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朝の月

Twitter のスレッド機能で、投稿前の下書き段階からスレッド状態で長い文章を推敲しながら書くことができることを最近知った。推敲して長い文章を書けるのならブログを書く必要がないのではないか。これを知って自分は、 Twitter はブログの息の根を止めようとしているのだなと感じた。

スレッドで長めの文章を下書き状態で書きためている様子

スレッドの誕生

スレッドは 2017 年にリリースされていた。

確かにこの頃から長文を連投で投稿する IT 社長みたいなのをよく目にするようになった気がする。「フロハ」とか「ガバリ」とか「making coffee」とか書いてた頃の Twitter とは異世界になってしまった。

リリースノートによると、ユーザーが自分のツイートにリプライを書いて長い文章を書いている使い方に着目し、それをしやすくする機能としてスレッドを開発したようだ。長い文章を書けるようになったことで、それまで誰とも競合せず独自の市場( Jaiku など同種の競合はいたがプラットフォームが持つ強力なネットワーク効果で蹴散らしてしまった)にいた Twitter がブログの世界に進出してきたのだ。

ブログの衰退

トラックバック

ブログでのコミュニケーションはとても衰退してしまった。いまでは信じられないかも知れないが、昔はブログにコメント欄やトラックバック欄があった。コメントはともかくトラックバックって何だと思う人はいるかもしれない。むかしのブログでは、誰か他の人の記事を参照して記事を書いたときにトラックバックする、という文化が存在した。

トラックバックのない世界

例えば A さんがうどんについての記事を書いていたとする。その記事を参照しながら B さんがそばについての記事を書いた。このとき、 B さんの記事から A さんの記事に対してリンクを張ることは可能だが、先に作成された A さんの記事から B さんの記事にリンクを作成することはできない。 A さんは自分の記事が B さんから言及されていることに気づくこともできない。関連した話題や言及されていることに A さんおよび A さんのブログの読者が気づくことができないのだ。

トラックバックの正しい使い方

この問題を解決するのがトラックバックという仕組みで、 B さんのそばの記事から A さんのうどんの記事に対してトラックバックを送ることで、 A さんの記事内に B さんの記事へのリンクが表示される。 A さんは自分のブログに言及されていることを知ることができるし、 A さんのブログの読者は関連記事として B さんが書いたそばについての記事があることを知ることができる。

トラックバックボム

迷惑トラックバック

この仕組みは節度のある人だけがブログをやっていた時期には良かったのだが、徐々に相手の記事に言及することなく、自分のサイトへの誘導のためにトラックバックを送信する不届き者が出てくるようになった。 A さんのうどんの記事に B さんのそばの記事がトラックバックを送るのはまだわかるとして、 C さんが書いたバイクについての記事からトラックバックが届くとなると、全く話題に関連性はないし、バイクの記事から A さんのブログにリンクすることもないだろう。

こういうネチケット違反をする人だけではなく、最終的にはアフィリエイト目的で相手のブログと全く関係ない記事なのにトラックバックを送信するスパマーによって悪用されるようになり、トラックバックという文化は廃れてしまった。

議論の場となる Twitter

トラックバックが死ぬことで、ブログ上で議論するということがしづらくなった。 A さんのうどん記事に対して B さんがそばこそ至高という記事を書き、トラックバックを送った上で議論を挑むことができたのが、トラックバックがないのでネットの端っこでかみつくだけか、 A さんのブログのコメント欄に登場して議論をふっかけるしかない。しかしコメント欄もトラックバックと同じように衰退した。スパムのせいだ。静的サイトジェネレーターで生成されるブログではトラックバックはもちろんのことコメント欄も存在しない。ブログは議論の場として機能しなくなってしまった。

Twitter が流行ったからブログが廃れたという意見はかつてよく目にした。しかし Twitter が流行ったからというより、コメントやトラックバックという文化がスパマーによって破壊されてしまい、 Twitter の手を借りるまでもなくブログは勝手に死んでいったのだ。 A さんのうどん記事について「そばこそ至高」と言いたい人は、 Twitter で言及するしかなくなってしまった。この流れを加速させて、そもそも A さんも Twitter でうどんの話をするようにしたくて、 Twitter はスレッドを機能化することにしたのだろう。

コンテンツとの出会いの場としての Twitter

多くの人にとって、コンテンツとの出会いの場がポータルサイトやまとめサイトから、個々人のタイムラインに変わりつつある。みんなで同じ記事を見るのではなく、それぞれの小さなサークルの中でコンテンツを共有し合う感じだ。

いま、記事がバズったときのナンバーワンの流入元は Twitter だ。以前だったらはてブだったけど、はてブでホッテントリに入るよりも SNS でバズることの方がアクセスが集まりやすい。

はてブは一人にブックマークされただけではあまりアクセスが来ることはなく、矢継ぎ早に数人からブックマークされてホッテントリに入らないとバズれない。しかもホッテントリに入ったところではてブからのアクセスは精々 1 日で途絶えてしまう。みんなで一つのホッテントリを見てるので次々に新しい話題が出てきて、一つの記事がはてブのネットワーク内にとどまれる時間が短い。

一方で Twitter は、一人がシェアしてくれただけで割とアクセスがあり、フォロワーが沢山いるインフルエンサーによってシェアされるとあっという間に大量の流入をもたらしてくれる。しかもユーザーはそれぞれバラバラのタイムラインを見ているので、バズったときにネットワーク上にコンテンツが滞留する時間が長い。 Twitter 自体がタイムラインを単純な時系列順にせず複雑化させているし、一つの記事を別々の人がシェアすることや、リツイートの仕組みによって何度も人の目に触れさせることが可能になっている。おかげで一度バズると一週間くらいは流入を提供してくれる。

スレッドの最大の狙いは外部への離脱の抑制のはずで、これまでブログ記事や動画など、外部のコンテンツを参照する側だった Twitter が、スレッドによって長くまとまった分量のコンテンツをプラットフォーム内に持てるようになり、外に対してトラフィックを流すのではなく、プラットフォーム内にユーザーのアテンションをとどめておけるようになった。コンテンツとの出会いも消費も Twitter 内部で完結させたい、というのが Twitter の意図なはずだ。

コンテンツの発見も消費もタイムラインで

タイムラインの滞在時間を最大化し、一つでも多くの広告を見てもらうことが Twitter のビジネスモデルにとって重要なはずだから、スレッドによるブログ殺しでバズの矛先を外部のブログではなく Twitter の内部とし、一人たりとも Twitter の外に逃したくないのだろう。

かつて日常について呟く場所だった Twitter が、日常についての短い文章に加え、長めの論説調の文章も有するメディアに変容しようとしているのだろう。プレースホルダーが "What are you doing?" から "What's happening?" に変わったのと同じ事情がそこにはある。

日常の出来事をブログに書く意義

こんにち、日記のような軽いブログ記事を見かける頻度がとんと落ちている。昔はもっとみんなライトにブログを書いていた。しかしそういうライトなブログは Twitter や Instagram などの SNS に飲み込まれてしまった。いまブログといえば、ある程度の分量のある熱のこもった記事か(暇な素人による社会時評とか)、芸能人のアメブロか、アフィリエイトか、プロが書いた商業的な記事しかない。普通の個人が書いた軽い記事を公開しづらい雰囲気が醸成されつつある。

ヒトデさんが年末にこういう記事を書いていた。

#100DaysToOffload もこの考え方に通じるところがある。難しく考えずに、気軽にアウトプットすればよい。

この感覚はとても重要で、いま我々は努めて軽いブログ記事を書くようにしないと、商業メディアや Twitter に飲み込まれて個人の簡便な意思表明がしづらい流れが固定化されてしまう。その日食べたもののことでも、その日見たテレビのことでも、その日読んだ本のことでも、その日遊んだゲームのことでも、何でもいいから SNS 以外の場所にも書くことが大事なのだ。 #100DaysToOffload のハッシュタグを付けて Twitter に何かを投稿するのは一見矛盾しているようで、 Twitter に過集中しつつあるインターネットのアテンションを再び個人ブログに取り戻そうという取り組みでもある。

なので皆さん、スレッドのご利用はほどほどにして、ブログを書きましょう

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YouTube 、すでに公式に公開されてる情報を読み上げるだけの動画あげてる人が多い。オリジナル情報を読めば 1 、 2 分で摂取できる情報を 10 分以上の動画にする意味があるのかは疑問だけど、長い文章読めなくて動画に飛びつく人が一定数いるんだろう。

同様に、既に公式サイトに記載されている事柄を自分のブログや Twitter にスクリーンショット付きで転載してる人もいる。ソースが英語のときに日本語で説明するなら理解できるけど(自分はよくやる)、ソースが日本語の情報をさらに日本語で転載する意味がわからない。

公式情報はわかりにくい、誰かが解説している二次的な情報の方が信頼できる、と感じる人がいるのかも知れない。[サービス名] 料金 などのキーワードで検索すると大量に二次解説サイトがヒットする。

この手のコピー情報はオリジナル情報を水増しして動画化したり何度も同じ表現を繰り返したりしてるだけで全然わかりやすくない。むしろインターネットのノイズになっている。悪質なケースでは Google 検索結果の強調スニペットによってオリジナル情報より目立っていることもある。

極力一次情報を調べ、二次情報にはなるべく近寄らない暮らし方をしていきたいが、普通の人々がそういう情報摂取をできるだろうか。

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スパムコメントがめっちゃ多いのでいろいろ対策はしている。詳しくは以前書いた。

にも関わらず、相変わらずスパム投稿が来る。昨日は 5 件ほどスパム投稿が来たのでいい加減頭にきて、スパマーの餌食になってる記事のコメント欄を閉じることにした。スパマーはバカなのか、特定の記事にしかコメントしてこない。自分のブログの場合は以下の 2 記事がターゲットにされていたのでこの 2 記事だけコメントを受け付けないように設定した。

恐らくスパマーの間でやりとりされるカモリストがあって、過去にスパムコメントを投稿して反映された実績みたいなのがやりとりされているんだろう(オレオレ詐欺のカモ一覧みたいな感じ)。とりあえず上記 2 記事のコメント欄を潰したところ、スパムコメントは来なくなった。

どう見ても日本語のブログにロシア語のスパムコメントを投稿して何の意味があるというのだろうか。日本語のブログの書き手にロシア語が通じると思っているのだろうか。前の記事にも書いているけど、機械的な投稿はできないように reCAPTCH をはじめとしたいろいろな対策が行われているので bot が投稿しているとは考えにくく、ロシアの超暇な人間が手作業で信号機や横断歩道の写真を選びつつ投稿しているのだと思われる。自分がその仕事をやらなければならなかったとしたら、その仕事の意味のなさに発狂すると思うんだけど、そういう作業をしている人がいる現実に恐怖を覚える。

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新聞社のウェブサイトの記事、ほとんどがペイウォール入るようになったけど社会の不公正や富の格差を是正したい、みたいなテンションの記事がペイウォールに阻まれてると何だかなという感じがする。新聞社は読者にどんな価値を提供して対価を得ようとしているのか分からない。

自分たちの主義主張を読ませるために金を取るのはおかしな話で、そんなビジネスは消費者から受け入れられないと思う。金を取るなら一週間のニュースダイジェストとか、読者 = ユーザーの課題(忙しくてニュースを読む暇がないなど)を解決する何かを提供しないとだめだと思う。

昔はインターネットなかったから紙に文字が印刷してあればどんな内容であっても希少価値があって、それ配布するだけで価値があって消費者が金払ってくれてたのかもしれないけど、いまはインターネットがあるから情報の集約と配布はコストが下がっててそこに価値を見いだすことは難しい。

多くの人は新聞社にストレートニュースを効率的に届けてくれることや、素人には解釈が難しい政治経済の解説などを期待していると思う。金を払って新聞社の主義主張を読みたいのは一部の思想的に偏った人たちだけなはずで、その人達をターゲットにすると思想的にどんどん先鋭化していくしかない。

毎日配達しなくてもいいから週に一回届いて、一週間の出来事ダイジェストと難しい政治経済の事柄を解説してくれるメディアが欲しいよなと思う。 6 年前に同じようなことをブログに書いてた。

21 世紀を生きるフツーの人が求めているのはそういうメディアではないだろうか。

追記 2021-10-28

観念して毎日新聞のスタンダードプランに登録した。

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secondlife さんがはてなブログの記事などを引き払って新しいドメインで個人ブログを作ってた。

secondlife さんは今年の春まで世界一周旅行をしていて、ブログで旅行の様子を書いていたが、数ヶ月前に Google Photos が突如過去に Ticker API で取得した写真の URL を無効化して折角の旅行の写真が閲覧不能になるということが起こっていた。

同じ現象は cho45 さんもブログに書いている。

結局お二方とも Google Photos の利用をやめてしまったようだ。

ブログサービスやストレージサービスを使うと楽だが、サービス提供者の胸三寸で機能が利用できなくなってしまうことがある。

secondlife さんの冒頭の記事は「心のざわめき」についてがメインのテーマだ。記事を書く度にはてなブックマークでのリアクションを気にしてしまってよくないので、それらのリアクションから遠い場所に移転する、という趣旨だ。

プラットフォームが提供するサービスは便利だったりコンテンツを生産するモチベーションを与えてくれたりする反面、プラットフォームへの依存度が高まったり、ときにはプラットフォームがもたらすネットワーク効果が負の副作用をもたらしたりする。そういうのに疲れた人は自前でウェブサイトを運用するようになる。

ながしまきょうさんはもっと早くにプラットフォーム依存を脱却しようとしていて、一時は Twitter さえもやめて自サイトで Microblogging していた。

自分はプラットフォームに依存せずにこれまでブログをやってきた。一時期画像のアップロード先に Flickr や Google Photos を使うことを試したけど、最近の記事ではやめていて完全に自前だ。さくらインターネットや AWS といったインフラ部分では IaaS に依存しているが、オペレーションの部分は自分で行っている。ソフトウェアエンジニアとして腕を磨くのが目的だったけど、だんだんとプラットフォームの足かせから自由でありたいという理由が大きくなってきている。

プラットフォームの中でブログを書くと、自分の書いたものがプラットフォームの中の一コンテンツでしかなくなってしまう。自分のブログなのにどこかの知らない人が書いた記事が「関連記事」として表示されてしまう。自分はそういう場所には違和感がある。

インターネットの端っこにいる人たちから「ウェブ縄文時代」に退行していくのではないかと思う。

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山に行ったときに山頂でコーヒー入れて飲むの好きで、その様子を「純喫茶 山頂」などと言って Twitter に投稿してた。

そしたら嫁さんに同じようなことを動画でもっとイケてる感じでやっている人がいることを教えてもらった。

Tasty がその人の動画を一本にまとめてるのが以下。

Falke Omdal さんという、ノルウェー人のアウトドア写真家のようだ。フィヨルドを見下ろす崖の上に腰掛けてコーヒー入れたり、カヌーでどっか行ってコーヒー入れたり、山の上にテント張って焚き火でお湯わかしてコーヒー入れたりしてる。山で焚き火台使わず地面に直で焚き火するの、日本でやったらめっちゃ怒られそう。

Falke さんがすごいのは、山にハリオやケメックスのコーヒーサーバーや、ガラスのコップを持って行ってるところだ。登山用品はとにかく軽い方が良いし、かさばるものは避けられがちだ。軽くて小さく、重ねられる丈夫なものが好まれる。ガラスの容器やコップは重いしかさばるし割れやすいので全然登山向きではない。でもやっぱりコーヒーは金属製の容器よりもガラスのサーバーにドリップする方がうまそうに見える。

地面直の焚き火にしろ山でガラス容器を使うことにしろ、登山で常識とされていること(少なくとも日本では)から自由な発想で山での時間を過ごしているところがとてもうらやましい。

ちなみに自分もこの前家の近くの山に登ってみたときに真似して動画撮ってみたけどあまりいい感じにできなかった。簡単そうに見えるけどちゃんと三脚で固定したり、コーヒー入れる人とは別に撮影する人が必要だと思った。編集のテクニックも必要だ。長い動画をアップしてもあまり見てもらえないっぽい。必要な部分だけを残してつなげ、 30 秒くらいで終わる動画にしないと見てもらえなそうだ。

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最近時々見るようになったあるブログ(ブログ主は女性)のコメント欄で、すべての記事に必ずコメントしているおっさんがいるのに気がついた。本文の内容と関係あるコメントをすることもあるが、大抵は本文と関係ないか関係あってもほんのちょびっとかすってるだけの自分語りだ。

例えばブログ主が「今日は温泉に行ってきました〜」と書けば、コメント欄に「うちの姉から柿が届きました」というような投稿をする感じ。ブログ主は律儀に返信しているが、第三者の自分が見ても恐怖を覚えるくらいの脈絡のなさ。

一時期おっさんの自分語り LINE みたいなのが Twitter で話題になった。相手の事情など考えず、自分が言いたいことを強引に送ってきたりするのがおっさん LINE の不快感の原因だと思う。

しかしよくよく考えてみると自分も 20 年くらい前はこういうコミュニケーションをしていた気がする。なぜこういうことになるのかというと、むかしはスマートフォンもなく、インターネットでのコミュニケーションにはタイムラグがあったからだと思う。掲示板やブログのコメント欄でのやりとりは非同期なので、やりとりの一往復にとても時間がかかる。すると相手が何を言うかをある程度推測して長めの文章を投稿したり、酷い場合には多少オフトピック気味な自分語り的な投稿をしてしまうことがあった気がする。

今日では誰もがスマートフォンを持ち、ブログへのコメントの返信は一々パソコンを立ち上げなくてもスマートフォンからさっと行うことができる。そもそもブログでコメントするという行為自体が前時代的で、コミュニケーションの大半の部分が Twitter や Instagram 、 Facebook など SNS 上で行われている。そしてそのやりとりはもっとクイックで、コミュニケーションの一往復にかかる時間は短く、一回あたりの情報量はコンパクトになってきている。

きっと他人のブログのコメント欄で自分語りおじさんは 20 年以上前のインターネット黎明期にインターネットを始め、そのときのインターネット仕草が身にしみてるのだろう。 Twitter や Facebook にも馴染むことができず、 20 年前と同じ自分語りを他人の空間で行ってしまうのではないだろうか。そういうおっさんにはなりたくない。