役ってどうなのかなって思ってたけど、これからそっち方面の堅めの実直な人物も演じられるようになっていくかも知れない。そこそこマッチしてた。特に人夫の香川照之を立てようとするところとか好印象だった。浅野忠信には戦争映画とかやってもらって、真面目な日本兵役とか演じてもらいたいな。

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チェンジリング

評価 : ★★★★☆


"チェンジリング [DVD]" (クリント・イーストウッド)

下高井戸シネマで鑑賞。

1930年代のアメリカ、ロサンゼルスが舞台。主人公のクリスティンは電話交換手のシングルマザー。息子のウォルターと映画を見に行く約束をしていたある土曜日、どうしても人手が足りないと急遽仕事にかり出されることになった。暗くなる前に帰るからと息子に言い残して仕事に出かけるのだが、帰宅すると家にウォルターの姿はない。近所を探しても見つからないため警察に電話するのだが、「迷子は24時間は捜査しない決まりになっている」とつれない。果たして息子は見つからず、五ヶ月が経過した。ある日職場にロサンゼルス市警の刑事がやってきてクリスティンにウォルターが見つかったと伝える。しかし、引き合わされた「息子」の身長は失踪前より低くなっており、どう考えても別人だった。しかし警察は「あなたが動揺しているんです」と言って取り合わない。それどころか警察の言うことを聞かないため精神異常者であるとして精神病院に入院させられてしまう。果たしてウォルターは見つかるのか? クリスティンの運命は?

見逃していた映画を見られて良かったんだけど、ブログなどで絶賛されるほどに素晴らしい映画だとは思わなかった。やっぱクリント・イーストウッド作品で言うなら圧倒的に『グラン・トリノ』の方が迫力あるし面白い。でも警察権力が暴走したらどうなるかだとか、人間の同一性の証明が案外に難しいことの描写とかは興味深かった。自分が失踪したときに別人に成りすまされないためには、近所付き合いを良くしてマメに歯医者に通う必要があるなと感じた。

映画では1930年代のロサンゼルスの街並みがとても美しくCGで再現されていた。路面電車が走る感じとか良い。ヨーロッパの都市みたいな趣がある。いつかアメリカ行ってみたい。

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スラムドッグ$ミリオネア

評価 : ★★★★☆

ダニー・ボイル監督。アカデミー賞で沢山賞を取った映画。インドのスラム街出身の青年がクイズ番組の "Who wants to be a Millionaire" に出演して大金を得るまでの過程を描いたビルドゥングスロマンである。

スラム街出身の青年がなぜクイズに次々正解できるのか。インチキではないのか? これがこの映画テーマだ。ミリオネアの映画だと思っていたのに、冒頭は警察署で主人公の青年ジャマールが尋問されるシーンから始まる。不正を疑われて警察に捉えられたのだ。しかしジャマールは不正を働いてはいなかった。彼の数奇な人生が全て彼に答えをもたらしていた。たとえどんな難問であったとしても。

ムスリムのジャマールは幼い頃にヒンドゥー教徒の暴徒に母親を殺されてその後は兄のサリームとストリートチルドレンとして過ごす。途中、ストリートチルドレンを集めて組織的に物乞いに従事させる卑劣漢ママンの下で他の子ども達と共同生活を送るのだが、彼が何をしているのか(歌が上手い子の目をわざとつぶして盲目にし、人々の同情を誘おうとする)真実を知り得たサリームは弟を連れてママンの下から逃げ出す。ジャマールとサリームは同じようにヒンドゥー教徒の暴徒に両親を殺されていた少女ラティカとずっと一緒だったのだが、逃げるときにサリームは彼女を囮にして見捨てる。子供心にラティカに恋心を抱いていたジャマールは、大人になった後も彼女を捜そうとする。

やっとラティカと再会できた後も、兄やマフィアの親分にラティカを奪われるのだが、ジャマールは決してラティカのことを諦めない。マフィアの親分の下で人生を諦めながら暮らすことを余儀なくされたラティカを助け出そうと、彼は "Who wants to be a Millionaire" への出演を決めたのだった。

サリームは大人になって行くにつれて段々とずるがしこい人間になり、最終的にはマフィアになってしまう。信じられないことにジャマールが思いを寄せるラティカを奪い、弟に銃を向ける。一生許さないとジャマールは心に誓うわけだが、最後の場面でサリームはジャマールとラティカを結ばせるために自身を犠牲にする。この辺は以前見た『ミリオンズ』の流れに近いと感じた。ダニー・ボイルは兄弟ネタが好きっぽい。『ミリオンズ』をインド版に焼き直して、設定をもっと壮絶なものにしたのが今作かなー、という感じだった。

ところでママンが子どもを集めている施設には足のない子がいた。10年くらい前、メンノンを読んでいたらインドを旅行したモデルが旅の感想を書いていて、「手がない子どもが物乞いにやってくるけど、お金が集まりやすいように親がわざと我が子の手足を切ったりするらしい」と語っていたのを思い出し、複雑な気分になった。ジャマールらはムスリムであるために母親をヒンドゥー教徒に殺されるわけだが、インド社会の複雑な一端を描くことも忘れていない。

平日昼間の回だったせいか大学生カップルが多く(男一人で見に来てるのは僕だけだった)、エンドロールが終わって立ち上がるときに前の席に座っていたカップルが抱擁し合っているのが見えた。アホか。しかしラストのインド映画風ダンスは楽しいし、重い内容とは反対にエンディングは明るいので万人にお勧めできる映画だと思う。

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This is England

評価 : ★★★★☆


"This Is England" (Original Soundtrack)

ブリットポップ前夜、フォークランド紛争後の1983年のイングランドが舞台。スキンヘッドの若者たちがクソなサッチャー政権とクソな社会に反発する映画。とても面白かった。

主人公ショーンは12歳の少年。父親をフォークランド紛争で亡くし、母親と低所得者向けの住宅で過ごす。父が買ってくれたフレアのパンツを学校に穿いて行って「ウッドストックに帰れよ」とからかわれ、しょぼくれてとぼとぼ家に帰っているところをガード下にたむろするスキンヘッド集団に声をかけられる。グループのリーダー、ウディに励まされたことでスキンヘッド集団と関わるようになる。

当初はウディらと健全(?)なスキンヘッドライフを送るショーンだが、ウディの旧友、コンボが刑務所から出てきてグループの調和を乱しまくる。彼は刑務所での経験がもとで人種差別主義者と化していたのだ。グループにはミルキーというジャマイカ系の男がいるのに、コンボは彼の前でも構わず人種差別的な言動を繰り広げる。これにウディは気分を悪くし、コンボを避けるようになる。結果的にグループは二分するのだが、ショーンは愛国主義的で排外的なコンボの思想に惹かれるようになる。コンボのグループは政治集会に参加したり、パキスタン系の移民を迫害したり、どんどん政治色を強めていく。そして悲しい結末がショーンとコンボを待ち受けているのだった。

冒頭のフォークランド紛争の報道映像を引用してるシーンがショッキングだった。地雷で片足を吹き飛ばされた英兵が担架で運ばれる映像が挿入される(補給艦に搭乗していてミサイル攻撃を受けて負傷した兵士らしい : フォークランド戦争 - MEDIAGUN DATABASE)。イギリスは結果的にフォークランド紛争に勝利したけど、多くの艦船を失い、少なからぬ死傷者を出したみたいだ。加えて社会に蔓延する英国病。なぜ移民には住宅が優遇されるのに、元々の住民であるイングランド人が貧しい暮らしを送らなければならないのか。コンボは極端な人種差別的国粋主義者だが、言っていることは一理ある。排外的なスキンヘッド集団が生まれたのには様々な時代背景があったことが分かる。

ストーリー以外の部分では、ウディ(風貌がルパン三世っぽい)のファッションがとても格好良かった。Ben Shermanのシャツの下にサスペンダーでぴちぴちのジーパンを吊し、ロールアップした足下にはDr. Martensのブーツ。さらに上からピンバッジ付きのMA-1などのフライジャケットを着る。フライトジャケットとかすごくダサく見えてたけど、ジャストサイズをこういう風に着こなすととても格好良く見える。イギリスでは2007年公開の映画だけど、この格好はこれから流行るんじゃないだろうかと思った。

英語も特徴的で面白い。どの英語がどこ訛りだとか詳しいことは分からないけど、comeは「カム」より「コォム」と聞こえるし、canは「キャン」より「カァン」と聞こえ、アメリカ映画の英語とは全然別物だ。「ああー、イギリスいいわぁー」っていうイギリスかぶれには辛抱たまらんはず。

加えて音楽。ブリットポップ前夜のイギリスはパンクロックばかりなのかと思っていたけど、そうじゃなくて、スキンヘッズはスカやレゲエ、ソウルも聴いてたみたいだ。1980年代に入ってからスキンヘッズは白人優位の人種差別的集団と化したようだが、そもそものルーツはジャマイカ系移民のスタイルに強く影響を受けていたらしい。だから人種差別主義者のコンボが、マリファナをくゆらせながらブルースを聞くシーンもある。僕はパンクはあまり好きじゃないのだが、作中で使われてた音楽はどれも格好良く、サントラを買おうとしたらAmazonでは何と在庫切れ中。そのくらいかっちょいい。

ショーンが年上の女の子スメルに恋をするんだけど、このスメルって子がまるでX Japanのメンバーみたいなメイクをしてて不思議な色気があった。

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グラン・トリノ

評価 : ★★★★★

朝鮮戦争に招集された経験を持ち、フォードの組み立て工をしていた主人公のウォルター・コワルスキー(クリント・イーストウッド)。最愛の妻を亡くし一人寂しい日々を送る。2人の息子との関係はうまくいかず、周囲の人には心ない言葉を浴びせまくる。ポーチに腰掛けてビールを飲みながら犬に話しかける毎日。しかし妻の葬儀の日に隣にアジア系のモン族が引っ越してきて、モン族の少年タオと触れあううちに彼の心境は変化していく。

すばらしかった。クリント・イーストウッドは前作の『チェンジ・リング』も評判が良く(見に行きたかったんだけど見に行けなかった)、俳優よりも監督のウェイトの方が重いんじゃないか。事実今作が俳優活動の引退作品であるようだ。今後は積極的には俳優業はやらず、監督業に専念する模様。 主人公のコワルスキーは頑固な古典的アメリカ人で、アジア系や黒人を露骨に差別する。何かあるとすぐに銃を引っ張り出す。隣人が芝生に入っただけでもライフルで脅す。まるでこち亀のボルボ西郷みたいなところもあるんだけど、なんかやたらカッコいい。アジア人をバカにしながら、隣人のタオの姉スーが黒人に絡まれてるときにはトラックで現れてチンピラを銃で脅して撃退する。スーと一緒にいた白人のボーイフレンドは黒人のチンピラ連中に「ようブロー(兄弟)」みたいな黒人っぽい英語で話しかけて友好的にその場をしのごうとするんだけど、「ハァお前何言ってんだヴォケ」みたいな反応されてビビりまくる。結局、クリント・イーストウッドが現れて黒人のチンピラを追い払う。なんつーのかな、ツンデレっていうのかも知れないけど、「あんたなんて嫌いなんだからね!」って言いながらタオとスーのことを助けるのだ。

同じモン族のチンピラがタオをチンピラグループに入れようとしてしつこく付きまとうんだけど、これもクリント・イーストウッドが追い払う。そんでタオのあまりのヘタレぶりに辟易し、タオをかっちょいいアメリカ人の男に育て上げようとする。工具を貸し与えたり女の子をデートに誘うようにけしかけたり床屋でのかっちょいい話し方を教えたり建設現場でのアルバイトの口を見付けてきてやったり。この辺の逆『ベスト・キッド』的なところがすごく良い。

『チョコレート』っていう映画では黒人を差別してた元刑務官が、自分が刑を執行した黒人受刑者の妻と付き合うようになるけど、あれに似たところもある。異人種間の融和というか。

そしてさらに、アメリカ人の男とはどうあるべきなのか、アメリカ人のアイデンティティとは何なのかを、アジア系のニューカマーであるタオに徹底的に教え込もうとする主人公の姿勢が新しい。

一見すると時代の流れと無関係に存在するような作品なんだけど、テロやアフガン戦争、イラク戦争、そして金融危機とアメリカのビッグスリーの凋落など、アメリカの繁栄にかげりが見えるいまだからこそ、クリント・イーストウッドはこの映画を作ったのではないかと感じた。時代は変容して白人中心のアメリカから、いろんな肌の人によって構成される多民族国家のアメリカ像を描こうとしたんではないか。さらに自動車のビッグスリーはトヨタに食われっぱなしだ。元フォードの従業員の主人公は、息子がトヨタのランドクルーザーに乗りトヨタ車を売って回っているのが癪に触る。息子と関係がうまくいかないことの一因でもありそう。しかし物語の中でウォルターが大切に保管している72年式のクラシックカー、グラン・トリノが大きな役割を果たす。もう一度グラン・トリノのようにアメリカを輝かせよう、そういう意図があるんではないかなと感じた。

ところでこの映画に登場する白人はみんなカトリックなんだけど、ここにも重要なメッセージがあることに見終わってから気がついた。アメリカで主流のエスニックグループはWhite Anglo-Saxon ProtestantのWASPなわけだが、主人公コワルスキーはポーランド系、床屋のおっさんはイタリア系、建設現場のおっさんはアイルランド系。みんな白人ではあってもカトリックで、イギリス系ではないので非主流グループということになる。第二次大戦の前後まではイタリア系やアイルランド系は職に恵まれず、移民してきても大変な生活を強いられていた。それでもアメリカにとけ込んで国の成長を支え、立派なアメリカ人になった。これからはアイルランド系やイタリア系やポーランド系にかぎらず、アジア出身の新しいアメリカ人たちがアメリカを支えるのだ、っていうメッセージを僕は感じ取った。

最後にウォルターは考え得る最善の方法でスーとタオを守る。どんな方法かは見てのお楽しみだが、もうちょっと他に方法はなかったのかと考え込んでしまった。

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そして、私たちは愛に帰る

評価 : ★★★★☆

原題は "Auf der anderen Seite" 。英語に直訳すると "On the other hand" (その一方で)になる。さすがにそれじゃ意味不明なので邦題が付けられてるみたい。だけどちょっと直接的過ぎるかなって気がする。確かに映画のテーマは愛なんだけど、男女の愛より人類愛という感じ。

あらすじ。トルコ移民のアリというじいさんが同じトルコ移民の売春婦を気に入り、家にいっしょに住まわせることになった。実は売春婦イェテルには複雑な事情があり、トルコに残してきた娘に学費を仕送りするために売春をしているのだった。しかしちょっとした諍いでアリはイェテルに手を挙げてしまい、彼女を死なせてしまう。そこから物語がズンズンズーンと進んでいく。

トルコとドイツ、3組6人の親子について物語は語られていく。第一章がネジェット(息子)、アリ(父)、イェテル(アイテンの母)のストーリー、第二章がアイテン(トルコで過激派活動をしていたが、警察に追われドイツに偽造パスポートで入国する)、シャーロット(仲間のところを追い出され空腹で困っていたアイテンを助けるレズビアンの女子大生)、シャーロットの母のストーリー。そして第三章ですれ違っていた登場人物たちのストーリーが重なり始める。

ドイツからトルコ、トルコからドイツへと遺体が運ばれるシーンや、親が子を、子が親を探すんだけどニアミスしながらすれ違っていく展開など、対称性が非常に重視されたストーリー展開。内田けんじの『運命じゃない人』とか、見たこと無いんだけどキューブリックの『時計じかけのオレンジ』とか、タランティーノの『レザボアドッグズ』に近い話の進行だ。パズル仕立てっていうのかな。カチッカチッとしてて僕は心地よかった。

ぶっちゃけるとストーリーはしまりがないというか、淡々と進んでいく。アクション映画のようなハラハラドキドキな展開が随所にあるわけじゃない。正直わりと地味。だけどその淡々としたストーリーと同じのかたちの反復というか、「あのシーンにはこんな意味があったのか!」的な筋書きがマッチして、飽きることなく見ることが出来た。

冒頭部分を見る限りでは、ドイツのトルコ移民問題っぽい映画かという気がしたんだけど実はそうじゃなくて、トルコの中でもマイノリティーであるクルド人問題なのかというと、一瞬そんな流れになりつつも監督の言わんとするところはそこじゃなくて、結局は人類愛とか宗教的なテーマに収斂していく。

エンディングが特徴的だった。「え、これで終わり?」と唐突な印象を受けたが、エンドロールがやたらかっこよいのだ。一体どんなエンディングなのかは見てのお楽しみ。かなり満足できた。